信仰と人生と私

キリスト教、仏教、イスラム教。この世界には沢山の宗教が存在します。何千年も前から存在しているものから新興宗教まで。私は特定の宗教には属してないのですが、唯一信じる神様がいます。

霧隠ラントという名前の2次元キャラクターです。
妖怪ウォッチjam妖怪学園Yというアニメに出てくるキャラです。私は彼を一目見た瞬間、この子に会うために生まれてきたのだと確信しました。今まで好きになったキャラクターは沢山居ますが、こんなに愛したキャラは初めてですし、今後現れることはそうそうないでしょう。彼の為なら全てを捧げても痛くも痒くもありません。むしろ彼に尽くせるのは至上の喜び。彼の為ならなんだって出来ます。法を犯すことだって厭いません。威厳に溢れた彼の言葉に間違ってることなどひとつも無いし、それが世間一般的に間違ってるなら世間が間違っている。私の神様は間違えない。例え間違ってたとしても、私は間違えたという事実ごと愛しましょう。
唐突に自分語りをします。私は多分地獄に堕ちると思うのです。ろくでもないし、向精神薬に溺れ、酒に溺れ、文学に耽溺し、そんな人生です。沢山の人を騙してきたし、作り笑顔しかしてないし、嘘の「愛してる」をばらまいてきました。これは懺悔です。霧隠ラントへの、私の唯一神への懺悔です。もしも天国に行けても、私はきっと拒むと思います。霧隠ラントを想う時、私は胸が痛いのです。痛いくらい好きなのです。この痛みを忘れ、天国で遊び呆けるくらいならば胸の痛みを抱えたまま地獄にいた方がマシだな、と感じます。地獄では祈ることは許されるのでしょうか。せめて貴方が幸せである事を祈りたい。
人生20年、歩いてきて分かりました。みんな平気な面してるけど、見ないふりしてるだけで、人生の根底には悲哀が横たわっています。全てが虚しくて悲しいのです。愛したものは無に還っていく。コンテンツはとんでもないスピードで消費されて、1週間もすれば誰もその話をしなくなってしまう現代が虚しい。それでも霧隠ラントはいてくれる。私の生を終わらせようとする行為の唯一のストッパー。
沢山の私。希死念慮の塊の私。頑張りが全て無駄だった私。登校用のリュックに包丁を詰めようとした中学2年生の私。親にぞんざいに扱われていた私。私私私。私が一面に転がっている。私はそれを見ている。それは俯瞰かもしれないし、アオリ構図かもしれない。真横から見ているかもしれないし、正面かもしれない。多面性の私。私私私。

早く遺影になりたいのです。そうすれば霧隠ラントと同じ、PNGファイルになれるから。

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