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少しは進歩しているのだろうか?

大きな組織から離れて3年目になる。ただし、給料をもらっていたわけではないので、普通の人の考える独立とはちょっと違うかもしれない。

40年間踊ってきて、うち20年間、教えと舞台を並行してこなしてきて、もっと成長したい思いが強くなった結果、団体と方向性が違うのが見えてきて、離れることになった。

今までは外の世界に触れることを歓迎されなかったし、自分も疑われるようなことはしたくないと見ないで生きてきた。

与えられた場所でただ一心に踊ることに打ち込んで、たぶん側から見たら随分優遇もされていただろうと思う。今でも感謝の念は尽きない。

ただ、見えてきたことがある。

組織から離れたら、周りから祝福されたことだ。踊れなくなるかもしれないと悲壮な覚悟で、でも後悔しない人生をと選択したのだけど、ご卒業おめでとうございます、と言われた。

周りの評価は独立した、というものだった。

内部からは、一生ご恩奉公の身で、裏切り者だと言われたのに。

どちらも真実ではないけれど、世間の評価ってそんなものだと思う。

踊って生きたかったから、一生使える身体に改善していく必要があった。これは覚悟が違うから、すごい変化したし、それが結果的に今の収入につながる知識になっている。これはかなり進歩していると思う。

反面、今まで経済的な考えを否定されて来たからマネタイズに苦労している。それでも料金は価値交換だって腑に落ちたから、だいぶマシになった。以前は、飢えて死んでも潔しみたいな、カチコチな観念を持っていたから。

一番変わったのは創る人になったことだろう。先生はわたしをソロダンサーだと言ってくれ、よく一人で踊らせてくれたし、自作もさせてくれた。周りからはワガママだとか、不遜だとか言われもしたし、悩みもしたけど今となっては経験値になって感謝している。

独立して最初に踊りの仕事をくれた人が、プレッシャーかけられて、泣いて怒って依頼を断って来たときに、誰も悲しまないで踊るために自分で作ればいいんだと思った。

でも一人じゃ自己満足だし、やっぱり人とやりたくてコラボレーションをはじめた。ダンサーは何かあったらかわいそうだから、はじめのうちは音楽家や朗読、調香師の人たちと。それからジャンルの異なるダンサーともコラボレーションするようになった。

変わったことを、変わった場所で、変わった人たちとやってるねって言われるけれど、今まで誰もやっていないことをやっていますねって言われるけれど、わたしにとってはぜんぶ自然な流れだった。

自分がやっているのが、企画、演出、構成、広報、と呼ばれるものだって気がついたのは4回目の公演のとき。

3月にやった5回目の公演で、構成も踊りも上手くなったって、昔から知ってる人が言ってくれたから、進歩しているのだと思う。

本人からすると、やっと本音と行動が伴うようになったという感じ。でもまだまだ怖がってさらけ出していない。せめて死ぬまでにぜんぶ勇気出してさらけ出したい。

今度の公演も勇気出して新しいチャレンジしてるから、少しずつ進歩してる。

3年前に再び生まれ直したんだと思う。

自由っていうのが、覚悟と責任の先にあるって知ったし、愛して感謝して、次に進むために別れることがあるってわかった。

自分の足で歩いて生きているとき、人は全てに感謝できる。過去と現在と未来のありとあらゆるものに対して。

そして、やっと自分を大切にすることを覚える。自分と周りはイコールだってことがわかる。全部とつながっているし、どこまでも孤独なのが人間だってわかった。

あなたほどみんなは強くないって、親からも言われるし、他の人からも言われる。確かに決死の覚悟で、全責任を引き受けるくらいなら、従属して安心感を得たいというのも有りだと思っている。

人の望みはみんな違うから。いろんな望みがあってうまく社会は成り立っている。自覚さえあればいいのだと思う。わたしはこの人生を自分で選んでいる、と。それだけで人は幸せになれる。

誰かの人生に元気を分けてあげられたらうれしい。前のわたしみたいに理由もわからないまま苦しんでいる人に伝えたい。

諦めなければ少しずつ進歩できるよ、と。





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