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浪人の夏

こんにちは!スマイリームラカミです^_^

もう8月も半ばですね。この時期になると、大学浪人してた頃を思い出します。

家庭の経済状況が良くなく、予備校に行くお金が無かったため、宅浪をしていました。

この頃家に出ることはほとんどなく、ストレスで発症した湿疹の薬をもらいに2週間に1回、病院に行くぐらいしか、外に出ることはありませんでした。

そして夏を迎えた頃、今の自分がどれだけレベルが上がってるか分からなくなり、不安になり、親に夏期講習だけ予備校に行かせてほしいと頼みました。

母親はへそくりでためた10万円を僕の夏期講習代に当ててくれて、4つだけ授業を受講することができました。

しかし、これが僕の転機となりました。

1つの授業は4日しかないため、帰ってその日受けた授業を復習し、宿題もやって、分からないところをまとめて、次の日に質問するようにしました。

宅浪しているため、分からないところがあっても、教えてくれる人はいないため、夏期講習の先生に聞くしかありませんでした。

この頃分からない問題があると、気になって寝れなくなくなるほど、精神的に追い詰められた状態になっていて、夏期講習が終わる前に聞かないといけないと必死になっていました。

しかし、ある授業の最終日に受けた問題の答えの意味が分からず、その状態で夏期講習が終わってしまいました。

そこから1週間か2週間、その問題の答えが気になって気になって仕方がありませんでした。

今ではそれほど執着してた理由が分かりませんが、そのときは完璧じゃないとだめだという強迫観念に駆られていました。

夏期講習の間の授業と復習でかなり疲弊してた状態で、僕はその問題の答えをひたすら考えてたため、とうとう精神的にダウンしてしまいました。

理系を目指していたのですが、その問題は物理の問題で、ここでつまづくようなら、僕は理系には行けないと思ってしまいました。

そして親に理系を諦めると伝えました。

僕の父親はお金がなく大学に行けず、僕には大学で工学系の勉強してほしいと思ってました。父親ができなかったことを実現させたいと思い、工学系の道に歩もうと思ってました。

僕がその話をすると、父親も母親もショックを隠せず、母親は泣いてしまいました。

へそくりの10万円を出してもらって、予備校に行かせてもらったのにもかかわらず、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、僕にはこの後勉強を続ける力もない状態まで追いやられていました。

そしてその後話し合った結果、文系に転向し、地元の公立大学を目指すことになりました。その大学ならレベルもそこそこで、家からも近いので、いいのではというのが理由でした。

元々目指してた大学よりはレベルを下げましたが、それでもその時の自分のレベルではそこそこ厳しいレベルの大学でした。

ただ経済的状況から私立は行けず、家から近いところしか無理なので、もうそこしかありませんでした。

何よりも浪人させてもらったあげく理系を諦め、親を悲しませてしまって、これ以上、わがままなんて言えませんでした。

僕はその後も、勉強を続けて、無事合格することができました。

辛くて辛くてしんどかった浪人時代でしたが、今になってはその経験から得られたものはとても大きかったなと感じてます。

浪人時代の夏は一生忘れない思い出です。

今日はこれで。長く拙い文章でしたが、読んで頂きありがとうございました。




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