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選手権、半端ないって。
選手権半端ないって。
アマチュアの試合なのにめっちゃ人はいるもん。
そんなんできひんやん、普通。
はい、早々つまらないものを書いてしまいごめんなさい。ちなみに僕の引退した試合は全然観客入りませんでした…ここからは真面目に書きます。
今日、平成最後の全国高校サッカー選手権が幕を開ける。
この舞台を夢見て高校に進学し、仲間と共に掴んだ全国大会。全力で力を出し切ってほしい。
そういう僕は4年前。
12月31日。
年を越す前に高校サッカーを終えてしまった。
選手権1回戦、相手は大分県代表・中津東高校。
PK戦までもつれ、4人目の僕がPKを失敗し敗退。
仲間と描いた夢は、僕のキック1本で散ってしまった。
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前回のnoteでも書いたが、僕は小学生までプロになることを確信していた。しかし中学時代に所属していた横浜FCJr.ユースで鼻を折られた。
ただの勘違いだった。
Jr.ユース入団当時、ナショナルトレセンに選ばれていたのは僕ひとりだった。入団説明会の時、トレセンの活動で遅れての参加となってしまい、みんなからの視線を感じたことを覚えている。
「まつしゅんだ。」
選手からも、その親御さんたちからも特別扱いを受けるような目で見られた。
自分が一番上手い。マリノスだって行こうと思えば行けたっしょ。
今思えば恥ずかしすぎるが、当時の僕はそんな捉え方をしていた。
とにかく天狗。親にも反抗し、家出をしたこともある。いわゆる中二病の時期でその際は携帯も財布も持たず家を飛び出してしまい、横浜の実家から埼玉のおじいちゃんちまで10時間程かけて走っていった。すごいエネルギッシュな中学生だったから、パワーのぶつけどころを間違わなければもっと成長できたと後悔している。
しかしそこから周りに驚くほどのスピード感で抜かれていった。気付けば僕は一番下にいたかもしれない。それでも僕は「指導者と合わないだけ」と自分にベクトルを向けられずにいた。
今でも覚えている。選手選考に納得が行かずに監督に文句を言いに行ったときのことを。
「なんでおれじゃないんですか?」
世間知らずの勘違いしまくった僕に対応し、最後に僕に伝えてくれた言葉。
「誰にも何も言わせない力を付けろ。」
凄く凄く胸に響いた。
そこからはもう一生懸命だった。
途中出場でも必ず結果を残す。
少ないチャンスをモノにしながら、中学3年の夏にはやっとスタメンで出場できた。
でもユースへ昇格することはできず、
天狗になることの恐ろしさを知った。
僕は高校サッカー選手権、そしてプロを目指し青森山田へと向かった。
親元を離れ豪雪地帯である青森で寮生活をすることを選択したが、
やばい。
僕が青森山田に足を踏み入れたとき、とんでもないところへ来てしまったとすぐに理解することができた。
身体に擦りつけながら浴びるほどしか出ないシャワー。
ハム2枚という夜ご飯。
名前をつけるなら玉ねぎ丼だろってくらい肉のない牛丼。
寮にはプロテインを摂取して巨大化したネズミ。
外出時間は18時〜19時30分まで、まるで監獄。
午後の練習のために朝5時起きで雪かきして、午後には雪が積もっているグランド。
先輩には朝も夜も洗濯パシられる。
そして青森山田の風物詩にもなっている「雪中サッカー」。フィールドに40対40、ボール3つ。負けチームは鬼の走り。それが嫌で、ただただ殺し合いのようになる地獄のサッカー。(もうやりたくありませんが、雪中サッカーで空中戦や推進力、メンタルかなり鍛えられます)
エピソードを挙げれば本当にキリがない。
(※あくまで当時の話です。環境面も現在寮が新しくなり、かなり整っていると思います。)
しかし、その過酷さ以上のものを得られた。とにかくハングリー精神が鍛えられた。謙虚でいることの大切さを教わった。卒業生はみんな「青森山田で良かった」「黒田監督、コーチ陣に指導してもらえて良かった」と口を揃える。青森山田はピッチ内外において大人になれる環境だった。
そんな青森山田で年間340日以上24時間共に過ごした仲間と描いた夢が全国制覇だった。
夏のインターハイは第3位。現実的に目指せるポジションにはいた。
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それがあの1本で。
自分のキック1本でみんなの夢をぶち壊した。
呆気なすぎて涙すら出なかった。こんなに辛かった高校サッカーがこんな終わり方になるのかって。意味が分からなかった。
みんなに顔を見せれず、ただただピッチに顔をうずめた。
でも、応援スタンドに行ったときには涙が止まらなくなっていた。
小さい頃から父親に負けて泣くなと言われてきた。後悔がなければ泣くことはないって。やるだけのことやって負けたら笑えばいいじゃんかって。
その通り。本当にその通り。
でも、涙が止まらなかった。
後悔云々じゃなくて、きっとはじめてチームスポーツとしてのサッカーができたから涙が出てきたんだと思う。
中学まで自分だけのためにやっていたサッカー。
高校で仲間とやるサッカーの楽しさを知った。
高校サッカーって、きっとそういうところだと思う。仲間とすべてを選手権のために賭けるから、ドラマがあって多くの人を魅了するんだと思う。
今日からはじまる高校サッカー選手権、一校一校のドラマを楽しみにしています。
PKを外してしまう選手もいるでしょう。
それでもサッカーを嫌いにならずに、虚無感と悔しさと戦って、サッカーと向き合い続けてほしいです。その先の未来にまた新しい世界が広がっていると思います。
↑自分に向けて想い続けてきたこと↑