20190723(Tue.)怪獣になった日

わたしはこうしてひとつずつ怪獣になっていく。

隣の人がいよいよだめになってしまったようだ。
この部署に異動してきてからいろんな面でサポートしてくれた人だったけれど、4年目にしてとうとう限界がきたような気がする。
話すのが大好きなあの人と話したくないときは本当に話したくないわたし、あらゆる言葉を駆使して自分のやり方と正当性を押し通そうとするあの人と揉めるくらいならさっさと折れて自分でやりたいわたし、女性はこうだからという話が大好きなあの人とそうとは限らないんじゃないのと思いながらも口には出せないわたし、わたしは溜め込まないようにしてるんですと自慢げに語るあの人とその隣で溜め込んでいるわたし、こうして書いてみれば、何もかもが、正反対だったのかもしれない。
何もかもが正反対だったのにここまで一緒に仕事をしてこれたのは双方の普段の努力によるものだったのかもしれない。今となってはそれをぶち壊したわたしが言えたことでもないが。

数字ひとつを確認するかしないかでここまで自分が苛立つとは思わなかった。
ただの確認漏れだったのに、その数字はもともとうちのグループは管理してないから気付きようがないとあの人が言い出したときはまた始まったと思った。こうして、どんどん線引きしていく。これはわたしの仕事じゃない、そんなルールはない、それはそっちがやるべきこと、話が膨らむとわたしにこんなミスをさせたのはここにルールがなかったせいみたいな言い方にまでなるので、もう、なぜ? としか、わたしは思えない。
そしてわたしには「これは突発的な事象」を強調し、わたしなんかはもう、それは何ですか、突発的なことだから気付きようがないから自分は悪くないとでも言いたいんですかという思考回路で、もう何もかもが言い訳がましく、みっともなく、情けないとまで思ってしまった。
しかも相手は新入社員の男の子で、直接出向いて言い分を懇切丁寧に説明するならまだしもメールだけで「それは無理です」なんて書き方、そりゃあ返事が返ってこなくて当たり前だ向こうだってこんなんじゃ萎縮してしまう。あの人が帰った後に彼に出向いて事情を聞いたらこの数字は去年の今頃も同じことがあったみたいで、と教えてくれ、それでこっちも去年の記憶が蘇ってきてそう言えばそうだわ、あったわこれ、わたしも休暇中のあの人に電話で問い合わせたやんか、と、じゃあ何が突発的な事象やねんと、うちらが忘れてるだけやないのということになればわたしはいよいよ脱力の一方。
いいよ、わたしから言っとくよ。と彼には答えた。

という数字のいざこざが起こったのが先週の火曜日でそこからあの人の休暇や出張が重なってあまり顔を合わせずに済んだものの、今日、久しぶりに終日隣り合って仕事をして、わたしは怪獣になった。もともと怪獣だった。しかし、今日、さらに明確に、怪獣になった。

問題の数字を今後どうするという話は案外あっけなくまとまったものの、全く別の話になったときにわたしが油断して吐き捨てるような言い方で返事をしてしまったことで、「そういう言い方されるならもう何も言わんわ」と言われてしまった。この一瞬の失態については紛れもなくわたしに非があるがなんだかもう、いいわと思った。
積もり積もれば爆発するのではなく、なぜ黙る方へ向かうのだろう。なぜわたしは、怒るのではなく黙るのだろう。なぜ、もう何も話したくない見たくないと思うのだろう。

気に入らないものに心を閉ざすたびにわたしは怪獣になる。
一日中わたしの隣で堂々とスマホをいじり、プライベートで企画しているイベントやフェイスブックで知り合ったちょっとユニークな職業の人たちとのやりとりに夢中になっている姿、夕方近くになると気づかれないように寝ている姿、歯に衣着せぬ物言い、それはぎりぎり悪口じゃないのかと思うことをさも言ったったわみたいな得意げな姿、そして自分の領域外の仕事は一切拒否する姿、このどれもに毎日死ぬほど苛々していたのにそれが今日、遠ざかった。もうそんなこと、どうでもよくなった。
またわたしの中にいる人間が死んで、怪獣が目を覚ました。わたしはまたひとつ、怪獣になった。
わたしの中の怪獣は放射熱線を撒き散らして街を火の海にするゴジラではなく、自分以外の一切を否定しながら地下深くに閉じこもって出てこないリリスだ。
周囲を焼き尽くすのと永遠の地下に閉じこもるのとではどっちが悪質だろうか。それでも、怪獣であることには変わりない。

気に入らないものにいちいち心を閉ざしていてはわたしはそのうち何もできなくなるだろう。何を見ても聞いても全てを否定するだろう。もう、出てこないだろう。
怪獣に近づいたと気付くたび、死にたくなる。死にたくなるけど別に死なない。そのうち、怪獣要素が増えた自分のことを受け入れて普通に過ごすようになる。残りの人間要素を使って人とやりとりして、怪獣要素を見ないようにする。また心を閉ざして怪獣に近づく。
気づいた頃には人間要素は皆無、どこから見ても立派な怪獣になっている。

わたしは今まで死ぬほどあの人に苛々していたがあの人だって毎日わたしに死ぬほど苛々していたかもしれない。わたしもあの人も少なからずお互い様だと割り切ってここまできたのかもしれない。お互い自分に合わない部分は都合よく、うまく見ないふりをして、聞かなかったことにして切り抜けてきたのかもしれない。だけど限界だ。少なくともわたしは、もう、限界だ。もうあの人の顔をまっすぐ見たくない。

わたしに残った人間はあとどれくらいだろう。わたしは今、この体のどれほどが怪獣になっているのだろう。性悪説などあるものか。わたしは純粋無垢な人間として生まれ、悪意に満ちた怪獣として死ぬのだ。できれば完全体となる前に消えて無くなりたいが、わたしのような人間ほど長生きするのだろうとも思う。

嫌いな上司の北海道土産のマルセイバターサンドがカバンの中で粉々になっていた。こういう、未必の故意を足元にばらまいてわたしみたいな人間が生きていくのだ。

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