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有り余まる富 / 2020note

先日、noteから私の1年をまとめたお知らせメールが届きました。

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2000年代の中学生のプリクラみたいなコラージュだな。

どうやらこれが2020年の私のnoteに蓄積された記録のようです。改めて並んだ数字を見てみるとさすがに「おお」と思ってしまいます。「多い」「少ない」という感想は他の人との比較から生まれるものであるのでそれはしないでおきたいし、これは、相対化して見るものではなく絶対値として見るべき数字だと思います。これは、私だけの数字。


まずはじめに、もし、noteを始めた2017年に、このプラットフォームが「今」のようなnoteであったとしたら、私はそもそもこのサービスを使わなかっただろうと思います。 noteを離れる旨の記事にも少し書きましたが、2017年当時のnoteはまだまだとっても静かで、見た目がよくて、なんとなく機能的なブログのようなものでした。その静けさに惹かれて、私はここで日記を書き始めました。2017年の11月のことです。

私は、noteをずっと「日記を書く場所」として使ってきました。それは2020年に入っても変わらないはずでした。私はここを、少なくとも自分のnoteはクローズドな場所だと思っていたし、私のことを知っている数人の友人知人の方々と繋がりを保てていられたらそれでよくて、あとは私が憧れていたり、一方的に尊敬していたりする人たちの文章を読むためにこの場所はありました。

だから私は、私の記事、日記が誰に読まれているのか、どれほどの数の人たちに読まれているのか、全くと言っていいほど興味がありませんでした。ダッシュボード機能がついているのに気づいたのも2019年とか、そんな感じでした。そこまで高機能な場所になっていたとは知らなかったし、私が淡々と日記を書いているうちに、noteユーザーがこんなに多くなっていたことにも全く気づいていませんでした。そうして2020年が来ました。

2020年になっても、私は変わらず日記を書いていました。たまに映画の感想を書きました。私は全く去年と変わっていませんでした。

けれど、1月に観に行った映画『リチャード・ジュエル』についての感想note(後述にてリンクを貼っておきます)がtwitterでシェアされて、ずっとずっと遠いところにまで届いたことで、私とnoteの関係性が大きく変わったような気がしました。初めてサポートをいただきました。見たことのなかったview数を見ました。私は戸惑いながら、「光が当たる」とは、こういうことなのかと思いました。突然向けられたライトの眩しさ、思えば、私はそのまばゆさに、今年を通してずっと目を細めていたような気がするのです。

2020年は、自分でも驚くほどに、新しい人間関係が多くできた年でした。その半分くらいは、noteがもたらしてくれた方々だと思います。私がここに書き続けていたことで、色んな方と知り合いました。お話をしました。私がここに書き続けていなければ、間違いなくこれからも出会わずに、お互いの存在を知ることなしに、人生を過ごしていたであろう人たちです。私はここで、私にとって新しい誰かとコミュニケーションを取ることになるとは、2017年には全く予想もしていませんでした。それを望んでいたわけでもありませんでした。けれど、それは私のもとへ訪れたのでした。

私の文章はこの人たちに読まれている、という実感が一気に湧き上がってくると同時に、だったらこの人たちに何かを残せるような、少しでも楽しんでもらえるような文章を書いていかなくてはと、心から思いました。今年になって私はやっと、私の文章の向こう側にいる人たちの「顔」を見たのです。私が文章を届ける人たち、よかったら読んでくださいと差し出す人たち。それはたとえいつも通りの個人的な日記であろうと。


noteがお知らせしてくれた全体ビュー数の中がどうなっているのか、私にはわかりません。けれど、何であれ、私の文章に触れた人の数です。タグを辿って来られた方、どなたかのシェアで覗いてくださった方、なんとなく目に留まった方、そして私をフォローして、私が記事ひとつを更新するたびに必ずハートを押してくださった方々、全ての方々の数です。それを思うと、私はこの数字を、誰かと比べる気には全くなりません。私の文章は、これだけの数の人々の生活の端にいて、少しずつの時間を頂いてきたのです。たとえ最後まで読まれなかったとしても、その人の一瞬を、私は自分の文章によって、頂いてきたのだと思います。


私は今でも、私はコミュニケーションのために文章を書いているわけではないと思っています。日記にしても小説にしても、ただ一つの例外は学生時代に書いた高校演劇の台本たちですが、それでも根本的には、私の文章はまず私のためにあるもので、まずは私の肩を軽くするものでなければならないと思っています。けれどその上で、誰かに私の気持ちが届くことの幸せもまた思います。あまりに眩しい、目を開けていられないほどの、真夏のようなまっすぐの、それでいて穏やかな春の陽光のようなあたたかさ。



2020年は、社会的には、最悪でした。日々を蝕む不安、緊張、環境を変えざるを得なかった数々のこと、そのストレス、私も例外ではなく、そんな2020年を生きていました。
けれどその一方で、私の内面は、豊かであったように思います。心身体調を崩した時期もありましたが、総じて、それこそこの年が始まった1月から、私はずっと、豊かな世界の中に生きていたように思います。それは私一人ではない、誰かのいる、誰かが私を気にかけてくれる、豊かな世界でした。そんな豊かな世界が私の内面にあったからこそ、私は今年を生きてこれたような気がします。

ありがとうございました。いつも私を助けてくれて、本当に、ありがとうございました。noteがもたらしてくれた数々の、素晴らしい方々とのご縁に心から感謝しています。本当に、ありがとうございました。来年以降、ここを使う回数はきっと激減するだろうけれど、この2020年をnoteが助けてくれたのは紛れもなく確かなことです。本当にありがとうございました。

今年一年、お世話になりました。良いお年をお迎えください。

2020.12.28



今はこちらに場所を移してのんびりと過ごしています。twitterにも住んでいます。いつでも遊びに来てください。



▼2020年に選ぶ自分のnoteたち

うちの父さん、いい年していつまでもBUMPファンやねんよな…ということを軽い気持ちで書いたものがtwitterでBUMPファンの方々の間をものすごい勢いで駆け抜けていったnoteです。また、私の父と同年代の方々からのコメントも多く頂き、BUMPファンの幅広さを逆に思い知らされた、BUMPにすごい力で打ち返されたような気分(敗北感?)も味わうことになってしまいました。
けれど私の大好きな父をこのような形で紹介できてよかったと思っています。このnoteへの反響で私に夢が増えました。いつか父をBUMPのライブに今度はこちらが招待するという夢です。今年はBUMPの方にも色々あったけれど、どうか辞めないでくれよ、どんな形になっても、応援しているよBUMP OF CHICKEN!!!


キリンさんの「#また乾杯しよう」コンテストに軽い気持ちで投稿し、またも自分の想像を超えてはるか遠くまで飛んで行ってしまったnoteです。編集部おすすめにも、またキリン公式さんにもピックアップしていただき、驚きの連続だったとともに色んな出会いをもたらしてくれたnoteでした。
もう10年前の記憶、成人式後の同窓会の時のことを書いたものです。その後も皆は元気にしているかな。


クリント・イーストウッド監督による映画『リチャード・ジュエル』に登場する女性記者の露悪的、ステレオタイプ的な描かれ方について思うことを書いたnoteです。これがtwitterで広くシェアされて私の2020年は始まりました。編集部おすすめにもピックアップいただいて、割と批判的なことしか書いてないのにピックアップされることもあるんだなと思った記憶があります。
イーストウッド監督の映画は好きな作品も多いのですが、それだけに彼の映画における女性の描かれ方にはしばしば悲しくなります。と言いながら、多分新作が公開されれば観に行くのでしょう…何かを夢見て…


20年前の自分から手紙が届いた話です。小学校時代、20年後の自分に手紙を書くという授業があり、その時に書いた手紙が今年届きました。もう子供時代の自分の無邪気さにはかなわないですね。しょーもない大人になってもうたわまじでごめんな以外の感想が最初ありませんでした。決して子供時代の自分が思う通りの人生を歩んでこなかった身にこういう手紙はまじできついです。それでもまさか本当に届くとも思っていなかったので、いい経験をさせてもらいました。
ちなみに同じ小学校だった幼馴染に「手紙届いた?」と聞いてみたら「内容がしょーもなさすぎて笑った」と言われました。私も「しょーもない」で片付けられたらよかったな…もっと何も考えてない子供でよかったのに…





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