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他者が「わたし」になるということ―演劇という言語

今年は。メール画面を見ながら思う。今年は、上演許可願の連絡が多い。

わたしは高校と大学で演劇をやっていた。高校時代は脚本も書いていた。なぜ書くようになったかはよくわからない、やってみたかったのだろう。それに創作脚本で大会に出る高校が多かったから、それが当時の主流だったのだと思う。
わたしは高校3年間書き続けた。夏休みを執筆と修正に時間を使いすぎて1学期と2学期で成績を50位ほど転落させたこともある。(こんなに極端に成績を落としたのは学年中探してもあなただけですと担任に叱られ、動転した母親に何故か京大の赤本を渡され頼むから勉強してくれと言われた。高校1年生の冬のことである)しかし大会のたびに、自主公演のたびに書いては直しを繰り返したおかげでそれなりに上達したようで、内外でも評価は上がっていった(と思いたい)。高校3年生の夏、もう演劇部を引退したにも関わらず顧問に頼まれ、初稿以降一切修正は引き受けないという条件で大会用に台本を書いた。また受験勉強も横に置いて台本を書いていることを知った担任は激怒し、職員室の中で顧問の方に文句を言いに行っていた。しかしどうしたことかその最後の台本が予想を超えて好評で、その年の創作脚本最優秀賞にまで選ばれてしまった。賞品として5,000円分の図書カードを貰った。「費やした時間の割には賞品がショボい」と父親に言われた。
大学では劇作はやめた。高校演劇の域を出た世界ではわたしに才能はなかった。高校時代は上演時間60分以内という制約にかなり苦しめられたのに、そもそも60分以上の脚本を書ける才能がなかった。

出来心で、高校3年生のときに自分がそれまで書いてきた脚本をweb公開し始めた。世の中にはそういう脚本まとめサイトがあって、わたしの高校時代あるいはそれ以前からずっと続いているところである。公開しはじめた当初はいつかわたしの作品がと過度に期待していたが、割とそういうことはすぐに忘れる。そして忘れた頃に、どこかの高校演劇部から上演させてほしいと連絡がきた。飛び上がるくらいに嬉しかった。まだわたし自身も高校3年生だった。
それから10年が経つ。未だに毎年3、4件は全国の高校演劇部から上演させてほしいと連絡が来る。10年も前の台本をよく見つけてくるなと感心しているが、それでもありがたいことだ。断る理由もないし、学校によっては後日本番の映像をDVDで送ってくださることもある。とある名古屋の高校演劇部さんは、やり取りの中でいろいろと書類に不手際があったりご迷惑をおかけしたので、ということで名古屋名物きしめんまで送っていただいた。すごい。わたしが初めて食べたきしめんは高校さんからの贈り物であった。おいしかった。
その上演許可願の連絡が、今年に入ってもう1年分は来たと思う。そのうち3件が地区大会用とのこと。高校演劇の大会は毎年秋頃だったが、時期が変わったのだろうかとぼんやり思っているところだ。

わたしは、わたしの尺度でものを考えて言葉にする。わたしの尺度以外のことがわからない。どれだけ人物が分かれていようと、登場人物ひとりひとりが発する言葉の思想はもとをたどればすべてわたしのものである。登場人物たちはすべてわたしの頭でものを考えている。彼らは舞台の上で与えられた役割には従うが、それは、そのままわたしの世界の中にいる多面的なわたしである。
小説であっても同じだ。小説の中の彼ら、彼女たちも言い争ったり喧嘩したりさまざまな意見の相違を見せるが、根源を流れる思想は共通していると思う。わたしはわたしの範囲の外は書けない。
しかし、小説と演劇ではわたしから受け手へのアプローチ、受け手側のアクションが全く違ってくる。小説の場合は、究極のところ、わたしが好きなように書いてそれを差し出すだけである。差し出して、読んでくれた人がどう思うか、何を感じたかはわたしのもとまで返って来ないこともある。人によっては、小説も双方向のコミュニケーションツールとして成り立たせることもできるのだろう。だけどわたしにとって小説とは、あくまで一方的な、わたしを起点として発生する行く先の見えない線である。
対して演劇は、わたしが書いて差し出すだけでは成立しないものである。わたしの言葉が受け手の身体に落とし込まれ、その人の声によって発語されてはじめて成立したと言える。わたしは自分で演じることは(今は)ないから、わたしの言葉と思想のために他者の身体をお借りしなくてはならないのだ。演劇は、そこに居ない人を、どこにも居ない人を立ち上がらせる。自分ではない誰かになる。自分ではない誰かになるために時間をかけて稽古をする。稽古の過程で、演者は自分の解釈を見つける。自分の中にいる人は確かにどこにも居ないけれど、「彼」を世界に立たせるために、「彼」に世界を見せるために、演者は自分の尺度で理解を試みる。わたしから生まれた、わたしの思想を持った「彼」は他者の体に生き、他者の思想と融合する。
そうして、わたしの前に現れる。

送られてくる本番映像のDVDを観て、その時々に高校生である人たちが、わたしが書いた本で舞台に立ち何かを発語するとき、それはやっぱり、確かにわたしが書いた台詞だと思う。だけど、ひとりとして同じことをする子はいない、ひとりとして、何から何までわたしが思い描いたとおりの理想の子はいない。いないのだ。わたしの台本はわたしのものだが、彼らの舞台は彼らのものなのだ。わたしの声は、思想は、叫びは、彼らの体と心に溶け合ってこの世界に再び現れる。本物のわたしがどんどん年を取り、書いていた当時のことを、自分の高校時代を思い出せなくなっても、遠ざかってしまっても、今このときを高校生として生きる彼らが拾い上げてくれる。ここに、時間という概念は存在しない。距離も存在しない。わたしの作品はかつてわたしの中にあったもの、体から切り出されてもわたしの一部、だけどこの上なく自由で、どこにでも行ける。その存在のありかたは、それ自体でひとつの言語である。エイミー・アダムス主演映画『メッセージ』の、あんな感じが今わたしの頭に浮かんでいる。

わたしが書いた人物たちは、日本のどこかの高校生と数か月をともに過ごす。今でも、ともに過ごしてくれる人たちがいる。体と声と、心を貸してくれる人たちがいる。それは、途方もなく、心が揺れる。大きく心が動く。嬉しいとか、恥ずかしいとか、誇らしいとか、足元にある一切の感情を超えて、天を仰ぎたくなる。わたしはここにいる。家と会社を往復するだけで一日を終えるような、どこにでもいる会社員である。わたしはここにしかいない。今、コーヒーを飲みながらパソコンに向かっているわたしはここにしかいない。だけど、実存するわたしが手放してしまった制服姿のわたしが、わたしの手の届かないところで今も勝手に生きている。誰かの身体や思想と融合している。作品を自分の体から切り出すことは、時制を持つ言語から自由になることだ。他者との境界、断絶へのさみしさから少しだけ自分を救うことだ。わたしはひとりではない。

最近は文章を書くのにとても時間がかかるのでこの文にもかれこれ1週間以上かかっているのだが、昨日、今年に入ってご連絡をくださった岩手県の高校演劇部さんより上演終了のご報告と本番映像を収録したDVD、当日のパンフレットとチラシ、そしてなんと部長さんからのお手紙まで頂いた。『火曜日の約束』という作品で、当時のわたしのひとつ上の先輩の卒業公演用に書いたものだ。高校演劇とは思えないクレイジーな物語だったが、実はいちばんわたしらしさが出ているのではないかと密かに気に入っていたものだ。今まで上演のご連絡を頂いたことがなかったので、初めてのメールに「火曜日の約束」という言葉があってとても驚いたことを覚えている。早速映像も拝見したが、当時のわたしたちがやりたかったこと、だけど予算の都合で実現できなかったこと、そんな演出もできるのかという驚きに満ちたすばらしい出来栄えだった。何より、役者のみなさんがとても楽しそうで、わたしはそれに救われた。いつも以上にアドリブが多くなり、台本通りの表現にはなりませんでしたがと顧問の先生よりご報告があったが、それでいいんですこの作品は。むしろそれも含めてこの作品であって、台本を飛び越えて自由に遊びまわってもらえるのが何より嬉しい。
そして先日、ありがたくもまた岡山県の高校演劇部さんより上演のメールが届いた。選んでいただいた台本は『Beyond the door』わたしが最後に書いたもの、最優秀賞を取ったもの。地区大会用として選んでいただき、上演日はなんとわたしの誕生日になるかもしれないとのこと。今年の誕生日は日曜日。こういう、偶然に起こるイベントに勝手にご縁を感じてしまうタイプなので、勢いで顧問の先生に「観に行かせていただいてもいいですか!」と突撃したところ「遠方よりわざわざお越しいただくのは…」と戸惑われたが(当たり前である)ご快諾いただいた。ということで、今年の誕生日は岡山で過ごすことになりそうだ。どんな舞台になっているのか、とても楽しみ。

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