建築物はどうあるべきか持論


まずは、建築物をどう捉えるかなどを書いて行きたいと思います。

建築物に限らず歴史的建造物の保存に対する考え方は国により違う(今は情報化により近くなっているかも知れませんが)、少し前の知識になりますが建造物の保存という意味では興味深い話だと思うので、最初に一つ。
カンボジアのアンコールワットなどの歴史的建造物を修復する上で、日本と中国のプロジェクトがそれぞれ入ったという話です。逸話のような話ですが、もしかしたら逸話かも知れませんが、建築物の保存という点では興味深い話です。

まず日本のプロジェクト。歴史的建造物の修復にあたりその建造物についての情報(何年ごろ出来たか、建造された頃はどのような状態だったかなど)をもとに、歴史的建造物の現在での色合いや腐食具合も再現したもの、色合いなどですが、を忠実に再現したということ。
片や中国のプロジェクト。歴史的建造物の修復にあたり、その建造物の情報を基に、修復しました。しかし修復にあたり日本のプロジェクトとは異なる視点で修復を進めたという話です。どこまで本当かはわかりませんが・・・。気になる方は調べてみてください。
建築分野の人なら詳しい方もならこの話を知っているかと思いますが、日本と中国で同じ建造物の修復を行った時、色合いがくっきり別れたという話です。流石に中国、4000年の歴史は違うわけで、おそらく修復後数千年経てば同じになるから、ということでしょうか。

この話で何がいいたいかというと、アンコールワットについて話をしたいのではなく建築物について何が重要なのかが、文化により全く違うという話を紹介したかったわけです。

建築物とは文化であり歴史です。それは法隆寺から江戸時代の長屋、日本家屋から多摩ニュータウンまでそれは全く異なる異文化から出来たものではなく、すべては時系列的に並んでいるものです。

平安時代の寝殿造は豪華で雅なものでしたが、戦後のベビーブームや高度経済成長の際に建てられたニュータウンにはそのような豪華絢爛な飾り物はありません。しかし同じ日本の国の建築物です。もちろん財力や住居人口の差などの影響もあるわけですし、技術や建築の際の工期、すなわち建築の際どれほど時間をかけるかなども重要視されます。それはどの時代でも同じことですし、工期などは現在建築に携わっている方などはそれと技術とデザインの兼ね合いに頭を悩ませる方も多いのではないでしょうか。

おいそれと出来るわけではない巨大な建造物。歴史と文化を表し、それでいながら機能性と建造の際にかかる費用も重要視されるわけです。

ハコモノ行政と言われた時代は終わったのでしょうか。経済規模で建築は大きな位置を占めます。それ故国や地方自治体は自ら建築物を作ることだけではなく、補助金などを使い民間の一軒家や住宅の補助を行っています。また、金融機関にとっても一般の住宅ローンが大きな割合を占めることから、稼ぎ頭の金融商品としています。ここで言いたいのはそれらがダメというわけではなく、むしろ建築物の社会における重要性を多面的に見たかったからです。

文化的にも美術的にも優れた建築物は街のランドマークとなり、それは住民や公共施設なら利用する方の利便性向上につながる、またそうしなければなりません。社会的に存在が圧倒される建築物。それらの美術的、存在の大きさ、そしてそれの周囲を囲む建築物の設計、施工、完成してからの保存などを建築物を考える上では重要視しなければいけないでしょう。

建造物は建てるものではありますが、それに関わる様々な要因は建築物を考える上で避けては通れません。今後少しずつ建築物の重要性について考えていければなと思います。
基本的に議論になるような内容は避けるのが私のnoteの方針なので、全体について書いたあとは、noteの内容をまとめる形で進めていきます。それ故それぞれの方がまずこの話をもとに考えてもらえればなと思います。建築を志してる方や一般の住宅に住む方、こんな家がほしいなあという方、また金融機関の話もしましたのでそのような方、住宅に携わる話を様々にできればなと思います。

これが誰かのためになる話になりますように、という願いを込めて締めたいと思います。それではまた。

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