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20190310(Sun.) 孤独を癒すミモザ

診察を受ける科をたらい回しにされるというのは特に珍しいこともないけどいつまでも慣れないしいつまでも滅入るしいつまでも不快だと思う。
低用量ピル服用かつ気分安定薬服用、という、婦人科と心療内科の相性の悪さよ。ピルを飲んでいても生理前の憂鬱がひどい、本当に人と話せない、仕事にならないと心療内科の先生に訴えても「それは婦人科の先生にも相談してね」と言われ保留となり、昨日婦人科に行って同じことを訴えたら「それはホルモンバランスだけの話じゃないから心療内科の先生に相談して薬を変えてもらったりしてね」と言われる。こうなるとただの順番の問題になってしまい、結局心療内科の先生がどうにかするということでわたしは頼まなくてはならないのだろうな。いや1回頼んでるけど? 

ピルを飲んで数年、今の婦人科にかかり始めて2年ほど経つのでここいらで1回子宮の検査でもしましょうかという話になり、会社で受けた健康診断の結果を持って来てねと前回言われてはいと答えたにも関わらず半年前のことをそうそうきちんと覚えている人間でもなく、なぜか子宮頸がんの検診結果だけを持って行ったら変な顔をされて、うーん、まあいいや、子宮の検査と一緒に採血もしちゃおうかと言われて全く自分のせいであるのに傷ついてしまった。ごめんなさい。

内診は全世界の女性の尊厳を確実にぶち壊す最強の暴力装置だ。がん検診だけじゃなくもう何回もあの恐ろしき椅子に座っているがあれを発明した人間は確かに天才だと思う。全自動、股開きアンド底抜け。せめて、せめてですよ、突っ込むその棒なのかエコー装置なのかカメラなのか知りませんけどそれをもっと、柔らかくかつ細いものに改良してくれませんか! せめて!
自分の体のことだからちゃんと見てねと声をかけられて卵巣のエコーを見たけれど正直わからない。異常がないなら何よりです。過去、わたしを何度も救急車に乗せた生理痛を引き起こす子宮がまったく健康というのは未だに納得がいかないところもあるというか、健康な子宮にすら救急車を呼ばされるのか? というこれは一種の軽い絶望ですね。女性であるということのごく軽度の絶望。

一日は24時間あってそのうち1分内診があっただけで残り23時間59分は終わると思う。昼前にして体力は使い果たしそれでもまだ予定があるからとぼとぼ御堂筋を歩いて四ツ橋筋へ出て、最終的には映画館へ向かった。
2011年にノルウェーで起きた銃乱射事件をテーマにした映画『ウトヤ島、7月22日』こんな日に観る映画としては完璧に選択を間違えている、ただただ疲れた心身にさらにとどめの一撃を打ち込みたい、打ち込んでどうする、映画館から家までの帰路を歩き切ることを果たして考えたか? ひどい。ただただひどい。映画としてひどい出来栄えという話じゃなくてただただ現実がひどい。物語としてはフィクションであり映画という媒体である時点で虚構なのだけど、ガチガチの強度を持った虚構は現実を軽々とブチ抜いてくる。銃声が響くたびに座席で飛び上がっていたし、エンドロールが終わって劇場の灯りがついたとき、あれここどこだ? なんて、割と本気で混乱したとか。
でもなんだろう、決してわたしと同じダメージをお前も食らうがいいみたいな気持ちではなく、色んな人の目に触れたらいいなと思う。極右思想に排外主義にレイシズムにネオナチの台頭にテロリズムの蔓延に、じゃあどうしたらいいかなんて、この事件みたいにこっちは丸腰のところにいきなり銃持って来られたらもう希望も理想も理屈もあったもんじゃなくそういう力関係が全く対等じゃない土俵に強制的に乗せられてしまうことこそがテロリズムの恐怖だろうというか、「未然に防ぐ」とかそもそもその概念もはや通じるか?
大阪駅でスマホ見ながら歩いてる人間とか結婚式帰りっぽい集団とか誰かと待ち合わせてる状況とかたとえば今この大阪駅で爆破テロがあたら大阪ステシネの底が抜けてみんな落ちてくるんだろうなとか、火と煙と人が焼けるにおいの中にスタバのコーヒーのにおいとか漂ってくるんだろうなとか考えて、泣きながら帰った。

昔はシネリーブル上映作品を都度制覇する勢いで映画館に通っていたけどそんな体力もない。健康を保つための体力がない。日曜日、だらだら洗濯物を干してゴミを出してお茶を淹れて本を読み、けれど先日の国際女性デーのいろんなミモザの写真が頭から離れなくて、ミモザいいなあ、本物のミモザはどんな花なんだろうなあと憧れが膨らむばかりで近所のおしゃれな花屋を勇気出して訪ねた。ミモザは思っていたより10倍くらい大きな花でいや花というかもう枝ですねこれはと腰が引けたけどいやミモザ買うんですよわたしは! 募らせてきた憧れを今ここで捨てるのかと! でかさにびびって捨てられる程度の憧れなら最初から持つな馬鹿野郎が!
「ミモザ1本ください!」

大きな花が部屋にやってきたことでますますこの部屋の乱雑さ物の多さが際立っているところでもう本当に物を減らしたい。要るのか要らんのか判断がつきかねる物があまりに多いのと収納が下手すぎる。積み上がるに任せているそのストールの山をなんとかしろ!
ひどい部屋だ。理想的な暮らしはどうやって手に入れるものなのだろう。
iPhoneが延々とシャッフル再生する宇多田ヒカルの音楽、20時。

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