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看護師(準公務員)を退職して、写真を仕事にします(後編)

こんにちは、ついに来週が最後の勤務となりました。看護師だったsmithです。いざ辞めるとなると、楽しかったことしか浮かばないものですね。どうやら名残惜しいようです。こちらの記事は後編となります。

前編では、私がなぜ看護師になったのか、転職のきっかけとなったおふたりとの、SNSでの出会いについて書いています。興味のある方は読んでいただけると嬉しいです。

さて、後編では、看護師という仕事の表と裏、特に手術室看護師について書いてみたいと思います。また、退職した理由についても触れていきますので、長文にはなりますがお付き合いいただけましたら幸いです。

※長いです。「長すぎて読めるかー!!」というあなたは、看護師を辞める理由から読んでいただけるといいかなと思います。

はじめに

前編でも書きましたが、このnoteは私の主観によるものであり、全ての看護師、病院に当てはまるわけではありません。ご了承ください。

看護師という仕事

看護師は「診療の補助」「療養上の世話」が主な業務であり、国家資格です。病院では患者さんに一番近い職種であり、注射などの医療行為からオムツ交換、入浴介助などの介護、患者さんやそのご家族のお話を聞いて、医師や薬剤師、ソーシャルワーカーなど様々な職種との橋渡しを行ったりします。

内科(慢性期含む) ゆったりだが給料安い

奨学金の関係で最初に働いたのは内科、いわゆる慢性期の病院でした。脳梗塞後遺症などで寝たきりの患者さんに対して、介護主体のケアを行っていきます。

バイタル測定、口腔ケア、注入食(食べられないので管から栄養剤を流す)、オムツ交換、入浴介助など・・・

話をできる方が2割程で、あとは意識障害、寝たきりの方ばかりでした。いつも同じ流れで落ち着いて仕事ができ、時間がゆったり流れていて、患者さんと1時間話していても定時で仕事が終わる。9時ー18時の定時で残業はなし。私には合っていたように思います。ただ、給料が・・・安い。夜勤を7回して手取りが20万あるかないか。昇給は3年間で100円笑

また、20代前半の私は、「男たるもの、急性期領域でバリバリ仕事をこなせるかっこいい看護師になりたい!」と思っていました。そんな中、いろいろあって看護教員となります。

看護教員 中学生日記みたいな日々

実務経験が3年あると、臨時教員として2年間の期限付き教員免許が取得できます。元々教育に興味があり、母校で看護教員となりました。

副担任で自分のクラスを持ちながら、看護教科の授業、実習指導などを行いました。授業に関しては毎年国家試験の傾向、教育指針が変わるため、1から授業を組み立て、プリントやテストの作成を行うので大変でしたが、自身が学生のときには知らなかった教員の苦労を知ることができ、いい経験になりました。

1番の思い出は12月、私の誕生日の日に生徒が「家に帰らない!」と言い、20時くらいまで寒空の下、お散歩したことです。(ただし、生徒はめっちゃ不機嫌)ケーキ屋さんは閉まっていたので、帰りにコンビニでケーキを買って1人で食べました。・・・あれ、画面がみえない

私の学年はほとんど残業はありませんでしたが、先輩から「部活の顧問になるとほとんど休みがない」と聞いていたので、お誘いには全力でお断りしました。笑

ただし、私の学校は寮の引っ越しや地区PTAなどで休日出勤が多く、1年で20日ほど「代休」が発生しました。慣れてくると、この代休や有給を組み合わせて夏休みなどでほぼすべて休暇・・・!などする先生もいらっしゃいましたが、長期休みは授業準備でほぼ出勤していました。代休は1年で消滅するため、結局使い切らないまま退職・・・

実習では、学生時代のトラウマが若干蘇りつつも、慢性期から急性期、精神科などさまざまな病院で実習指導させていただきました。

1年のうちで、さまざまな学年の実習が常に組まれており、1日実習指導のこともあれば午前中は実習で病院→午後から学校で授業、ということも。大変なときは、5時に家を出て実習先まで1時間半→11時くらいまで指導を行い、車の中でご飯を食べつつ次の実習先まで1時間→午後に実習指導を行い、学校へ→21時帰宅というハードスケジュールをこなすこともありました。・・・大変だった・・・

実習中はもちろんトラブルも発生します。なにせ学生は何が怖いのかということがわからないんですよね。「薬は一人で患者さんにのませたらだめよ、必ず看護師を呼ぶんだよ」としつこく言い聞かせていたのに一人で飲ませてしまったり・・・患者さん、ご家族、指導者さん、最終的に看護部長さんにも誤りに行きました。超怖かった。

この実習指導を行っていく中で、どんどん自身の中で大きくなっていった思いがありました。それは、自身に急性期領域での経験がないこと。

いくら机上で勉強しても、経験がないため表層しか教えることができず、指導者さんや先輩にフォローしてもらいながら指導を行っていきました。しかし、一度は急性期を経験したいという気持ちが消えるばかりか、どんどん大きくなっていったため、1年で教員を退職し、急性期の病院へ転職することに。これが地獄の始まりとも知らずに・・・

外科(急性期) 地獄の日々

外科とは、主にがんなど手術が必要な患者さんがかかるところです。胃がんや虫垂炎(一般的にいう盲腸)なら消化器外科、骨折や外傷なら整形外科、心臓の手術なら心臓血管外科など・・・

手術が主体なので、入院している患者さんは術前、術後の方がいらっしゃいます。術前は手術や今後のことなど不安が強く、術後は痛みや合併症、術後の出血などで再手術となることも。そのため気を抜く暇がなく、こなすタスクが多い多い。

8時開始ですが情報収集、準備などで7時過ぎには出勤。タイマーを3つ持ち歩いて、術後のAさんのバイタル(血圧など)測って、次はBさんの点滴更新して、Cさんの検査呼ばれて連れて行って、Dさんの保清(体を拭いたり)やって、ナースコールが鳴ったから行かなきゃ・・・記録を始めるのは夕方、終わるのは21時前後。ひどいときには日勤なのに0時を超えたり。

患者さんの話を聞く暇もなく、ただ業務をこなすことで精一杯。先輩には毎日怒られ、「なんでこんなことやってるんだろう」と病んでいきました。正直辛すぎて、1年で辞めましたがほとんどを覚えていません。

外科と内科は医師も看護師も全く毛色が違います。私が外科で働いていた病院は、とにかく仕事を早く終わらせる人がえらい、仕事ができるという風潮がありました。合わなかった。

今の職場が辛い方は、無理して心が壊れる前に辞めて、他の部署や病院へ移りましょう。体の痛みと同様、心の痛みも我慢しても何もいいことはありません。辞めても就職先はいくらでもあります。

手術室 自身の力が発揮できた場所

看護師になったあと手術室に興味を抱き、4年の病棟経験、1年の教員を経て手術室看護師になりました。それから10年。本当にたくさんの手術を担当させていただきました。

私の病院は総合病院のため、皮膚科の局麻から心臓血管外科の人工心肺を回す手術まで、10以上の診療科の手術をこなします。長い手術は24時間に及ぶものもあり、最初は覚えることが多すぎるのと、病棟とは全く異なる知識、技術が必要になるため、必死でした。しかし、学生時代から解剖生理(人体の構造や機能のこと)が好きだったため、勉強は楽しいものでした。

手術室では麻酔がかかっていて眠っている時間の方が長いため、患者さんとお話する機会は病棟より少なくなります。そんな中で命をお預かりするため、極力安心して任せていただけるよう、一つ一つお声かけをしながら、安全かつ安楽な手術となるようケアをしていきます。

手術が無事終わり、元気に回復していく様子や、「あなたのおかげで安心できました。ありがとう」と言われた時には、なんとも言えない達成感や喜びがありました。

また、器械出し(よくドラマなどで「メス!」と言われて渡す役)では、大きな手術になると500個以上の器械を使うものがあるのですが、それを誰からのアドバイスも受けず、スムーズに介助できた時にも大きな達成感があります。医師からも「お!今日はsmithくんじゃん!よかった!」と言われると、1人の医療人として、対等な立場で役に立てていると思うことが出来、やりがいに繋がっていました。

話題が逸れますが、もし看護師・学生さんがみていたら、ぜひ3年くらいは手術室を経験してみてください。世界が変わります。看護師として、一生忘れることのない知識、経験を身につけることができますのでおすすめです。

余談

驚かれると思いますが、手術室看護師は血まみれの内蔵をみながらでもお昼ご飯が食べられます。グロテスクという印象はなく、「この段階だからもうすぐ終わるかなー」とか、「あと3時間はかかりそうだねー」ということしか考えていません。慣れって怖いですね。

あと手術中は部屋の温度が25度とかになるので、「汗!」って意外に言われないです。

周術期外来

手術を受けるにあたって、問題となることがないか事前にチェックするのが「周術期外来」です。手術室看護の一環として、看護師が採血データや内服薬、既往歴をチェックし、患者さんの問診を行います。その情報をもとに、麻酔科医師が問診を行い、全身麻酔をかけても大丈夫か判断をします。看護師は患者さんに困っていることやきついところはないか確認し、手術の際の担当看護師に情報をつなぎます。

大きな病院は患者さんも多くなるため、どうしてもお待たせする場面があります。眼の前の患者さんの情報に見落としがないか確認しつつ、他の患者さんの待ち時間なども考える必要があります。苦手。

人間関係は大事

心理学者のアドラーは、「人の悩みの9割は人間関係」と述べています。ほんとにそれ!!!!

どんなにきれいな職場でも、給料が高くても、直属の上司に話が通じなかったり、理不尽にキレる医者がいたり。患者さんのために全力を尽くしたいのに、余計な対応に力を使ってしまうことになります。

手術が上手な先生、仕事ができる上司ほど優しい気がする。心に余裕があるからでしょうか。「弱い犬ほどよく・・・あsdf

私が看護師を辞める理由

やりたい仕事ができた

以前、尊敬する2人の我が師匠のひとり、haru wagnusさんに今後の身の振り方についてご相談しました。(もうおひとりは鈴木啓太 urbanさん)その中で、「せっかくいいロケーション、引きの写真撮ってるんだから、観光に結び付けられるよう意識してみなよ」とアドバイスを頂きました。コロナ禍のとき、私の病院では「県外への渡航禁止」という縛りがあり、より鹿児島のいろんなところを巡るようになりました。

そして、気がつけばよく同じ地域に行っていることに気が付きます。

そこは比較的マイナーな地域ですが、魅力的なロケーションに溢れた場所でした。そこで出会った方にお話を聞いたところ、「このあたりは面白い伝承や魅力的な景色がたくさんあるのに、プロモーションが上手ではないんですよね」とおっしゃっていました。

ここで、haruさんのアドバイスと、この方のお話が繋がります。さらに自分自身も魅力を感じているこの地域。ここを中心に、魅力を発信していこう!と思った矢先、なんとその地域の観光協会から求人が!しかも写真、SNS運用が業務で副業可!!気がついたら応募していました。

兼業フォトグラファーという選択

一般的に看護師は副業が禁止されている場合が多いです。私は案件など上司に申告し、副業にあたらない範囲で活動を行っていました。しかし、ありがたいことに少しづつ企業様からお仕事をいただくことが増え、プロフィール撮影などもご依頼をいただくようになりました。こどもが3人いるので、フリーランスとしての独立はまだ難しいですが、観光協会とフォトグラファーという兼業により、夢だった「写真を仕事に」が実現可能なものとなりました。

ネガティブな理由


手術室看護師は本当にやりがいのある仕事です。しかし、手術室看護以外の部分に縛られることが増えてきました。

ちゃんと勉強をしてこない後輩の指導。命に関わるため、こちらがカバーしてなんとかしますが、学ぶ意志がないスタッフはどうにもなりません。1年目だろうが、10年目だろうが患者さんからすれば同じ「看護師」というプロです。そこには責任が伴います。

手術件数の増加とマンパワー不足。手術は病院経営に直結するため、手術件数の増加は病院の利益になります。1件終わったら30分以内に次の手術をいれる。ひたすらスピードを求められ、ひとりひとりの患者さんへの関わりが薄くなっていく感覚。

将来が見えなくなった(憧れる対象不在)

昇級試験を受け、副師長がみえてきました。反対に、将来がみえなくなりました。部長からは提出書類のAとかBの評価だけで内容も見ずに嫌味を言われ、「ああ、私はこの人たちが理想とする看護師にはなれないし、なりたくもないな」と思って気持ちが切れてしまいました。管理職は病棟の稼働率や勤務表作成など周辺業務に追われ楽しそうではない。若い頃は、器械出しが芸術的だったり、ひたすら真摯に患者さんに向き合う憧れの先輩がたくさんいました。しかし、今憧れる人はだれもいなくなってしましました。

心理的負担が大きい

10年経っても毎日勉強です。一つのミスが命に関わるため、平日はほぼ仕事で頭がいっぱい。60人の部署の教育担当でもあり、そちらもすすめていかなければいけない。たまの休日にも家族との時間は大事にしたい。そうすると、クリエイティブな思考をできる時間は月に1週間もないくらい。わたしは器用ではないので、やりたいことはたくさんあるのに考えることも撮影に行くこともできない。そんな歯がゆさがありました。

人生も写真も、ネガをポジに

ハービー・山口さんのご友人、ジョセフ・クーデルカさんの名言です。

「人生も写真も、ネガをポジに」

お話してきたいろいろな思い。それは嫉妬や歯がゆさ、葛藤など様々なネガティブ要素を含みます。それらは、そのままではただの負の感情です。しかし、それを作品に昇華できたら。活動の原動力にできたら。それは、ネガフィルムを現像してポジティブ像に反転するように、人生も好転できるのではないでしょうか。私はこの言葉が大好きです。

おわりに

長文を読んでくださり、本当にありがとうございました。今の考えを嘘偽りなく書いてみました。いかがでしたでしょうか。

4月から新しい職場で働きます。10代の焼肉屋でのアルバイト以降、医療の世界以外で働いたことがないため、楽しみと不安が入り混じった不思議な感覚です。

できることをひとつずつ。少しづつ、確実に前にすすんでいきます。今後ともよろしくお願いいたします。

追伸
4月から写真のお仕事も制限なくお受けできます!ぜひお仕事ください!!がんばるぞー!!

ではまた!

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