バブル崩壊時、富裕層の資産隠しスキーム①

※今回の記事は二十数年前の取材と記憶に基づいた完全なフィクションです。また、取材したのが二十数年前で私の記憶も曖昧で当時は今より知識がなかったので一部、突っ込みどころがあるところも多数あると思いますがあくまで、バブル崩壊時の金融機関、富裕層でこんな話もあったということをご理解いただくいのが趣旨です。

■200X年地方の証券会社支店と世の中
上海摩天楼君は証券会社の地方支店に配属された数年目の営業。
折角、苦学してまともな大学を卒業したのに就職セミナーで綺麗な女性に騙されて証券会社に入社。
当時の証券会社の状況(今と全然違うから)
・3年目までの新人は朝6時出社で雑用と掃除。
・残業代なんか出ない。サービス残業当たり前
・会社四季報や灰皿が支店長から飛んでくるのは日常茶飯事
・客に電話して良いのは20時までOK(支店により違う)、21時まで勤務。
・ボーナスなんか1.〇か月程度、2か月は出なかった。
・先輩の言うことは絶対で飯を買いにいくのは若手の仕事
・当時は銀行、証券が潰れまくり。
・手数料ができない人間は恫喝されまくり
・一任勘定、ダマテン(客に許可なく売買する)がダメと言われ始めた時期でした。販売手数料5%、3%程度の投資信託がありそれを転売して手数料を稼ぐのですから、当然客は損しまくり。
・証券会社とは絶対に付き合うべきではない時代でしたw

とまあ地獄のような状況でした。
まあ当時の内定率は9割ですが正社員に限れば8割程度じゃないのが当時の感覚です。まあ、早慶や地方国立を卒業していてもブラック企業しか就職できず酷使される。本当に地獄でした。
歩合制の証券会社アドバイザーに一橋大学、早慶をでた女子がいて、びっくりしました。

■ある日悲劇はやってきた
その日は突然だった30代前半で独身のB先輩が朝会社にいない。
当時は後輩がすぐやめて支店では私が一番若手でした。
B先輩は仕事を教えてくれたり、遊びを教えてくれたり、いろんな店に連れていってくれる兄貴分のような人でした。
今でもB先輩は尊敬しています。

7月なのに突然の事例発令、本社の左遷部署に転勤の辞令がでてB先輩は支店にくることなく、異動。
引継ぎの挨拶もなし。

先輩が異動した理由。
ダマ点で1億近い金額をワラントで顧客に損をさせた。
当然顧客は怒っていてトラブルが発覚。
ワラントとは一定の値段(権利行使価格)で、あらかじめ定められた期間内に発行会社の株式を購入できる権利のこと。
先輩は1億程度ワラントをダマ点で買い、0円になりました。

当時は株券、ワラントを顧客から預かる際に預かり書を発行。
それを顧客から回収しないと売買は完了しない。
ワラントは処理できない。ルールでした。
そのトラブルを隠していたことが先輩が左遷された理由

直属の上司のC課長:上海、Bのお客さんの引継ぎやるからこい、

嫌な予感しかしない。・・・

本日はここまで!


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