「天国への階段」最終回決定稿

「私の顔の横の長さを1mm長くして下さい」

あるドラマで大女優のMさんがマネージャーを通して言ってきた「テレフォンカードのデザイン」に関しての注文である。

このドラマはMさんと若い女性タレントで喜劇役者でもあるHさんのW主演。

「テレフォンカードのデザイン」は基本、「ポスターデザイン」を縮小して作られる。

Mさんをキャスティングした際に、「今回はW主演」なので、「ポスター等の扱い」「台本の表記」、全てにおいて2人は平等であると口を酸っぱくして説明しておいたのに。

Mさんはそれまで、「医者ものの単独主演」で、連続ドラマに出続けており、「W主演」はこれが初めて。

こちらから事務所に送った「テレフォンカードのデザイン」を定規で測って、「自分の顔を1mm伸ばして欲しい」と言い出したのだろう。

結果としては、もう1人の「主演」Hさんにバレない程度にデザインに修正をかけた。

こんなケースもあった。主演は佐藤浩市さん。演技にはどこまでも真摯に取り組まれ、普段は気さくで他のキャストやスタッフへの気遣いも絶対忘れない素晴らしい俳優さんである。

そのドラマには「原作」があった。「原作」のストーリーでは佐藤さんの相手役のヒロインが徹底的な「悪女」にならなければ成立しない。

ヒロイン役は若手女優のKさん。かつて2時間ドラマ全盛期、お嬢様役で数々のドラマに主演した経歴を持つ。

彼女は大手芸能事務所に新しく移籍しての最初の作品がこのドラマだった。

その彼女が「台本が上がった段階」で「悪女」は演じられないと言い出した。「原作」も読んでいるはずなのに。

彼女の事務所に強く抗議し、説得を頼んだ。マネージャーも「原作」を読んでいるので、僕の抗議を理解してくれた。

彼女の事務所移籍にどの様な裏事情があったか、僕は全く知らない。

しかし、マネージャーは「彼女の理不尽な言い分」を止める事が出来なかった。

彼女は強く「悪女」になるのを拒否し続けた。今まで自分が演じて来た「お嬢様キャラ」が崩れる事を怖れたのか?

ヒロインである彼女の「悪女」というキャラクターが無ければ、このドラマは成立しない。

僕たちプロデューサーは頭を抱えた。

今でも忘れない東京・青山墓地のロケ現場。

プロデューサーである僕は正直に主演の佐藤浩市さんにKさんに関する現況をかいつまんで伝えた。

彼女の「理不尽な主張」をそのまま受け入れるとドラマが破綻しかねない。主演の佐藤浩市さんだけには知っていて欲しかったのだ。

その日の撮影が終わった。

佐藤さんが僕の所にツカツカと歩み寄って来る。

「さっきの話、ちゃんと喋らない?」

佐藤さんと監督、プロデューサー2人が青山墓地を見下ろすファミレスで頭を寄せ合って話をした。

「ヒロインの彼女の台詞を直すと俺の台詞にも影響が出るから、俺も入るから『脚本直し』しない?」

僕らプロデューサーにとってはとても恥ずかしい事だが、佐藤さんの提案が、事ここに及んでは最善の策に思えた。

数時間に及ぶ青山のファミレスでの「脚本直し」。佐藤さんは最後まで付き合ってくれた。本当に感謝しかない。

なんとか、窮地を凌いだ僕たちプロデューサーだったが、最終回でまた不測の事態が起きた。

脚本家と僕たちプロデューサーが作った「最終回決定稿」。

演出の鶴橋康夫(敬称略・以下、鶴さん)さんに会って渡そうとした。

その時、鶴さんは徐に「最終回撮影決定稿」と書かれた印刷台本を僕たちプロデューサーの方にスーッと出して来たのである。

鶴さんが「最終回の脚本打ち合わせ」に全く参加しなかった理由が氷解した。

自宅で「最終回」の脚本を自ら書いていたからだ。

鶴さんと言えば、脚本家は池端俊策さんか亡くなられた野沢尚さんと長年タッグを組んで来た。

その2人とタッグを組めない以上、自分で書くしかないと思ったに違いない。

鶴さんは言った。

「お前たち、どちらの台本で俺に最終回を撮らせるつもりだ?」

僕は言った。

「鶴さん、僕らが作った台本で撮ってくれと言っても、撮らないでしょ。だったら、『撮影決定稿』で行くしかないでしょう」と。

そんなこんながあって、僕はその作品が終わり、「ドラマのプロデューサー」から「番組宣伝」の部署に異動になる。

2002年夏の事である。

少し「うつ病」を発症し、それが「アルコール依存」への道をひた走るスタート地点だったのかも知れない。

でも、今でも時折その時の「ドラマスタッフとの同窓会」には参加している。会えてとっても嬉しい。

彼らは僕にとって「大切な戦友」だから。

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