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略奪者。

【コロナが憎い】
嘆いたところで何も変わらない。変わるはずがない。そんなことは分かりきっているけれども日常が奪われて2年半以上の時が過ぎてしまった。つい嘆きたくもなる。憎たらしいウイルスが蔓延始めてから日本の分断は加速の一途を辿っている。「1億2千万人」日本にこれだけの人がいれば思想や信条はそれぞれにあって、意見や考え方が人それぞれ違うことは至極当然のことである。「同じ日本人」が困り、助けを求めているのであれば手を差し伸べて少しでもその人の力になれるように努めるべきである。しかし今の日本人は自分と異なった意見や価値観を持つ人を敵と見做して傷つけるようなことを平気でしてしまう。SNSを開けば言葉の銃弾がそこら中で飛び交っている。銃弾は時に人の心を貫通させて死(精神的あるいは肉体的)に追い込むことまである。こんなことが日常的に起きていると考えると心中穏やかではいられない。しかしこの現状を変える方法を考えてみても良い案は浮かんでこない。自分に出来ることと言えば同じことをしないように精一杯気をつけることである。

【真実は1つではない】
「真実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」
哲学者"フリードリヒ・ニーチェ"の言葉だ。
コロナ禍の今、言葉通りの世の中であることを痛感させられる。
例えばワクチン。
世界の至る所で推奨派と反対派が、ぶつかりあっているがワクチンが絶対に安全であるという真実はないし、絶対に危険だと納得できる真実もない。あるのはそれぞれの意見や解釈だけである。情報に溢れかえった現代において人々は自分に心地が良い解釈を見つけ、それを真実と思い込み己の正義を確立させている。その正義が異なる正義を見つけては攻撃をして互いにぶつかりあっている。ぶつかることは悪いことではない。しかし正しくぶつかり合わないと人を死に追い込んでしまうことだってある。
(先行き不透明で不安に押しつぶされそうになる現代において自分にとって都合の良い解釈を取り入れることによって心の平穏を保っているのであると考える)

【ぶつかるとは】
小学生の時、先生たちはよくこんなことを言っていた。
「みんなと仲良くしなさい」
大人になった今、この教えは本当に正しいことなのかと疑問に思う。
みんな仲良くしましょうは偽善に満ちた教えではなかろうか。
ぶつかってしまうことは生物学的に避けられないことではなかろうか。
自分と違うものに警戒することは動物の本能的な働きであって自然なことである。
合わない人と仲良くしようと無理に頑張ると何が起きるか。歪みが生じてコミュニケーションが不自然になってしまう。不自然さは必ず相手に伝わってしまい良い関係が構築されることはない。子どもたちはぶつかることを避けるあまりに向き合わないといけない事から距離を置いてしまう。それ故に他者を理解することができず些細なことがきっかけで誤解が生じてしまい、大きな争いに発展してしまうのだ。
真に子どもを想うならば、ぶつからないことを教えてはならない。
正しく衝突しながら他者を理解していこう。

【奪われた子どもの日常】
人生100年時代と言われる現代において子どもの期間は余りにも短い。
産声をこの世に響かせてからたったの18年間しか子どもでいることができない。
自我が確立して社会と関わり始める年齢を考えるとその期間はもっと短い。
その貴重な時間が2年半も奪われてしまった。この時間はどう足掻いても取り返すことはできない。だからコロナが憎いのだ。入学式も卒業式も修学旅行も部活動も今しか与えられていない。どの行事も来年やろうというわけにはいかない。本来得るべきはずだった素晴らしい経験や尊い思い出を丸ごと奪われてしまった。大切なことを根こそぎ奪われた子どもたちが、社会を形成するようになった時どのような社会を築いていくのだろうか。

【感謝】
「感謝をしなさい」私が中学生だった頃、顧問の先生に百万回は聞かされてきた言葉だ。当時の私は感謝をする本当の意味を理解できずにいた。
感謝をしていれば良いことがきっと起きるのだろうとなんとなく考えていたぐらいだ。
本当の意味は最近になって気付いた。
『感謝の気持ちを絶やさない人が幸せを掴んでいるのだ』
生きていると苦しいことに直面してしまうことがある。
そんな時に「なぜ自分だけこんなに苦しいのか」とネガティブになってしまうのか、
それとも「この苦しみは自分を成長させるために与えられている。自分なら乗り越えることができる。成長の機会を与えてくれてありがとうございます」と絶対肯定の念と感謝の気持ちを持つことができるのか。
状況を好転させることができるのは後者の考えを持つ人であろう。
何も不自由することなく生活ができてしまう豊かなこの国にいると、感謝する気持ちをつい忘れがちになってしまうが意識を絶やさずに日々を過ごしていきたい。

【最後に】
拙い文書を最後まで読んでくださって感謝いたします。
コロナが流行り出してから何だか心苦しい日々を過ごしている方が多くいるはずです。
スポーツのコーチをしていて子どもたちと接することが多いのですが素晴らしい時期を奪われ続けていることがとても切なく悲しい気持ちになります。
冒頭に書いた通り、コロナが憎くて仕方がありません。しかし憎しみからは良いことは何も起きないので自分にできることを模索しながら日々を過ごして参ります。

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