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フランス料理の歴史

中世
中世フランス料理は宮廷内限定の食文化であった。まだ明確な作法は存在しておらず、給仕においても特に規則性の無い雑多なメニューが次々と、あるいは一斉にテーブルに並べられていた。食肉は加熱調理された後に厚くスライスされてマスタード風味の濃厚なソースで味付けされることが多かったようである。食器の使用も稀であったようで、硬い平板状のパンが皿として用いられていた。ナイフやフォークの使用も一般的でなく直接手づかみで食べるのが普通だった。スープやシチューはテーブルにある専用のくぼみに注がれ、それらはパンに浸すか、直接手のひらで器用にすくって飲んでいたという。中世フランス料理の代表的なシェフはギヨーム・ティレルであり、14世紀に活躍した彼のレシピをまとめたとされる「Viandier(フランス語版)」は一部に後世の創作が疑われるものの、現在に繋がるフランス料理の源流に位置付けられている。

近世(16〜18世紀)
16世紀のフランス料理は、イタリア料理の大きな影響を受けてほとんど一体化していたほどだったとも伝えられている。これはフィレンツェ出身のカトリーヌ・ド・メディシスが、ヴァロワ朝のアンリ2世に輿入れした際に連れてきたイタリア料理人に起因すると言われているが、ルネサンス期の両国の文化交流の中で自然にもたらされていたという見方も存在する[2]。イタリア料理文化の影響によってフランスでもナイフとフォークを用いる食事作法が一般的になっている。

17世紀になるとフランス主義の復興が重んじられて、イタリア料理の影響から離れる方向性でのフランス料理の改革運動が始められた。その結果誕生した「オートキュイジーヌ(至高料理)」はフランス宮廷料理のフォーマルな様式として定着し、現代ではフランスの伝統的な高級料理モデルとして認識されている。ワインとチーズ文化およびパティスリーの世界も本格的な開明を迎えた。17世紀の高名なシェフであるラ・ヴァレンヌ(フランス語版)が1651年に上梓した「Le cuisinier françois」は、フランス初の正式なレシピ書として当時の宮廷料理事情を現代に伝えている。フランス料理はヴァロワ朝からブルボン朝時代を通して豪華絢爛な発展を遂げたが、依然王侯貴族のための宮廷内の専売特許であった。当時はギルド(同業組合)の統制によって食材業者と調理師の商業活動が制限されていたので、フランス料理文化の一般市民への普及は封建制度の消滅まで待たねばならなかった。

近代(19世紀)
18世紀末に勃発したフランス革命はフランス料理文化にとっても一大転機になった。アンシャン・レジームの崩壊によって宮廷内での職を失った料理人たちが多数流出し、またギルド制度の消滅によって商業活動に対する規制も撤廃された。宮廷出身の料理人たちが街角で自由に店を開けるようになった事から、市街地にはそれまでにない洗練されたレストランが立ち並ぶようになり、革命で富裕化した市民たちがそこに通い詰めるようになって、フランス料理は市民レベルでの普及時代を迎えた。そうした自由な気風の中でカリスマ的なシェフも登場するようになり、特に有名だったアントナン・カレームはシェフの帝王と称えられていた。カレームはオートキュイジーヌの芸術性と美食性を更に高め、また「L'art de la cuisine française au dix-neuvième siècle」を始めとする著書の中で洗練されたメニューと精緻を凝らしたレシピを数多く紹介し、フランス料理の近代的発展に大きく貢献した。

近現代(1900年前後)
19世紀後半になるとフランス料理はオーギュスト・エスコフィエによって形式的な体系化が進められ、従来にないアカデミックな料理文化へと発展した。エスコフィエによる調理技術の理論的な形式化は、料理文化の輸出というグローバル運動の際にも有利になり、フランス料理がイタリア料理などを差し置いて世界三大料理の座に据えられたのは彼の体系化によるところが大きいと言われる。各国のフォーマルな正餐や晩餐会でも持てはやされるようになり、フランス料理は高級料理の代名詞になった。エスコフィエは、カレームによって編み出された数々のレシピの技巧に走り過ぎている部分を巧みに簡略化して、より実用的な調理工程に沿えるように再構築した。また「ブリガード・ド・キュイジーヌ」と呼ばれる組織構造を厨房内に導入して調理作業の効率化を図った。本来はチーフを意味する「シェフ」が西洋コックの代名詞になったのは、彼がブリガード内の各調理責任者にシェフの呼称を当てたことに由来している。エスコフィエは厨房内のモラル教育も重視し、規律と礼節を行き渡らせて料理人たちの社会的地位向上にも腐心していた。エスコフィエが形式化したフランス料理の知識体系は1903年刊行の「Le guide culinaire(英語版)」にまとめられており、これはフランス料理のバイブルになっている。

現代(20世紀)
1930年代に入ると大戦間期の三大シェフと言われるフェルナン・ポワン、アレクサンドル・デュメーヌ、アンドレ・ピックらが、エスコフィエの料理体系を受け継ぎながらも、更に時代に合わせた形へと進化させていった。1960年代になると、エスコフィエの料理体系から素朴な家庭料理や郷土料理の数多くが取り残されているという問題点が指摘されるようになり、従来の高級料理一辺倒のイメージ払拭を兼ねて、カントリーサイドに焦点を当てたフランス料理本来の姿を全世界に紹介しようとする運動が始められた。その中では郷土料理文化の積極的アピールと、それを体験させるためのガストロノミーツアー(美食旅行)が数多く企画されてミシェランガイドなどが大きな役割を果たした。1970年代になると、伝統的なソースによる濃厚な味付けをあえて避けるようにして新鮮な素材主体の風味を活かそうとする調理技法が、ポワンの弟子であるボキューズ、シャペル、トロワグロ兄弟たちを中心にして指向されるようになり、これは「ヌーベルキュイジーヌ(新生料理)」と呼ばれてフランス料理の新たな潮流になった。1980年代半ばになると、濃厚なソースを重視する古典回帰の調理技術が見直されてオートキュイジーヌに代表される伝統的な料理様式が改めて支持されるようになった。その中で伝統技術と現代科学技術をミックスさせようとする調理技法も誕生し、ロブション、ガニェール、デュカス、ロワゾーといったシェフたちが担い手になった。現在もシェフたちによる新しい調理技法の探求は続けられており、古典重視の保守性と自由で柔軟な前衛性を持ち合わせたフランス料理文化は終わりのない進化の様相を呈している。

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