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20190331(Sun.)

バキバキのモード服とガツンと目立つダークブラウンのルージュを引いて、世界に挑めるような気がした。毎日うつむきがちな目、前を向いた。ヘッドホンから流れるフィオナ・アップル、最高に準備万端にしてくれた。
だけど大阪の家に帰ってきて化粧を落としてシャワーを浴びて本を読んで眠りにつくころ、何者でもないわたしが浮かび上がる。29を目前に控えた今なお何者でもないわたし、空っぽのわたし、部屋にたったひとりで。

活動休止していた好きな歌手がまたアルバムを出すということで、予約するときトーク&ミニライブの応募券つきの盤も選べるということだったからわたしの絶望的なくじ運ではどうせ絶対当たらないんだからせっかくなんだし応募するだけしといたらいい、だって絶対当たらないからとものすごく確信して応募券つき盤を予約したら先々週くらいに「ご当選」から始まるメールが届いて夜中の地下鉄四ツ橋線なんば駅のホームでひとり飛び上がったのだった。あれは何を観に行った帰りだったかな、たしか『メアリーとエリザベス』だったかも。

金曜日で一応年度末ということでいろいろとこの日にやらなきゃならないことがいくつかあって、それも去年ほどじゃないもののやはり疲れることは疲れるもので、ふと、これが終わったら春の服を買いに行こうと思い立って、土曜。お金を下ろして整体に行って美術館に行っておしゃれなランチを食べて買い物に出かける。最近よくお世話になってるブランドがあって、アクセサリーブランドも立ち上げるというからポップアップショップも見に行って、もちろん服も見に行って、結局試着しまくって、で、あなたはこれ着てどこ行くの?と聞かれたらちょっと答えに窮してしまいそうな攻めたデザインのお洋服、トップスにボトムスにその上大ぶりのネックレス、をまあ、ボーナスでも出たんか?と思われるレベルに買ってしまったわけですね。やらかしてない?と思うレベルの金額でした。
それからune nana coolがリニューアルしてて、ここの下着いつか買ってみたかったところだったのでまた立ち寄って久しぶりにサイズも測ってもらってノンワイヤーブラジャーの着心地のよさにちょっと感動して、またほいほい買ってしまった。きっと土曜だけで10万は使ったね。

だけど古くてどーしようもない下着をもうこれで躊躇なく捨てられるのだと思うとようやく、ようやく楽になったような気がした。下着のことには手が回らないのに外側だけあれこれ気を使うなんで、下品だなとも思う。でもそんな鬱屈した日々はようやく、これで手放すことができるの。

朝早く起きて気温的には今年はこれで最後かなあと思う服を引っ張り出して、昨日買ったばかりのワイドパンツを早速おろして、ネックレスもつけて、化粧だってシャドウにラメにラインに余念はなく、戦闘力だけ、上げに上げる。だれと張り合うつもりなのかもわからないまま。
新幹線の東京・大阪移動は出張のおかけですっかり慣れて、東京とかふつうに行けるくね?と、軽く考えるようになってしまったのが弊害と思う。新幹線、片道1万4000円するのよ。
バカねえ。

だけどいろんな人のエッセイで、好きなバンドや歌手がいるならそのときそのとき会いに行くのがいちばんなんだってみんな口を揃えて言う。たしかにそうだと思う。わたしだって鬼束ちひろ武道館ライブも、フィオナ・アップル日本ツアーだって行きたかった。自分で働いて交通費分出せるようになった今、取り返そうとしたっていいじゃん、だってわたしのお金なんだから。

ずうっとずうっと歌い続けてる人、書き続けてる人、そんなひとたちの作品を聴いたり読んだりして、未だ何者にもなれずこんな年になったわたしのことを思って、寒い部屋で憂鬱になる。わたしに夢と、これと思える夢と努力が今この時点できちんと積み上がっていたなら今どうなってただろう。天野月にも老いへの葛藤とか才能の枯渇への絶望とかあったりしないのかなって、彼女が楽しげに笑うたび、彼女が新譜の収録曲の裏話を楽しそうに語ってくれるとき、わたしはつい考えてしまう。
帰宅してから山内マリコ氏『あたしたちよくやってる』を読み終えた。覚えのある感覚、感情、卑屈もコンプレックスも隠さない人物たち、だけどマリコ氏はそのみんなに対して『あたしたちよくやってる』んだと思って、泣いてしまった。わたしが「よくやれて」るかどうかは、わたしには決められないけど。
ちなみに『あたしたちよくやってる』は、「リバーズ ・エッジ2018」が再録されてて本当に、それだけで、嬉しかったの。岡崎京子版「リバーズ・エッジ」への深い愛と、今を生きる10代の少年少女たちへの深い愛がこの短編に詰まってる。読み終えたとき、ばたばたと泣いてた。

岡崎京子の漫画に救われたときもあった、山内マリコは寄り添ってくれる、ずっとずっといつまでも金原ひとみを応援してる、だけどそうやって漫画や文学を心の拠り所にして生きててもいい時間って、自分が思ってるよりずっと少ないのかもと思うとまた、落ち込む。先のことを考えると例外なく落ち込む。不安で、ただ不安で。いつかはわたしも30代になる、これこそはわたしの服、と思ってた服でも従姉妹にあげてしまった、これからどんどんまだまだいろんな服が似合わなくなる、わたしは誰とも付き合えないまま、周りは結婚したり子供が産まれたり。

だったら、せめて作品を生み出したいと思うけれど、この先ぽつぽつと書き続けていったところでわたしがこの分野で名を上げるなんて、いやいやそんな、勇気なんてもう枯れてるのに。
だけど、残さなくちゃまた不安が押しつぶしてくる。今の暮らしに鬱屈してるなら、自分がこれと思うことに走ってみろよと、そうねごもっとも、できないから、職を失うお金を失うのが怖くてそんなこと言いたくても言えないだけ。

わたしはもうすぐ29で、書き上げた作品たちもどんどんわたしから時間がずれていって、そうこうしてるうちに何者でもないわたしの出来上がり。
だれかわたしを見つけてよって思う。とっても自分勝手な、受け身な、わたしだったら褒めたくない態度でいる。それでもだれかわたしを見つけてよ。わたしになにかをもたらしてよ、わたしを、何者にもなれないままここまできたわたしになにか、いいことがあってよと、惨めさもかなぐり捨てて思うよ、わたしは見いだされたい。

バキバキのモード服でいるときだけ心は無敵。ルージュを落として部屋着に着替えてすっぴんに裸足で冷たい床に座り込むのは何者でもない、ただのわたし。
東京の桜はもう散り始めていた。虎ノ門エリアは工事されまくっていて、休日のオフィス街に用事のある人もいなかった。
帰りの新幹線の窓から見えた富士山は、今まで何度も往復してきたなかでいちばん見事に晴れて、冠雪も美しい夕日に照らされた富士山だった。

男ウケとか。ガツンと来る真っ赤なルージュやダークブラウンのルージュをためらいなく差して、世界睨めよ睨んでやれよ。魔法が解けた何者でもないわたしと寄り添ってベッドで寝る、そんな夜にしくしく泣いたって、それでも自分のためにそのルージュを大事にしなよ。山手線渋谷駅で、涼しい顔してホームに立ちなよ。

ようやく春かなと、少しずつ暖かくなってきて服も身軽になっていく頃。だけど今夜は少し寒いから、久しぶりに湯たんぽを入れた。そういえば年末にやらかした低温やけど、まだ全然痕が消えてない。足だけずっと冬を引きずって、だけど否応なしに春なんだ。世界の片隅のわたしの左足の冬なんかに構ってられるほど春は暇じゃない。春なんだ。否応なしに冬は溶けた、春を生きてるんだよ、わたしたち。

#日記 #diary #雑記

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