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常識人のためのスピリチュアルレッスン #01

こんにちは。

ふと思い立ち、スピリチュアルについて書いてみようと思います。

「スピリチュアル」=「霊的な」

この言葉は「愛」と同じように、使う人によって意味すること、イメージすることがかなり違うようです。

「スピリチュアル」と聞いて、なぜか惹かれるなぁ、「大好き♡」という人から、「いやいや怪しい…」、なんなら嫌悪感を感じる人まで、百人百様です。

昨今の風潮からすると多くの人は、「よくわからないけどなんか惹かれる、けどなんか怪しい感じもする」というところでしょうか。

ここではそんな世の多くの人、地に足つけてリアルを生きつつ、未知にもこころを開ける「オープンな常識人」に向けて発信してみようと思います。

というのは、僕自身の性分として、地に足ついてないことが好きではなく、かと言って地面を這いつくばって生きるのもなんか違う、と思っていて、論理的に考えながらも目に見えない何かを具体化したり、体現することが好きなのです。

そういう意味で僕は自分を常識人だと思っています。
だから、これまでの経験から得た人生に役立つスピリチュアルに関する理解を、常識人のみなさんにシェアすることができるんじゃないか、と思ったのでした。


さて、話をスピリチュアルに戻しましょう。
なぜ、スピリチュアルと聞いて人によってイメージされるものがまちまちなのか?

それも無理はありません。

スピリチュアル(霊的)と対になる言葉はフィジカル(物質的)。

つまりスピリチュアルとは、フィジカル(物質)領域、すなわちカタチある領域を超えた≒カタチのない領域を指す言葉(※注)です。メタフィジカル(フィジカルを超越した=形而上)と言ったりもします。

(※注 乱暴に分けてます。カタチのない領域にもスピリチュアルでないものがありますが、混乱の元なので今はざっくり表現で。重要なので後日あらためて取り上げます。)

だから、扱う対象が目に見えず多分に感覚的なものであり、人によってそのキャッチの仕方、そしてそもそも感覚の開いている加減が違うので、わかる人わからない人がでてきたり、わかる人同士でも共通認識を持ちにくいのです。

そこに恣意的な意図が入ってくると実際に怪しいものもあって、玉石混交の世界になっています。(まぁどの世界もそういうところはありますが…)



そんなスピリチュアルですが、なぜ常識人が知る必要があるのでしょうか?

「別にそんな世界観に触れなくても生きていけるし、実際そんな風に一生を終える人は山程いるじゃないか?」と。

たしかにそれはそう。知らなくても生きてはいける。
でもそこになにか真実があるなら知りたくなるのが人情というもの。

また所感ですが、50代も半ばに差し掛かると、地に足つけてリアルであろうとすればするほど、目に見えるものだけでは説明がつかないことに遭遇する/してきたことに気づきます。そしてそれが数多くある/あったことも。

そんな状況や出来事を理解し対応するときに、目に見えないものやカタチのないものを勘定に入れたほうがより現実的だということが肌感覚としてわかってくるのです。

そして実際にそれらを勘定に入れた結果として、以前より流れが良くなって思い通りにいくことが増えたり、自己理解が深まり肯定感が上がったり、自分らしく生きられるようになったり、…等、よりよく生きる助けになるのです。そして人生は自己成長の旅だな、と成長の楽しみを味わいながら年月を歩んでいけるからです。

これが、人生の意味がわからず、がむしゃらに前進しようとするけどあちこちに頭をぶつけ、生きることにうんざりしていたかつての僕に起きたことです。

これから、僕のような「普通」の人、「常識人」に役立つスピリチュアルな情報をお届けしますので、興味ある方はフォローしてください。

では、佳き一日を。

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