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schlaf / 20201031

小学生から中学生までの間、ボーイスカウトに所属していた。ボーイスカウトではだいたい月に一度、一泊二日のキャンプをしていた。自転車でキャンプ場まで行き、テントを張り(このテントを張るという一連の行為にも何か名前が付いていたように思うがもう思い出せない)、夜になったら火起こしから始める料理をしてみんなで食べて、それからロープワークなりの実践的な知識を深めるための活動を少しやって、寝る。そして朝になればみんなでまたテントを片付けて、自転車で帰る。テントの中は大抵寒くて、よく眠れた試しがないのだが、そういえばあの時、寝袋のことを「シュラフ」と呼んでいたことを今さっき思い出した。誰に、どういう意味かを教えられることもなく使っていた「シュラフ」という言葉は、独語で言うところのSchlafなんじゃないかと、これも、今さっき、いきなりぴんときた。寝るってことだったんだね。


船の上に積んだトラックの中から仔猫を見つけた。幸いにも猫は生きていて、私たちは彼女に「エイミー」と名付けて可愛がった。けれど船の上で飼うことには限界があるし、このまま連れていくべきか、船員たちで大いに揉めた。けれどエイミーは、もともと海の中で生きている猫だということがわかり、それならと、海に放してあげることにした。甲板の縁に立ったエイミーは一度だけ振り返って、それから、怖がることなく海へ飛び込んでいった。私が海を見下ろすと、そこにはもうエイミーの友達がたくさん迎えに来ていた。
そういう夢を見て、目が覚めた。


それから白湯を飲んで少ない朝食を摂って、着る毛布をかぶったまま本を一冊読み終えた。とても面白くて興味深くて、知らない知識にあふれていて、心は躍るばかりだった。何かの善悪を判断し、岐路に立たされたときには選択し、自分の意志と歩む先を一致させるには知識が必要だ。知識と、それを適切に扱えるだけの知性。感情だけで人を殴らずにいるために、誤った判断をしてしまわないために、知識と知性は絶対に盾となってくれる。

本はとても面白かったけれどとても頭を使ったので、眠くなってまた布団に潜り込んだ。まだ温かいままの湯たんぽを足で触りつつ、カーテンの外に広がる素晴らしい快晴を眺めつつ、私はまた眠る。


法廷にいた。いや、法廷にたどり着くまでにも、紆余曲折があった。ある女性の冤罪を証明するための裁判だった。その前に、その女性の命を守る必要があった。命の危機に晒されながら、時に法廷においても、いつ誰が襲ってくるともわからない恐怖と戦いながら、私は彼女の素性を、潔白を訴えた。休廷になったところで、また目が覚めた。
長い夢だった。ひとつ、映画を観たような気分だった。なかなかによくできた物語だったと、暗くなり始めた部屋の中でひとり、さっきまで居た夢の世界に向けて微笑む。



何か食べなければいけないのだろうかと考え始めて気づけば1時間が経ち、バカみたいだなと思って次の本に手を伸ばす。途中、インスタントラーメンの存在を思い出して台所へ向かった。足元の戸棚に仕舞ったままだったラーメンは賞味期限が半年ほど切れていた。なぜ私はこうなのだろう。思わずにはいられない。なぜ私は、食べ物にも期限があることを理解できないでいるのだろう。たとえフリーズドライであってもレトルトであっても、食べ物である以上、食べるに安全な期限から逃げることはできない。なぜ私は、これらの食品だけは永遠だと、無条件にも信じてしまうのだろうか。

何の具も乗せないラーメンを食べて洗い物を済ませて、小説の続きを読む。これは本当なら発売と同時に買って、9月には読み終えている予定の小説だった。それが私の、鬱への転落によって一月近くテーブルの上に置かれっぱなしになっていた。金原ひとみの新刊、私はこの作家の作品に対して、こんなに、待たせるようなことをしたことはなかった。本はそこにあってすでに自分のものでいつでも読めるのだから、それはそう。けれど私はこの本を9月のうちに読んでいたかった。

金原ひとみの書く文章を盲信しているわけではないけれど、私は彼女の文章がないと息ができない。ぬるい真水みたいな世界にいて、それこそ、良心と優しさこそが人を救うよねと腑抜けた空気、不倫も嘘も最悪だよねと、最たるものがそれだろう自らの「良心」と「優しさ」の範疇にないものは徹底して排除しあたかもそこには最初から何もありませんみたいな、グロテスクな倫理観に塗り固められた世界にいて、彼女の、不倫サレ妻離婚調停奥さんからの糾弾慰謝料請求そして暴力、それらは確かに「そこにある」と真正面から「悪しきもの」と見なされたものたちの存在を肯定する、その泥沼の中でもがく人間は確かに存在するのだと肯定する彼女の文章を読まないと、私は息ができなくなる。

海に生きる猫であったなら。私も、海に生きる猫であったなら。真水の中で息ができないなら、私も、海に生きる猫であったなら。


どうしてこんなに眠いのだろう。どうしてこんなに毎日が眠くて、休日になれば朝も昼も眠って夜もまだ眠くて、どうしてこんなに眠いのだろう。いつまでも眠っていたい。目覚めたくない。私があの頃使っていたシュラフはとうに捨てられてしまっただろう。けれどあの寝心地の悪さ、つま先から冷えていくあの寒さ、そして、ふたつ上の先輩たちは冬用のシュラフを持っていたのに私のシュラフは夏用だったこと、けれど夏だろうが冬だろうが、あのシュラフは寒かったこと。全く眠るに適さないものであったのに、あれが「シュラフ」と名付けられていたこと。


眠い。私は、ずっと眠い。
シュラフはSchlafと書く。後ろにenをつけてschlafenにすれば、それは「眠る」という動詞になる。aをäに変えて後ろにigをつけてschläfigにすれば、それは「眠い」という形容詞になる。私は、ずっとschläfig。

読んでくださってありがとうございます。いただいたお気持ちは生きるための材料に充てて大事に使います。