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強がり。

「私のメンタルは鋼だから大丈夫!」
「病むことなんかない」
「まじで大丈夫やから!」

そう信じていたい。
周りに心配された時の口癖だ。

私は心配されることが何より苦手。あの悲しそうな顔を、心配そうな顔を、困った顔を、向けられるのが好きじゃない。
でも心のどこかで助けを求めているときがある。

でも助けてなんて言えない。
どんな時でも強い。それが私だからだ。

最近、大学の友達が鬱になった。今週は授業にも行けてないらしい。
私は1年前からそんなに授業に行けてない。
だけど、みんなはこう思ってる、「ただのサボり。」

まあたしかにサボりと言えばサボり。熱ないし。部活は行くし。
でも私の中では、明確にサボって行かない授業とサボりたくないのに行けない授業がある。行けない時、頭がぐるぐるなる。目が回る感じ。起き上がれない。最近それが増えたような気がする。

でも病院には行かない。診断されてしまうと、本当に弱い人間になってしまう気がして。本当に病んでしまう気がして。というか、見知らぬ先生に分かったような接し方されたくないしね、

部活がなければ私は今頃廃人のようになっていただろうが、今は部活が良い気分転換。入っていてよかった。とっても楽しい。
部活をしている時だけは、全てを忘れ、それに集中できるから、まだ大丈夫。

1年前、恋人と別れてからはずっとひとり。
友達はいる。頼れる先輩もいる。
だけど、皆私の他に大切な人がいる。私の重たい話に付き合ってもらうには少し躊躇いがある。

私は最近恋人が欲しくてたまらない。私の助けに気づいてくれる人がいい。私を1番に考えてくれるけど、親のような心配をするんじゃなくて寄り添ってくれる人。
私の強がりに気づいて欲しい。

心理学には「ビッグファイブ」という人間の性格の特性をあらわす理論がある。日本人はそのなかの「協調性」という特性がとても高いことが研究で明らかになっているんだって。
だから、日本人は「助けを求めると迷惑がかかる」「場を乱す」と感じて強がってしまう傾向にあるらしい。
私、めっちゃ日本人だ。(笑)

ということは、私以外にも日本には同じような強がりさんがいっぱいいるということ。
私はそんな強がりに寄り添いたい。

私の強がりに初めて気づいてくれたのは、中一の頃の担任だった。個人面談で笑いながら、「お前、頑張ってるんやな」って言われた時、勝手に涙がでた。あの時は、恥をかかせるなふざけるなって思って、先生のことが大嫌いになった。

だけど、その一言に私は救われていた。
唯一泣きながら本音を話せる人。最近は会えてないけど。中三でもう一度担任をしてもらったときには、担任のことが大好きになっていて、面談も1人だけ泣きながら30分とかしてもらってた。かまちょでメンヘラチック、(笑)
30手前の体育の男教師に向かって泣きながら話すとか傍から見たらやばい。

私はあの救われる感覚を欲しているんだろうなと思う。強い人間になりきれない理由は、救われた時の感覚が忘れられないから。その人に依存してしまうほどの効力があった。

大人に近づくにつれ、人とのスキンシップも減った。スキンシップって幸せホルモンを分泌するっていうけど、それは本当だと思う。中学の修学旅行のホテルで友達の上に乗っかって寝ていたあの頃が恋しい。高校で友達をおんぶしていたあの頃が恋しい。スキンシップを増やすにも恋人は大事だなー

人の強がりに寄り添うには、まずは自分をコントロールせねば。

誰か強がりな私を拾ってくれ〜。

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