審美性

大学生を名乗れる期間も今月がラストということで、金がもっと稼げて嬉しいような、遊べる時間が極端に減りそうで悲しいような思いをしているぐっちー23歳です、どうも皆さんこんにちは。
将来はめっちゃ稼いでめっちゃ遊んでやる。

どうでもよさげな将来の抱負をかましたところで話は大学の話に戻しますが、経営学部生の私は「デザイン経営」というものをテーマとしたゼミに所属しておりました。名前だけ聞いてもなんかおもろそうよね。
担当の先生がかなり個性的で、皆から愛されると言うよりかは好き嫌いが別れやすい人ということもあり、ゼミに入る人はかなり個が強い人が多かった。明らかに弊大学経営学部生の中でも異彩を放ってる人が多かった。自分の世界に入り込めるタイプゆえかな。
そんなゼミで学ぶ上で特に大事にしていたのが、そのゼミの先生が講義の中で触れた「審美性」というワード。簡単に言えば美的センスであり、審美性を高めるほど美的センスが高まり物事に対する美しさの感受性が広がる、ってニュアンス。
自分も過去に感受性が高まってる時ほど学業で良い成績を残せた経験があるから、この審美性を磨く癖を身につけたいと思っていて、そういう事もあって旅をする時は色んなとこに出かけたりする。一人旅で車を走らせては行ったことないとこ行ったり、案内看板だけ見て鳥取行ったり。

ただ意識をしてもふとしたタイミングで審美性を磨けなくなると、美的センスが弱まったりして物事が上手く回せなくなったりする。就活の時とかは心に余裕がなくてめっちゃしょぼなった記憶。

いい時の感覚が大学1回生の冬休みから3回生に入る直前まであったけど、消えていたその感覚が先日ふと戻ったような気がしたきっかけがあった。

その日は上記のゼミで仲良くなった女の子が自分でお店を出店しており(いや凄いわ)、珈琲を堪能しに神戸は御影にある弓弦羽神社に赴いた時のこと。
神戸のサッカーに縁ある神社であったり、その名からフィギュアスケートでオリンピック2連覇を果たした羽生結弦選手の聖地的扱いを受ける場所でイベントがあり、そのイベントの出店するとこに遊びに行った時に、神様にご挨拶した後たまたま見かけた一輪の桜を見かけた瞬間にあまりの美しさに感性が生き返ったような感覚に陥った。

これはあくまで俺の感覚論の話やけど、あまりに美しすぎるものは、性的興奮などではなく、人間の三大欲求をはるかに凌駕してまで本当的に美しいと思わせるがために「えろい」ってワードが相応しいって思うことがある。
言わば「美しい」の上位互換が「えろい」。

今回はその「暖かい春の陽射しを受けて神社に咲いた一輪の桜」にその「えろい」に近しい感覚を抱いた。一つのものに対してここまで感動したのはその2回生以来であり、間違いなく審美性が高まってきていること故の結果である。

この審美性は失うと確実にその後の生活に面白みが無くなることを理解している分、電車の中でスマホに夢中になって感動できる機会を逃したはならないと思った。
そういうのも含めて、旅行とか行きたいし、小さなことでも感動できそうならしたいと思った、そんな今日この頃。

審美性が磨かれると人生めっちゃおもろいのよ。
最高に楽しい。

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