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今を大切に味わう

3年前の一歩

三年前に大きな組織から離れて一人で踊りを続けていく決心をしました。理由は生きてる間じゅう身体表現を進化させるために学び続けたかったし、実践し続けたかったからです。

組織の中で指導する側になり、尚且つ師弟制度の濃い我が分野では新しいことを言い出すことも出来ない中間管理職。わたしには性に合わないとつくづくわかったのです。

あ、今回はデスマス調ですね。まぁ、noteは等身大な自分で開け広げに書きます!

守破離

三年前に辞めるとき、わたしには1日の休日もなく盆と正月以外は東西南北走り回って教えていました。

1日の中に3つ全く違う仕事を細切れにこなしていてラストに自分のレッスンがアシスタント込みでありました。ボーっとして常に眠たくて役立たずなアシスタントであったろうと思うのです。

それでも踊れる自分は全く幸せだと考えていました。レッスンや衣装、出演料やお礼で稼ぎは消えるどころかマイナスでしたが、こんな道楽に身を捧げたものとしては当然の代償だと思っていたのです。

人生後半に入ったとき、自分の生き方があまりにも無責任で人任せだと気づきました。ただ、その組織の中では教師クラスまで勤め上げて辞めたあと、踊り続けたりその地に留まることを公にした前例はありませんでした。

わたしも実際に先輩から離れたら辞めて欲しい。居たことすら口外するなと面と向かって言われたことがあります。

出たら生きていけない

嘘みたいな話ですが、これが中にいた人の共通認識でした。辞める決心は前例のない挑戦でもあったのです。

今になって見えてきた大切なこと

冒頭の理由である日、突然決心し10日後には師に正直にありのままの気持ちを話し、そこから一ヶ月かかりましたが、自分の責任で歩く人生が始まりました。

今、わかることは、わたしは今も前もどちらも幸せだということです。踊りがあればいいのであって年齢と共に踊りの幅が狭くなっていきそうなあの時期に辞めたのはベストだったんだろうと思います。

体力的にも365日休み無しで一日中子供相手にスキップやジャンプをしているのはあの歳でギリギリなんじゃないかなと思うわけです。

3年前までは土日は朝から深夜までフル回転でした。行った先で柔軟してスキップしてジャンプして踊ってを3回繰り返してラストに自分のレッスンとアシスタント。途中で移動しながら車中で食べたり寝たりしていました。

3年経っても土日になるとわぁ!今日は自由なんだ!予定は自分が入れた予定しかないんだって感動します。と同時に今まで経験を積ませたくれた師にはやはり感謝しかないんです。

40年お世話になり、20年舞台に立ち続け、教える経験と師に仕える経験をしたからこその今の自分の財産があります。

これって何にも代え難い資産なんですよね。それを活かす意味でも独立の時期はベストだったと思います。


どんな時も自分は恵まれていると感謝してきましたが、今もやっぱりそう思います。そして何より大切なのは、今、を大切に誠実に生きるということ。

どんなに上手くいってない時でも、です。

それが何より大切なことです。




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