2019/06/18 noteが教えてくれた現実

半月ぐらいnoteを更新してみて思ったこと。


自分、圧倒的に文章を書くのが下手。

論理の整理が全然できておらず、飛躍もはなはだしい。

そういえば、ちゃんと文章書いてこなかったな、と。

小学校の作文も、就活のエントリーシートも、その場しのぎでちゃちゃっとやっていたから、自分の考えを文字にして保存しておこうという習慣が、なかった。

今までやっていなかったことを急にできるようになるはずもないので、当然っちゃ当然なのだけど。


誰に見せるでもない記事だから、自己満足でいいんだけど、やっぱり人間欲が出るもので、せっかく書くんだから人に伝わってほしいし、共感や反発が欲しくなるもの。

本を読んだり、「おすすめ」に出てくるいろいろな人の記事を読む度思うのであった。



そんな中、昨日の夜の記事を更新したあと見つけてしまったこの記事。


深夜のテンションも手伝って、しっかり泣いた。

『愛がなんだ』を知ったのは、映画が公開されると宣伝で見てから。どうしようもなく原作を読んでみたくなり、本屋に走った。映画も初日に見に行った。3人しかいないスクリーンの、真ん中あたりの席で。

誰の片思いも叶わない、しつこいほどに一方通行の恋愛。他人事には思えなかった。

映画で主人公テルコを演じるのは、岸井ゆきのさん。彼女はおそろしく魅力的な女性で(何より顔がタイプで)、あんな素敵な人、モテないはずがないのだ。どうしてマモちゃん(テルコの片思いの相手。クズ)にそこまでこだわるの?と不思議に思う。

でも、テルコにとってはマモちゃんじゃなきゃだめなのだ。それ以外の男性、ほんとうにどうでもいいんだ。もっと素敵な人はきっとたくさんいる。それでも、

「顔が好みだの性格がやさしいだの何かに秀でているだの、もしくはもっとかんたんに気が合うでもいい、プラスの部分を好ましいと思いだれかを好きになったのならば、嫌いになるのなんかかんたんだ。プラスがひとつでもマイナスに転じればいいのだから。そうじゃなく、マイナスであることそのものを、かっこよくないことを、自分勝手で子どもじみていて、かっこよくありたいと切望しそのようにふるまって、神経こまやかなふりをしてて、でも鈍感で無神経丸出しである、そういう全部を好きだと思ってしまったら、嫌いになるということなんて、たぶん永遠にない。」

もう最初の最初から、ほかの人と一緒になるという選択肢なんか見えていない。

ふと、自分を重ね合わせてみる。盲目そのものだ。


同じ角田光代さんの本に『おまえじゃなきゃだめなんだ』という短編集がある。表題作の「おまえじゃなきゃだめなんだ」というお話。

(あらすじを説明しようと思ったが、うまく書けなかったので読んでもらうとして)

500円ごときのうどんでさえ、「これじゃなきゃだめなんだよなぁ」と言われているのに、私ときたら・・・。

てな話である(これだけだと盛大な誤解があるのでほんと、読んでみてください)。


「おまえじゃなきゃだめなんだ」

そうなった理由はきっと些細なものだし、なぜそうなのかと聞かれてもうまく答えられない。でも、確信としてある「おまえじゃなきゃだめなんだ」。

去年、当時付き合っていた女性を振った。本当にひどい形で、振った。その時に言われた、「おまえじゃなきゃだめなんだ」みたいな意味の言葉を、今思い出した。

自分じゃなきゃだめなんだと言ってくれる人は、すぐ近くにいた。

それなのに私は、まるで聞こえなかったかのように投げ捨てて、別の人を好きになった。「おまえじゃなきゃだめなんだ」と。

そしてそれも、聞こえなかったと言わんばかりにさらっと交わされていくのだろう。

どこまでも一方通行の恋愛。

その中で、答えを見つけられる日は来るのだろうか。

少なくとも今は、テルコがそうしたように、訪れることのない「嫌いになる瞬間」がどこからともなくやってくるのを横目で待ちながら、恋におぼれている。




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