やばい?

 幼少期から片鱗のあった人間不信・恐怖的な性格が20を超えいよいよはっきりとした自分の人格として定着しつつあり、この性格を抱えて過ごす以降の人生に不安と鬱屈と恐怖を抱えている。というか、過ごせる気がしない。急に心臓止まらないかな?理想をいえば突如煙のように跡形もなく存在が消えないかな?という気持ちがある。

 家族がだいたい嫌いである。自分が嫌っているから向こうも嫌いであろう。嫌いでない家族には申し訳なさでいっぱいである。

友人もいない。いるにはいたが自分が逃げたり遠ざけたりしたのでいなくなってしまった。恋しさはあるがこういう人間との付き合いは断つのが相手のためであろう。一定以上距離の近付いた人間に対して負以外の感情を与えられる気がしない。

体力もない。どんなに早く寝る・どんなに良好な入眠をしても朝起きると疲弊している。覚醒から起床まで2時間くらい必要であり、しかも必ず起床できるとは限らない。

 人生で常に「早く終わってほしい、早く楽になりたい」という気分で生きてきた。通勤通学の行き帰り、授業中、部活動、もしかしたら友人との楽しい会話や外出の最中でさえそうであった。いったん始めるとなんでも「はやく終わって欲しい苦行」であった。何かをしているということ自体が苦痛である。

 かわいい子供の頃はそれでもよかったかもしれないが、行動の責任が親ではなく自分のものになるにつれ、こういう性格や苦痛は自分の人生にきっちり牙を剥いた。

 最近は人生の数歩先を考えると「いや、それは嫌だから死ぬか……」という発想に移る。生活苦になったら、与えられた課題や仕事をこなせなかったら、病気や怪我をしたら。これはやばい兆候だろうか?「やばい人間は自分をやばいと思ってない」という意味の言葉が世の中にあるのでやばいかもという自己疑念を持っている自分はまだギリギリ正常だろうか?真夜中に奇声を上げて駆け回ったりはしていないし、お店で外食したり買い物をすれば店員さんと軽く言葉を交わすことはできる。ぶちぎれて口論になったりお偉いさんを呼ばれたことはない。仕事もてんで指示が理解できないし仕事ができないのでクビということにはなっていない。しかし自分の精神になにかしらよろしくない黒々としたものがあるという感をぬぐえない。

 会話する人間がいないので考えたことをここに書き残すことにした。もやもやを消化できるし、もし死んだらこれが遺書兼生きた証で効率的である。それにあわよくばゼニもほしい。思いついたことを節操もとりとめもなく書く。週1つ以上書ければいいね。おわり。

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