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結果が全て

いやはや、最近は有難いことに大きめのライブに出演させてもらうことが2度あった。

そもそも呼ばれた時点で実力不足だということは重々承知していた。

それでも今の自分たちにできる最高のパフォーマンスをしようと意気込んでライブには臨んだのだが、まぁ壁の高いこと高いこと。

先輩たち、同じライブに出た同期の背中がとてつもなく遠く感じた。

悔しいなぁ。


漫才は大好きなんだけど、ネタの中において「相方らしさ」を表現するのが難しすぎる。
ネタを書いている時は「自分が演じる姿」をイメージしている。


だからいざネタ合わせをした時にイメージとの齟齬が生まれてしまうのだろう。


ズレが生まれるだけならまだしも、そのズレを中々指摘することが出来ない。妥協はできるだけしたくないのだが、今まで生きてきてそういうふうに意見を言ってこなかったからか、気を使ってしまう。

いらない優しさである。

自分がやりたい漫才は「人と人とがぶつかり合う漫才」である。何かを演じるわけでもなく、その人のよさを前面に出していきたいと思っている。

けれども自分には人のよさを出す力が足りていないようだ。
もっと引き出してあげることが出来ればさらにいいものができるはずなのだが、それが出来ない。
組んでくれたことのある相方たちには申し訳ないと思う。

ネタが良くても演者が悪ければ上手くいくことは無いとは思う。
でも逆に、演者がよくてもネタが演者と合っていなければ上手くいかないとも思う。

魚に「陸の上を速く走れ」というようなものである。

今までは器用な相方たちに助けられていたんだと感じたとともに、自分の苦手な部分を知ることができた。

相方がいなければそのライブに出ることもなかっただろうし、そういう点では感謝している。




だけれども、この世界では結果が全てだ。
どれだけいいネタを作っても、それを披露して、認めてもらわなければ意味がない。

知らぬ間に1年がたった。時間は残っていない。

やれることをやれるだけやっていこう。


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