牛乳の教室、あるいはスクリーンセーバー(one of winter)

雪はあらゆる音を吸い込んでなにもない世界となります。生まれた町にはうすいうすい膜があり、ユキちゃんはそれに守られいつも眠く、あたたかいものをどれほど口に入れても眠く、さむく、さむいと重い、重いと眠い。寒さは耳の穴から入り込んできて頭の中を一周してから血に混じってからだの端までゆきわたる。ユキちゃん=寒いとなりユキちゃんは寒さそのものとしてもはやそれは冬と同義である。町ゆくひとはみんな寒さそのものとしてそこにいるので皆眠いのです。眠い目をこすりながら雪をどかします。だれもなにもしやんかったら雪はただただ自分の音すら吸い込んで降り、降り、降り、朝になると家も車も埋まっています。画面いっぱいまで積もったらどうなるんやろう。この町にはうすいうすい膜があって雲はまあるく空に蓋をして今日も明日もなにも見えん。部屋の隅をちらちら揺れてる埃のかたまりはいつもいつもどこから出てくるんやろうとわたしは不思議でしょうがないが、これはかつてわたしの頭の上からひたすらひたすら降ってきたあの雪の形によう似てる。見上げれば虫か埃かそんなふうにしか見えん。あれは生き物、ユキちゃんはすっぽり帽子をかぶりながらマフラーを鼻のあたままで巻きながら眠い目をこする。雪と霧と雨とみぞれがぜんぶいっしょになった世界わかりますか。膝まで埋まってしまった足がなぜかあたたかいこと、手袋がなくても守られていること、傘にだんだん雪が積もってただの傘が鉛みたいに重くなること、腕がしんどくなること。

ユキちゃんは同じ名前の子になんどもなんども出会います。しかくい箱のなかに机と椅子がパズルみたいに並びよって、同じ顔と手足をもったユキちゃんが毎日同じ席に座ります。みんなが一斉に手を上げます。だれもかれもが同じときに同じことをやります。40人のユキちゃんは箱のなかで机のあいだをすりぬけて降ります。ストーブの前に座っても何も溶けません。ただそこがあたたかいというだけです。

毎日牛乳が出ます。なにも傷つかずいちばん痛くないやりかたで飲むにはどうしますか。きんきんに冷やすこと。牛乳を吐いたら床が牛乳になった。まっさらな雑巾持ってきて、まだタオルと区別もできやんきれいな雑巾で拭きます。でも拭きおわっても雑巾は同じ色をしとる。絞ったら同じ色の水がざーと出てくる。それにしても牛乳だけを吐くとか器用やねえ。でもこれはわたしが吐いたものじゃないんに。ありがとうと言われたけど、でもなんで、わたしが拭いたんやろか。ユキちゃんが吐いたものはユキちゃんが片付けるけれど、どこからどこまでがユキちゃんなんやろう。今ここにいる全員がからだから牛乳を爆発させてこの教室がぜんぶ牛乳になってもうたら。今まで飲んだ牛乳ぜんぶここに流し込んでみたら。わたしらのからだはひょっとしたら牛乳でできてるんちゃうの。毎日毎日入れ替えてまでわたしらは牛乳でおらな、あかんのちゃう。あるいはさらっぴんの雑巾、さらっぴんに見える雑巾。どうしたらうまく飲めるかわかる? きんきんに冷やすこと。牛乳は、あっためると膜が張るやろ邪魔やんか。わたしらはその下を飲まなあかん。その下におらなあかん。でもそろそろ牛乳、入りきらんくなってきた。口からは吐かんくなったけど、足と足の間から出てくる。同じときに同じようには出てこやん。いきなり波打って、息するみたいに自然に出てくる。うまいこといかん。パンツについた牛乳は吐いた牛乳と同じくらいにいややからトイレットペーパーで拭きます。拭き取っても色は変わらん。

きのうからすごい雪が降っとる。ワイパーがなんべんもなんべんも行ったり来たりするのに虫みたいに新しい雪が次から次へと張りついてきてきりがない。ワイパーがどかしきれんかった雪は端っこに押しやられてそこに積もってる。ワイパーは自分の足元にある雪はどかせん。ライトに照らされた雪はほんまに虫の群れみたいや。タイヤが埋まって回転に意味がなくなる。同じところをまわってるだけのタイヤは本当はすごくうるさい。このままこの車埋まってしまうんかな。立ち往生した車の中でユキちゃんとユキちゃんのお母さんは眠い目をこする。この頃からだのなかの牛乳が腐ってきたみたいで、足から出てくるのが泥みたいな色になってきた。パンツも牛乳もトイレットペーパーも同じ色でぜんぶがユキちゃんやったのに、石鹸の泡も必要になってきた。ユキちゃんはお母さんに言えないままでいる。車は大勢の人の力によって雪のなかから助け出される。抜け出すときに、ぐわんと車がほんの一瞬宙に浮いたような気がした。

起きたら何も聞こえん。雪があらゆる音を吸い込んでなにもない世界になっとる。窓にも雪がこびりついてて何も見えん。誰もおらん。こびりついた雪の隙間から外をのぞき込んだらお母さんが車の周りの雪をどかしとる。どかしとるのにどかしたそばからまた雪が積もってく。玄関が埋まっとる。画面で言うたら3分の1くらい。トイレでパンツを確認したら泥はもう泥じゃなくなっていてもっと、なんか、なに? ごまかせんくらいにぱっとした、でも、なんかきれいになったな、とも思う。けどユキちゃんはどうしたらいいかわからん。トイレットペーパーぐるぐるに千切ってパンツに当てて履きなおしてはみたけどしばらく動いてたらまたなんか、出てる。10分後にもういっかいトイレに行ったらさっきのトイレットペーパーがもう限界を迎えてる。
記録的な大雪。しかし記録とは塗り替えられていくもの。画面で言うたらまだ3分の1やもの。いっぱいになるまで降ってみいよ、クラスの全員が生まれてから今まで飲み続けた牛乳くらいに降ってみいよ、あの教室を爆発させてみいよ。
お母さん。お母さん。わたしは窓をこんこん叩くけれども雪がぜんぶを吸い込んでもうてお母さんには1ミリも届かん。お母さんは雪をどかしてはどかしてた最中に積もった雪をまたどかすという地獄に落ちたみたいな人になっとる。お母さん、もう雪かきなんてしやんといて、わたし今日はどこにも行かんからもうええからこの家埋めて、埋めてもうて。
学校行きなさい、学校行きなさい、学校行きなさい。
記録的な大雪、記録的な大雪、記録的な大雪。
ようやっと車が出せるところまで雪がおらんなって家に戻ってきたらまだわたしがおったからお母さんは目を丸くしたがわたしが雨みたいに泣きよったから2階に連れていってくれた。わたしの目から流れてきたのは雨であって雪ではなかった。わたしがランドセルを背負ってようやっと家を出るころには雪は止んで、通学路にはわたしの身長くらいの雪が積もっていた。153センチのわたし、153センチの雪。でもわたしはその後164センチまで背が伸びる。わたしはかつてどの男子よりも背が高かった。しかし記録は塗り替えられていくもの、男の子はぐんぐん背が伸びていく生き物。何も聞こえん世界のなか同じ背の高さをしたユキちゃんと寄り添うようにして歩いた。歩道は車道の犠牲になっていたから、わたしは堂々と車道を歩いた。車とすれ違うのがちょっとむずかしいところもあった、けど背の高いユキちゃんはもう車を閉じ込めてしまった。なんにもない世界になってしまったのに、わたしは足を滑らせてすてーんと転んだ。わたしの下半身はもうわたしの言うことは聞かんと好きなときに好きな分を放出するようになってしまったのにわたしが腹を立てていたのかユキちゃんが腹を立てていたのか雪が腹を立てていたのか、お尻を強く打った。なんにもない世界は次の段階に入り、凍り付いていくのである。

教室はストーブにあたためられてぼわっとしとる。同じ顔した同じ背丈のユキちゃんが机の隙間を走りまわっとる。今日も牛乳が出る。どうしたらうまく飲めるかわかる? きんきんに冷やすこと。ぼわっとした世界できんきんに冷やすこと。理科で習ったでしょう、水以外の液体は凍らせると小さくなるねんて。きんきんに冷えて凍ってもうて小さくなったら、その分からだに入るでしょう。だから冷たいうちに、味がわからんうちに、一気に飲んでしまうのがいいでしょう。そうしたらからだのなかでぐるぐるまわって一周して色が変わって真っ赤になって出てくるの。あの牛乳は腐ったんやない、わたしが牛乳に勝っただけ。わたしはこの牛乳をたたえた教室から誰にも気づかれないところでいち抜けした。今ここで40人のユキちゃんが爆発して画面がぜんぶ埋まって牛乳の海、真っ白でなにも境目がないすべてがユキちゃんすべてがひとつのユキちゃんになってしまったとしてもただひとりわたしのからだからは真っ赤な血が漏れてきてそこに混じる。でもわたしは無力やから、40人の人生まとめた牛乳には勝たれへんと思う。わたしの血はすぐに新しいユキちゃんが積もって薄められてかき消されて見えなくなってしまうだろう。

下校のチャイムで外に出たらまた雪が降っとる。寒さは耳の穴から入り込んできて頭の中を一周してから血に混じってからだの端までゆきわたる。ユキちゃん=寒いとなりユキちゃんは寒さそのものとしてもはやそれは冬と同義である。寒さは耳をとても痛くするがうすい膜がなぜか指先を守ってくれる。わたしのお腹は違う生き物になってもうてひとりで勝手にぐるぐる動いてなんとなくあったかい。ユキちゃんはすっぽり帽子をかぶり、鼻の上までマフラーを巻いて眠い目をこする。さむいと重い、重いと眠い。ユキちゃんはこれから白いパンツを馬鹿にされ、むやみやたらに極彩色を強制される世界に飛び込んでいくが、ユキちゃんが足から流した血、ユキちゃんのパンツから染み出して椅子についてしまった血はやがて空気に溶け込んで空へとのぼり次の冬で雪となって降ってくる。ユキちゃんには膝まで雪に埋まろうとも、元気に歩いてカラオケに行く日々が待っている。
雪と霧と雨とみぞれがぜんぶいっしょになった世界わかりますか。膝まで真っ白に埋まってしまった足がなぜかあたたかいこと、手袋がなくても守られていること、傘にだんだん雪が積もってただの傘が鉛みたいに重くなること、腕がしんどくなること。この世界を埋め尽くす真っ白は、本当はあらゆる色をしているということ。なにが入っているのか、なにでできているのか、本当は誰にもわからへんということ。
(あんな、ほんまはわたし、牛乳とか大嫌いやねんか。)


牛乳の教室、あるいはスクリーンセーバー(one of winter) / 20180218

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