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ブログその20 「白雪」

好きでいてくれる人、愛おしいと思ってくれる人、愛そうとしてくれる人を愛していたい。そう思います。最近、愛することは何だろうってずっと考えていて、それだけで1日が過ぎたり、何も食わずに没頭していて、よくわからないです。心?の片隅にあるじんじんとした気持ち。愛おしさ。すごく深くて測りきれないほどの包む感じ。思うんです。こう、抗いたくても、板挟みであらがえない人、これはこうなんだ!と、言葉の意味ではなくて、外側の形だけで押し通された人、手を出して声を振り絞って伝えようとしている人、伝えたいことがあるのに、すごく優しすぎて伝えずじまいの人、何か一つのことを本気でやろうとしている人、ちゃんと言葉の意味を理解しようとして考えながら集中している人の姿を聞こえないように変人や見下したり、比較をして優越に浸り、バカにしたりする人たちを一つの個性として受け入れようとしても、その姿、言葉、一つ一つを見たり聞いたりすると、どうしても好きになれないです。
どうして、そういうことをするんだろうと思うとすごく苦しくて切なくて、虚しくて悲しい気持ちになります。そういう人たちとは分かり合えないのかな…?決めつけや押し付けがあると、難しい言葉使いますが、固定概念の壁に束縛されて、話すことを潰されること響き合えないことに憂います。一人一人承認欲求があることも、価値観があることもその違いがあることも、、、、すみません。言うのが怖いです。触れることも。

生きることが死ぬためのレールを歩いているのなら、、、好きでいてくれる人、愛に溢れて包み込もうとしてくれる人を好きで愛していたい。愛おしいとずっと感じていたい。

誰かと会話をしていて誰も知らないことを知りたい。歩きたい。ずっとずっと探していることのヒントが「心」にあるのかも。

大切にしてくれる人、心配してくれる人がお声がけをしてくださると言葉にできないくらい本当にありがとうございます。ちょこちょこ歩いていますが生きています。

私はずっと暗い影を歩いていて太陽みたいな人にはなれないのかなと思います。でも、そんな大きな太陽みたいな人が困っていたら助けたいです。人に優しくありたい。人を好きでありたい。人を愛していたい。人の中に寄り添う
一つの粒子の光としてありたい。

カメラを買いました。触れたいのですが、触れたくないのです。
いつかここに写真をお見せできたらと思います。言葉も。

最後に今年は遠い海と星の場所を旅できたらいいなと思います。

寒い日が続きますがご自愛くださいね。おやすみなさい。

最後までお時間を割いて読んでくださりありがとうございます。生活するきっかけになれたならとても嬉しいです。