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20190308 花と過ごしてみる

先日、部屋に花がやってきた。
twitterをごろごろ眺めていて、小ぶりブーケ程度の花をポストに投函してくれるサービスを見つけたので、初回は無料だったこともあり試しに申し込んでみたのだった。
まず、これまた初回限り20%割引と送料無料で注文できる花瓶が届いた。両手で包み込めるくらいの大きさで、割れ物がおそろしかったので花が届くまで箱に入れっぱなしにしておいた。
その翌日に花がやってきた。花は確かにポストサイズの箱に入っており、一輪ずつ、小さな水入りボトルに差し込まれて並んでいた。栄養剤も同封されていて、商品名「お花シャキーン」とのこと。なかなかいい名前だ。

届いたのは黄色のスイートピー、マトリカリア、蕾のチューリップ。
分量もわからないまま花瓶に水を注ぎ、栄養剤を入れ、水入りボトルから花を一輪ずつ抜き取っていく。
あっ、と思わず声が漏れた。チューリップが挿されていたボトルが完全に空になっていたのだ。発送から我が家に届くまでにチューリップは水を吸い切ってしまい、明らかに、疲れていた。
チューリップだけじゃなく、他の草花も長旅でしなしなと疲れていた。
おっかなびっくり花瓶に生けてみる。チューリップはもう本当に自分の頭が重たそうで、水が与えられたことにも気づいていないかのようにぐったり俯いている。マトリカリアも咲いてはいるものの花びらに元気がなく、横を向いたり俯いたり、茎もすぐに折れてしまいそう。
やっぱりお花便というのは無理があるものなのかな、と正直思った。まあいいか、無料だったし。明日みんなだめになってしまったとしても、勉強したと思って諦めよう。

翌朝、家を出る前に花瓶を見てみる。一晩明けてもチューリップはまだ頭が重たそう。
行ってきますと声をかけてみた。全く当たり前のことながら、返事はなし。

夜、くたくたに疲れて帰ってきた。部屋の電気を点けて、花瓶に目をやった。
おや? 二度見した。ちょっと近づいてみる。おやおや?
てんでばらばらな方向を見ていたマトリカリア、花びら1枚1枚がぴんとして、みんな上を向いている。
あんなに生きる気力をなくしていたチューリップが、見違えるように頭を上げている。しかも、蕾の先がほんの少し開いている。咲こうとしている!
力の限りにくたびれていたわたしは思わず歓声を上げていた。拍手もした。生きている。この花たちは生きているんだ!
すごいね。わたしはチューリップに声をかけた。きみはもうすぐ咲くんだね。
花に話しかける日が来るとは思ってもみなかったしついに話し相手が花しかいなくなったかと指をさされて笑われそうだがそれでもとても嬉しくて、わたしは話しかけずにはいられなかったのだ。
お花シャキーンの威力はすごかったのだ。

花が生きているということは当たり前のことだが、ふしぎだ。
花が生きているというよりも、この部屋に、自分以外に生きているものがあるということがふしぎだ。
自分以外に変化しているものがある、ということがふしぎだ。
自分さえ住めたらいいと、服と本に埋もれて暮らしていたのでいざ花を置くとなると場所がなくて、今はほとんどつけないテレビの横に花瓶を置いているのだけど、用もないのに見てしまう。
見ると、ちょっと心が華やぐのを感じる。きみも生きているのだもんね、と、一方的に孤独が解消されていくのを感じる。
花はわたしに見向きもせずにまっすぐ上を向いている。

上を向く、というのもふしぎだ。
決して日当たりがいいとも言えない、わたしが部屋にいる朝と夜の数時間しか明かりも点かない、ほとんど暗いままでいる部屋の中でも花は天を見定めている。
小さな部屋の中でも、誰もいなくても、光が差さなくても、どうってことないのだろう。花は人間に見てもらいたくて咲くわけではないし人間だって誰かの承認を得られないなら生きてはならないわけでもない。
わたしたちは勝手に生きて勝手に死ぬ。わたしの人生に他人が何を思うかはわたしにはコントロールできないし、逆もしかり。自分が意味を見出せなくても他人には見えることもある。
誰もが、自分の人生という視野の中で他人を見ている。そこでわたしが何らか意味を見出されても、それはそれだけのことだ。
好きに生きていればいいのだ。おそらくは、たぶん。

お花便は続けようと思う。

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(ということは2回無料でブーケがもらえる)

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