生放送で馬が暴れた‼️

その時、馬が暴れ出した。画面に映っていた石田ひかりさんと柳葉敏郎さんがそれを見て逃げた。一瞬の出来事だった。

僕はある日、ドラマのチーフ・プロデューサーである山本和夫さん(現在・ドラマデザイン社代表取締役)に呼ばれた。

「明日から北海道へ行ってくれ。電波ジャックのディレクターを任せる」と。

翌日が連続ドラマ「ナチュラル 愛のゆくえ」(1996年10〜12月)の初回放送だったのだ。

「電波ジャック」とは、ドラマのスタート日に、出演者が朝から各ワイドショーに出て、ドラマの宣伝をする事。

本来ならば、東京の日本テレビ内で完結する。

このドラマの場合、北海道浦河町を舞台にしているので、ロケ現場から中継を入れて、電波ジャックする事になった。

ドラマの宣伝担当と共にタクシーに揺られる事5時間、浦河町に着いたら夕方になっていた。辺りは既に薄暗い。

到着早々、翌朝の電波ジャックの打ち合わせを石田ひかりさん、柳葉敏郎さんとする。

何故か、僕の思い込みだったが、柳葉さんは「筋の通らない事は嫌い」という印象を勝手に持っていて、打ち合わせでとても緊張した。

しかしながら、石田さんと柳葉さんは僕の説明をよく理解して下さり、笑顔も見えていたので、ホッとしたのを憶えている。

午前4時起床。
札幌テレビがロケ現場に横付けした中継車に乗り込む。

「ズームイン!!朝!」の前の番組からいよいよ電波ジャックが始まった。

石田ひかりさんと柳葉敏郎さんの2ショット。生放送の進行は順調だ。

「ズームイン!!朝!」になると、札幌テレビのディレクターと交代。「ズームイン」のレギュラーのディレクターだ。

「ズームイン」が終わると、また僕にディレクター交代。「ルックルックこんにちは」(1979〜2001年)の電波ジャックがあるからだ。

「ルックルックこんにちは」東京・日本テレビのスタジオでは司会の岸部シローさんがトークを展開している。この頃の岸部さんはお元気だった。

北海道浦河町の生中継の現場では、電波ジャックの準備が着々と進む。電波ジャックの告知時間が長いので、真ん中に馬を入れ込み、左に石田ひかりさん、右に柳葉敏郎さんで囲んで貰った。

間もなく、生中継。

生中継の振りを日本テレビの岸部シローさんがして、映像が浦河町に切り替わる。

打ち合わせ通りの質問が石田さん柳葉さんに岸部シローから来て、掛け合いが始まる。

俳優さんは生放送のワイドショーに出られる事はほとんど無いので、掛け合いに慣れていない。その為、予め訊かれる質問を石田さん、柳葉さんに昨夜の打ち合わせで伝えておいたのだ。

順調に見えたその時、予期しない大変な事が起こった。

馬が暴れ出し、石田ひかりさんと柳葉敏郎さんは馬に蹴られない様に咄嗟に避難。馬もフレームから外れてしまう。

馬は元来とても神経質な生き物なのだ。生中継の異様に緊張した雰囲気に耐えられなかったのだろう。

そこに「ルックルックこんにちは」のエンドロールが流れる。画面は誰もいない牧場の風景を映し出していた。これではスタジオとのやり取りも無理だ。

岸部シローさんがスタジオで取り繕う中、生中継は終わった。

北海道から帰る飛行機の中で、僕は憂鬱だった。CPの山本和夫さんにこっ酷く怒られるのは目に見えていた。

東京支社のドアを開け、すごすごと僕は東京制作部のデスクに向かう。

山本さんの姿がそこにあった。すぐに電波ジャックの失敗を誤った。深々と頭を下げて。

山本さんは笑っていた。
「出演者も馬も逃げて、誰もいなくなった。生放送のハプニング面白かった。ドラマを印象漬ける事にも成功したと思うよ!」

「ナチュラル 愛のゆくえ」の電波ジャックから6年あまり、ドラマ「天国への階段」(2002年4〜6月)で浦河町に行く機会があった。

美術さんが「ナチュラル 愛のゆくえ」の牧場の岬の先端に植えた高さ20mは有ろうかという大木。ロケ現場の象徴だったその大木は大地に根付いて、より一層大きくなっていた。

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