2019/06/21 写真が写すのは


女の子を撮ってきた。先週延期になっていたアポ。モデルさんが今日が空いたというので早速。夕方から雨みたいなので午前中にさくっと。さくっととは言っても2時間かけたけど。


モデルさんはお人形さんみたいで、ものすごくかわいかった。

「カメラ向けられると笑っちゃうんです」と最初に自己紹介した通り、カメラ向けるたびに笑っていた。こんな子と付き合ったらさぞ楽しかろう。

テク的な反省点で言えば、カラコン対策。ちゃんと瞳に光を入れてあげないと、「どでかい黒目」「ブラックホール」みたいな状態になる。最近あんまり使っていなかったレフ板で曇天の光を起こして起こして、なんとか。

光が入るとすごいきれいなんだけどね。難しい。


それよりも気になったのが、自分の心持ちというか、距離感のつかみ方というか、ひいては被写体と対峙する己の姿勢。これがすごく問われる撮影だった。

普段の撮影だと、もうちょっとモデルさんの顔のパーツをじんわりとみて、「うわぁ、ここ可愛いなぁ」とか変態ちっくに撮るんだけれど、今日はバリエーションを稼ぐことを意識して場所をころころ変えながら撮ってみた。

そしたらなんか、くそつまらない出来上がりになった。


表面をなでるだけというか、核心に踏み込まないというか、嫌がられる前に遠慮して、「この角度は撮らない方がいいかな」なんて腰が引けている。撮ってみてもいないのに。家に帰ってデータを見返してみて、あれだけかわいかったモデルさんの魅力の1割も残せていなかったなと。


学生時代に友達にいわれた「お前の写真はつまらないんだよな」の意味を、5年たってようやく理解した気がする。たしかに、つまらない。

撮っているのは証明写真ではない。画一的でなく、その人が一番輝く瞬間か、そうでなければその人が見せたことのない側面を写さなきゃいけない。何度同じ人を撮ったとて、常に想像以上を出していかないと、撮る意味なんてない。だって、過去を超えられないなら少しでも若い時の写真がいいもの。


結局のところ、目の前の人に嫌われたくないのだと思う。がっついて欲望を丸出しして、何コイツと思われたくない。だから当たり障りのない距離感にいて、まるで気遣いのできる人のように振る舞っている。ちがうちがう。逃げているだけだ。

家に帰り、じっくりと思い返す。

この距離感なら、たぶん町で声をかけて撮れる。そうじゃなくて、わざわざ連絡を重ね、アポをとり、お互いが交通費をかけてこの場所で落ち合って撮影するからには、もっと何かこう、この距離感を超えた関係にならないといけない。

別に不純なことではなくて、相手に対する礼儀だ。時間を割いてくれたモデルさんに対して、想像を上回る写真を提供するのが、撮る人の務めだ。

思い返せば、カメラを持っていなくても、私の距離感はそのまま当てはまる。逃げ腰。

それは優しさという名の仮面をかぶって、私をいい人のように飾り立てている。


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