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光があるから世界はうつる

2月16日は父の誕生日で、大阪は朝から雨。気圧管理アプリの折れ線グラフが清々しいほどに急降下していて、体は重く、いつまでも眠っていられるような気がする。

生理の1日目は外出しないと決めている。低用量ピルのおかげで、私の生理は毎月必ず日曜日に来る。だから月に一度の休日はどんなに観たい映画があっても、外には出ない。静かな雨音を聴きながらこの6畳と少しの狭い部屋に音楽をかけ、いくつもの本を同時並行で少しずつ読む。未読の本はまとめてドクター・マーチンの空箱に仕舞っているけれど、一度読み始めた本はそこに戻すことはできず、結果床に散らばることになる。今のところ、床にいるのは3冊。カバンの中に1冊。
生理はそこまで酷くはない。私よりもひどい思いをしている人はごまんといるはずだ。
それでもお腹には錘がつけられたように重く、痛く、ロキソニンを数錠飲む。飲んで眠る。生理の眠りもまた、錘がついて深く重い。
昼寝のつもりで起きたら20時だった。


昨日は『静かな雨』を観に行った。


終映後に中川監督の舞台挨拶があった。行さんが障がいを持つに至った背景をあえて描かなかった理由、仲野太賀さんの食べる演技は本当に素晴らしいこと、高木正勝氏の音楽は即興であったこと、中川さんは実に聡明に、楽しそうに語る。

「中川さんの映画を観ると、人間にしても物にしても、光がなくては私は何も見ることができないということを強く感じます。中川さんの映像の中にある光は、形容詞抜きに、『光だ』と思うんです。光があって、それに照らされて、人が浮かび上がってくる。どれも、光だなと思うんです」

もにょもにょと、支離滅裂に喋った私のパンフレットに中川さんはサインとともにこう書いた。

光があるから世界はうつる

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中川監督の映画は、光の映画だ。さんざめく光、夜明けを告げる光、窓を開けて差し込んでくる西日、雨上がりを示す陽光、街灯、車のランプ、電車、あなたの横顔を照らす部屋の灯り。
光は世界の原点で、光こそが、世界を世界たらしめている。光があるから世界はこの目に映り、ようやく私はこの世界に、形容詞をつけることができる。「最初に光があった」のはその通りで、中川さんの映像は、「光あれ」という祈りに満ちている。


日々、気持ちが急いているのを感じる。しかし私はわかっているこれは薬によるものであると。年末年始にかけてひどい抑鬱状態に陥った私に処方された新しい薬がそうさせているのだと、私は理解している。人の気持ちや意欲は薬で簡単に操作される。されてしまう。それでも、それがなくてはきっと生きていかれないから、毎朝決められた量を飲む。
気持ちが急く。観たもの、聴いたもの、とりあえず頭の中にある心象を書き留めろと気持ちが急く。

しかし小説は書きあぐねている。今年30歳になるので、記念というほどでもないが久しぶりに叙事詩みたいな小説を書いてみようかという気になって、しかしそれを書くためには少なくない量の資料が必要だと思い至り、その暫定叙事詩については足踏み状態になっている。土台となるのは、学生時代に書いて、その時は残念ながら日の目を見なかった脚本。


春が来ることの物語だ。それ以外のことは、まだ頭の中が散らかっていてまとめていくのが難しい。難しいから、別の短編にとりあえず手をつけて、今この時をやり過ごす。


2年前に発行した小説『エム・トロスト』を委託先に追加納品するべきか、未だに悩んでいる。2年かけてようやく最初に納品した分が完売したのだから、今からまた追加して販売を続けていくのは正直言って難しいだろうとも思うし、けれどこの2年の間で、私の人間関係や環境は大きく変化したのも事実で、もしかすると可能性も残っているのではとも思う。
とりあえず、もうしばらく悩むと思う。決めることは苦手だいつまで経っても。

一日中聞こえていた雨音はもう聞こえない。明日の大阪は晴れだそうだ。明日は午前休をもらって病院に行き、それから会社に行く。


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読んでくださってありがとうございます。いただいたお気持ちは生きるための材料に充てて大事に使います。