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わたしが誰かなんてどうだっていい(i know who you are) -20190727Beautiful World

台風が三重県に上陸し、6時のアラームを盛大に無視して7時を過ぎて飛び起きて、新幹線の中で化粧をして、山手線から新宿で中央線に乗り換えて降り立った地、阿佐ヶ谷。高円寺駅に電車が停まったとき、かつて大学を卒業する直前のあの1月のことを思った。社会人になる手前これがきっと最後のチャンスなんだと思い、勇気を出して自分の脚本を選んでくれた女子校演劇部の上演を観に行った、自分の脚本が自分以外の人に演出された舞台を映像じゃなく初めて自分の体で観に行った日のことを。

その5年前の高円寺を通り過ぎ、降り立った阿佐ヶ谷。雨傘を持っているのが少し恥ずかしくなる日差し、吹き抜けてくる風の強さに一瞬、台風の気配。コインロッカーを使おうとして100円足りなくて、みどりの窓口の駅員さんに両替してもらい荷物をひとつ突っ込んで歩き出す商店街。

昼食を食べてドトールで時間を調整して商店街を引き返すとさっき通り過ぎたときにはなかった立て看板が置いてあって、その両隣で部員の方が呼び込みをしていた。できれば声をかけて立て看板とか写真撮りたかったのだけど恥ずかしくてうつむきながら素通りしてしまった。
小劇場、阿佐ヶ谷アルシェはその商店街を脇にずれた細い筋に、めちゃくちゃシンプルな看板だけが出っ張っていて建っている。

入り口から覗き込んでみると地下へ続く階段があって、その階段の突き当たりの壁に「アルシェ」と書いてある。恐る恐る下りていくと人の声が聞こえてきて安心する。受付の女の子たちに私のことをどう説明したものか迷って、結局「作者です」なんてストレートに恥ずかしいことを言ってしまった。これは一歩間違えると詐欺の手口にもなり得る。
客席は2列、ざっと見て20席ほどしかなく、迷った末、前列の隅に座ることにした。
開演までの間、美術を手帳にスケッチしていた。上手のカウンターの上には小さなコーヒーミルとカップ。下手に作られた棚の上に載っている地球儀の隣にあった本、「GALVESTON」とあって、ガルヴェストンのガイドブックだろうかとぼんやり思う。エル・ファニングの顔が脳裏をよぎる。
そして青く輝く星空のカンバス。
私が高校3年生で発表した『Beautiful World』の世界が静かに、開演を待っている。

照明が落ちないまま中央奥から喫茶店エプロンを巻いたジュンが登場し、今ここに流れている音楽はそのまま喫茶店のBGMだったのだと気付いた。彼は黒い手袋をはめた両手で丁寧にコーヒーを淹れて、店の中をゆっくりと歩く。壁に飾られた写真を見て、星空のカンバスの前でしゃがみこむ。ここでようやく暗転し、物語が始まる。
私はこの演出の意図にすぐに気づけなかった。しかしこれは私が確かに脚本に書いたことなのだ。中盤でキョーコがヒビキに語って聞かせたじゃないか、「一人でいる時、彼はこの絵を眺めていることもある」と。
私は自分の書いたことの全てを自ら把握し切れなかった、自らの手で演出し切れなかったことを10年以上経って、まだ、様々な側面から気づく。自分が書いたものなのに、知らないことがたくさんある。

本当に小さな舞台だった。ジュンもヒビキもキョーコも私のすぐ目の前までやってきた。それは、小さな喫茶店という場所を舞台にしたこの脚本にはぴったりの場所だったと思った。私が自分で演出し、上演したときに使った劇場よりも、はるかに適した場所だった。
思えばこの脚本はこんな小劇場で上演されたことは、私が演出し初めて人の目に出した11年前のあの日以来、あったのだろうか。けれど、たとえ無かったとしてそれは当然のことでもある。これはもともと高校演劇として書いたものだ。だからこれまでにもらった上演連絡でも地区大会用として、というのが多かった。地区大会用ということはそれなりに大きなホール、大きな舞台になる。けれどあまりに凝った美術や照明にはできない。前にも後にも他の学校がある、仕込みの時間は限られている。その中でできることにはどうしても限界がある。
それはそれで良いのだ。年に一度の大事な大会に使ってもらえるのもとても光栄で、もちろん嬉しいことだ。限られた時間の中でも素晴らしい舞台に仕上げてくれる学校だってたくさんある。
けれど、こんなふうに、高校演劇よりも潤沢な予算で、仕込みにも時間をかけられて、音も光も設備の充実した場所で立ち上げられた「我が子」は今この瞬間どんなに幸せだろうと思わずにはいられない。
今、どんなに幸せだろう。親の私でもしてやれなかったことを、10年以上経って、大切に手をかけて仕上げてもらえたということは。

私はこの作品に何を込めたかったのかを、正直言ってもう上手く思い出せない。思い出せることといえば、手帳に思い浮かんだキーワードをとりあえず全て書き出していって、ふと出てきた「Beautiful World」という単語を見て、これがタイトルになるのかもしれないと漠然と思ったことや、進学校の高校生で早く今日の目標分を仕上げて勉強しなくちゃと思うのに、2時間かけて2行しか進まなくて苛立って不貞寝して、を繰り返していた執筆期間や、全く結末が見えないまま書いていたのに最後の1枚で全てが繋がって自分でも驚いたことや、当時のBUMP OF CHICKEN最新アルバム「orbital period」をひたすら聴いていたこと、みたいな周辺の状況くらいで、作品に込めた意図は、とか、作品への想いは、とか聞かれると困ってしまう。おそらく、書いた17歳の私に聞いてもきっと彼女は困るだろう。
しかしそれでも、何がそんなに辛かったのか、自分もまだ17歳の少女でしかなかったのになぜこんなに生きづらい少年少女を主人公に選んだのか、今になってようやく不思議に思う。
「絶望の果てにその目に映る 奇跡のようなBeautiful World」
このコピーは私が当日パンフレット用に書いたものだ。
17歳の私に世界は一体どんなふうに見えていたのだろう。

しかし年々、自分が書いた脚本であっても私個人のパーソナリティとは関わりがないのだと思うようになった。私は不可逆的に年を取っていって、考え方も流動し、書いた当時の自分を完全な状態でいつまでも保ち続けることはできない。それに、今となっては私の演出による「Beautiful World」を観た人たちの方がこの世には少なく、しかも10年以上前のたった一度きりの出来事で私だって忘れてしまったことがたくさんある。
私自身の「Beautiful World」は完全に停止してしまっている。けれどこの脚本はwebに掲載したことで私の手から離れることに成功し、その時々の様々な人を渡り歩き、そのたびに新たな解釈を付与されてまたどこかへ流れていく。演じる側にも何らかの解釈があり、観た側も10人いれば10人違うことを思うだろう。観客の数だけ解釈というものは存在するだろう。
となると、私がかつてどんな人間であったか、私がかつて何を思っていたか、そんなことはもはや重要ではない。問題にもならない。生身の私を知る人の方が少ないこの世界で、そんなものは追いかけようがない。また、よしんば私の個人的側面を知っていたとしても、それ自体に意味はない。
作品とは、自分を生み出した人間と時間的距離が離れていけばいくほど、自由になれるものなのだろう。親を自ら捨ててこそ作品と呼ばれるべきなのかもしれない。多様な解釈を生み出すためにはかつて存在したたった一人の作者のパーソナリティなど無視されたっていい。
ただ、「キリ」という人間がかつて存在し、これを書いたという事実だけが残れば充分なのだ。

それでも、17歳だった私の無知には今でも苦笑が漏れる。毎回どの演劇部、劇団もうまいように言い直してくれているが、コーヒーは温め直したりしないし、ヒビキは「一緒です」と言うがカレイとヒラメは全く違う魚だ(しかしヒラメの方が高級魚なので、キョーコの家が金持ちであることを皮肉にも裏付ける表現になっている)。
そして時間を経るたびに、私はキョーコの思想を理解できなくなっていく。書いた当時は誰の感情にも一貫性があると思い込んでいたが決してそんなことはなく、矛盾はいたるところにある。中でもキョーコの矛盾は致命的だと思う。結局彼女はジュンとヒビキに何を望んでいるのか、どう生きてほしいのか、読み返すたびに理解できなくなっている。キョーコが主張する「普通」とは一体何なのか? しかし17歳の私に問い詰めたところで答えは出ないだろう。何も考えずに書いたからこそ矛盾が矛盾として残っているのだ。
だから毎回、キョーコを演じる人には内心申し訳なく思っている。誰かうまいこと書き直してくれないかなと思ったりもするけれどそんなことも叶わない。

のだが、今回のキョーコ役松澤さんはとてもよかった。作者の立場でお名前を出すことには迷ったものの、感想を書くにあたりやっぱり、彼女と演出の中村さんが成したことは私に深い感動を残したことをここに残しておきたい。
キョーコの作り方に、私はとても救われた。と言うのは、私がつくづく矛盾だと反省していたキョーコの台詞に私が思い至らなかった流れを作ってくれたからだ。作者と脚本の関係性が一度切れていることはこういうところでも良い作用をもたらす。私はどうしても私の頭でしかものを考えられない、キョーコの考え方にも別の可能性を考えられなくなっていた。けれど物語の全体を掴み、結末に収束させるのには私が思うより多くの道筋がある。私がこれは鍵だと思っていた台詞を軽く流し、次の次あたりの台詞に感情のピークを持ってくるだけでその人物の思考は全く異なる様相を呈する。松澤さんのキョーコは、私が想定したキョーコの感情の流れと必ずしも一致していなかった。しかしそれによって、私はキョーコが「見えた」ような気がしたのだ。具体的に何がどう、と言うのはあまりに感覚的で私にも言語化が未だできない、けれど見えたのだ。彼女の一貫した感情が。
上演を観ているとき確かに、キョーコ、あなたの考えはそういうことだったのねと、強烈に思ったのだ。松澤さんの声にも表情にもキョーコがいた。私にとって予期せぬキョーコだった、けれど確かに、私が書いたキョーコであり、私が成し遂げられなかったキョーコだった。
松澤さんだけではない。他にも「そういうこと!」と思う演出や演技がたくさんあった。ジュンの手袋なんて、私が思いつかなかった方が不自然なくらいによくできた設定だった。それをエンドで外すというのもまた良い。その、一度は嵌め直そうとしてやっぱりやめるジュン、山田さんの一連の表情と動作も素晴らしかった。ヒビキも私が書いた彼女とはまた違う感情の流れを持っていた。あの脈の取り方は初めて見たのだけど、無知ゆえの感覚だがなんだか専門的に見えて、ああこの子はやっぱり病院の人間なんだなと腑に落ちた。くるくると表情が変わり、突き抜ける素晴らしい声を持った、少し気が強くて魅力的なヒビキ、本多さんだった。(なんて華やかなお顔をした人なんだろうと思っていた)そして一瞬現れるユキオ(原作では「サチコ」という女性で書いた)なんだこの異様な存在感は……と圧倒されてしまった。「回診」の言い方がよかった。白い巨塔にいそう。ユキオについてはダブルキャストだったそうで、もう一人のユキオはどんな人だったのかなと思いを馳せている。
そして演出の中村さんは「普通の日常の中にある美しさ」というコメントを寄せていて、それ自体が私には意外だった。前述の通り、私はこれは「絶望しかなくても見出される光」の物語だと思っていて、喫茶店の日常というのも、絶望まみれの世界からジュンを守るためにキョーコが作り上げたせめてもの箱庭という印象が強く、言ってみればこの日常は「作為的」Beautiful Worldだと思っていた。という、私自身が懐疑的だったこの世界に「普遍的」美しさを設定し、それを演出の軸とした中村さんの感性には深く敬意を表したい。私にも大いに刺激されるものがあった。

私はまたひとつ叶えてもらった。私と10歳離れた人たちは私を超える想像力を持ち、「Beautiful World」をより良い形で作り上げてくれた。
これは所詮比較のしようがない感覚ではあるが、『Beautiful World』については、どの高校演劇部、演劇サークルもひときわの力を込めて作り上げてくれているような印象を受ける。大きな熱意と、誰しもにそれぞれの切実さを感じる。それが、高校生や大学生の若い人たちの日々の辛さや悲しみ、でも生きようともがく思いに、この本が寄り添えているということの証なのだとしたら私はとても嬉しいし、書いてよかったと心から思う。今となってはもう二度と会えないが、17歳の私ももしかしたらこんな気持ちだったのかなと、今までたくさんのジュン、ヒビキ、キョーコを見てきて思う。私個人が書いた、個人的な物語が共有され、普遍的な感情が見えてくる瞬間はいつも、何ものにも代えがたい。

初めて自分の脚本を使った舞台を自分で観に行ってから5年。あのとき、これが最後のチャンスかもしれないと思っていた。私の本が上演されるのはもうこれが最後かもしれないと思っていた。それが今、まだこうして私は自分の上演を訪れることができる。私は私の幸せを思う。10年以上経ってなお、自らの台本が再演される機会に立ち会っているときの私は世界でいちばん幸運な人間である。

20190804 → 20190727


(去年書いたやつ。同じことを何回も書いている)

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