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綺麗なユニフォーム|#悔しかったあの試合

エッセイを応募するなんて、とても感慨深い。
それも、寝具メーカーが主催だなんて。

今僕はアスリートやプロスポーツ選手を目指す学生、スポーツを楽しむ方などに対して睡眠指導や管理を行なっている立場だが
元はプロスポーツ選手を目指す一人の学生だった。これを機に#悔しかったあの試合 を振り返ってみようと考えた。

悔しい試合はいくつもあるが、「あの時この選択をすればよかった」というような”後悔”とは少し違う、自分が何もできなかった真の”悔しさ”を体感した試合がある。

それは第93回全国高校サッカー選手権大会の準決勝「vs前橋育英高校」だ。

そこに辿り着くまで

この試合の出来事を書く前に、少しだけ背景を述べる。中学三年生の時セレクションに合格し、千葉県の名門「流通経済大柏高校」に進学した。入学当初はレベルの違いと大所帯に圧倒され、1年時には担当スタッフにマネージャーになれとまで侮辱されたことまであったが、3年時にはトップチームに少し絡めるようになり、最後の高校サッカー選手権では、背番号をもらえるくらいまで這い上がった。

ここだけ切り取ると、努力が実ったなんとも素敵なエピソードに感じるが、正直中身は大したことない。公式戦の出場は90分(1試合)のみ。ベンチ入りも数試合程度。(ただ、一度もトップチームに上がれずに涙をのむ選手が大半を占める中で、何試合か絡めたことは誇らしく思う)


選手権のメンバーには登録され、パンフレットにも掲載され、今思えばわりと多くの方から「頑張って」と連絡をもらった。とても光栄なことだったが試合に出られない僕にはこれ以上頑張りようがなかった。

最後のベンチ入りの試合は千葉県予選の準決勝、出場はせず決勝はベンチ外となった。

そのままトップチームで練習はするものの、本大会までで先発メンバーに名を連ねることができなかった。それどころか、ベンチメンバーにも入ることができなかった。
選手権の登録メンバーは30人。ベンチ入りメンバーが18人。つまり残りの12人は試合に絡めることはなく、「サポートメンバー」というような位置付けだ。察することができたと思うが僕はその12人のうちの1人だった。

本大会のほとんどの試合はベンチには入れなかったが、スタンドで応援ということでもなかった。サポートメンバーはベンチ裏の段差のあったスペースで試合を見ていた。

チームは苦戦を強いられてつつも、自分の高校ながら他の高校にはない真の強さが感じられた。それは試合を見るだけで感じ取れた。正直見てるだけだったけど負ける気はしなかった。あっというまに準決勝まで勝ち上がった。

この時点で、自分が試合に絡めることはないんだなと感じていた。本大会に向けてのアピールできる場は既に終わっていて、誰かが怪我でもしない限り自分に出番は回ってこなかった。闘争心がむき出しの状態ならそれを望む人もいるだろうが、自分にはその時点で野心はなかった。

というのも、大学は既に関東一部に所属していた桐蔭横浜大学への進学が決まっていて、そこで勝負しようという気持ちでいた。今思えば、最後まで高校で持っている力を発揮するのに注力しなければいけなかったのかもしれないとも思うが。

予想外の展開に

準決勝。正直記憶が曖昧で、最初はスタンドで全員で応援していたと思う。試合の途中で、もし負けた場合すぐに表彰式になるからという理由でサポートメンバーの12人はスタンドからロッカーに移動した。そして自分たちの試合をロッカーで、テレビ中継で見た。

「これ、俺たちの試合だよな?」

そんな気持ちになった。気持ちを割り切って声を枯らして応援することもできず、ベンチを温めることも、ましてはピッチを駆け回ることもできない。

試合は諒也(現FC東京:日本代表)のゴールで先制したが、終了間際に鈴木徳真(現徳島ヴォルティス)にゴールを許し延長戦にもつれた末PK戦となった。

その時僕は、ユニフォーム姿にランニングシューズだった。試合に敗れたらそのままピッチに入り、表彰式に参加するためだ。PK戦はロッカーではなく生で見ることができた(自分の試合なのに...)

でも、ピッチは目線の高さにあった。埼玉スタジアムの少し下がった段差から、目線を上げ、PK戦を見ていた。
前橋育英が全員成功したのに対し、うちは優也(現大分トリニータ)が外し、激闘の末準決勝で敗れたという結末だ。

試合が終わり表彰式のため、僕はランニングシューズでピッチに足を踏み入れた。試合後ではあったが芝生の感触はとても良く、サッカーがしたくなった記憶がある。そのまま整列し、首に銅メダルを掛けられた。その後、写真撮影とスタンドへの挨拶をしたが、当日僕の行動を端的にまとめると

移動→応援→ロッカーに移動→テレビ観戦→PK戦をユニフォーム姿で観戦→ランニングシューズで表彰式→スタンドに挨拶→チームの備品の片付け

こんな感じだ。マネージャーをやれと言われてここまで這い上がってきたのに、ラストのところで手が届かずに、マネージャーのような業務をこなすラスト。悔しくないわけがない。チームのために走りまわることもできなけらば声を枯らすこともできない。試合に出てないのに1試合でこれだけ悔しい経験をできるのは稀だと思う。

友達は試合を見に来てくれたり、刺激を受けたと連絡をくれたりしたが、自分は何もしていない。当時のもどかしさは言葉で言い表せないものがあった。


悔しさを活かすために

振り返れば日本代表に選出される選手やJリーグを舞台に活躍する選手が多い中でこれだけの激闘を間近で見れたことはとても貴重な経験だ。それでも悔しい思いをしたことに変わりはない。

与えられたチャンスを生かせるかどうかはその時の実力や気持ちの強さだと思う。でも、チャンスを与えられるまでには、死に物狂いの必死さが欠かせない。

先にも述べたが、もし僕が当時、誰かの怪我を望んでまで試合に出たいという野心を常に持ち続けていたらどうなっていたか。監督に直訴してまででもベンチ入りを望んだら、状況は何か変わったのか。

今更何を思ったところで変わりはなく、これをこの先々に活かすことを考えなければいけない。

チャンスを与えられるまでは、どんな形であれチャンスを求め続けなければいけない。貪欲に。そしてそれを継続しなければいけない。それはチャンスが与えられたときにそれをしっかりつかむためだ。

当時何もできなかった僕は、もどかしさと引き換えに、チャンスに対する意識が変わった。

今後僕には大きなチャンスが必ず訪れる。それまでチャンスを求め続ける。そしてそれをものにするための努力を継続する。

あの時のユニフォームが汚れることはもうないが、それ以上に今の自分が汚れるくらい、頑張り続けたいと思う。

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最後までご覧いただきありがとうございました。
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