20181205(Wed.)この程度の孤独

まとまったお金、自分の予想を超えたお金が入ってくると恐ろしくなって今すぐこのお金のためにひとつ口座を作ってそこに封印したくなる。
正社員として5年目。一応働いていることは働いているのでこのお金を受け取る権利もあって当然、当然なのだろうけれど、どうにもわたしはひとりで、周りの人が子供の習い事代に、とか、家の補修用に、とか、そういう「自分」以外の使い道が今のところ全くないので、お金は確かにあるに越したことはないがやはりびっくりしてしまうのも正直なところ。

しかしこの恐ろしさも明日になればすっからかんに忘れてしまってあれを買うこれを買うの脳内バーゲンが始まるのだろうなと思うとわたしとはつくづく愚かで無計画な人間だと感じる。
ひとまずぼろぼろの財布を新調する、来年の手帳を買う。この次を追って考える。

それにしても果たしてわたしはこのお金に見合った労働をしているのだろうか。
だけどどうせお金は水もの。流れるように流れていくし、わたしにつなぎとめる能力がなければどこにでも飛んでしまう。それを思うと、今、この手元にお金があるということにどれほどの意味があるのだろうか。「お金は使うためにある」それもそうだ。

孤独が高じる。ふと、小鳥はいくらで買えるのかを調べ出して、じゃあ鳥かごは、小鳥のためのヒーターは、とamazonを渡り歩きまくって、やめた。
この程度の孤独に付き合わされる小鳥なんてわたしはすぐに死なせてしまう。
孤独の沼から抜け出したわたしはどこまでも薄情で、かつて孤独の只中にいた自分のことすらも忘れてしまうものだ。それなのに孤独への耐性がどんどんもろくなっていく。もはやひとりがいいというのは強がりでしかないのか。
判断がつかない。

夢の中で性暴力を間近に見たがわたしは眠っているふりをするばかりで何をすることもなかった。やめてよ、いたい、それは痛いだろうと思った。代わってやることはなかった。ことが終わった彼女は何事もなかったかのように部屋を出て行った。階段を下りると彼女は自室でひとり、机の上のライトだけで制作をしていた。わたしはそのままこの家を一周した。一周目は誰にも気づかれなかった。二周目の居間で人に見つかり、チョコレートケーキを振舞われたので食べた。
耳元でアラームが鳴って飛び起きた。5時半、日も昇らない夜の一部。ぎゅっと目を閉じていても蛍光灯は暴力のごとく眩しい。鼻が詰まっている。ゴミ箱にはティッシュが積み上がっていく。

#日記 #diary

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