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ダフト・パンク 今なお愛される彼らの功績と影響を5つのポイントで振り返る


ダフト・パンクが解散を示唆する動画を発表した2021年、この5月で彼らの最後のアルバムとなる『ランダム・アクセス・メモリーズ』のリリースから8周年を迎えます。改めていかに彼らがシーンに影響を与え、そして尊敬されていたかをDJ/キュレーターのTJOさんに紐解いてもらいました。

ダフト・パンクが今年の2月22日に突如として公式Youtubeチャンネル上で「Epilogue」というタイトルの動画をアップしました。

8分にも及ぶ映像の最後には2人の手で作られた三角のハンドサインに『1993-2021』という文字。本人達からはこれ以上に明確なアナウンスはなかったものの、米ピッチフォーク誌は彼らの広報担当から解散を認めたという情報を掲載し、世間を騒がせました。

まるで狐につままれたかのような思いながら、世界中の著名アーティストから彼らへのコメントがアップされました。今回はその中からSONY MUSICの公式サイトでピックアップされたアーティストらのコメントを軸に、彼らが残した功績を解説していきたいと思います。

・SONY MUSIC公式サイト:
「Thank you for everything ありがとう #daftpunk

1. ペンタトニックス:ポップ・ミュージックとしての強さ

まずはなんと言ってもペンタトニックスが「ディープなハウス・カットから、ラジオにも対応できるダンス・ファンクのヒット曲まで」と語る通り、ダンスミュージックをポップスにまで昇華したその功績。97年にファースト・アルバムとなる『ホームワーク』をリリース。彼らが影響を受けたディスコやシカゴハウス、アシッドハウス、テクノを初期衝動のように詰め込んだアルバムはほぼ全編歌のないインストの楽曲ながら、すでにずば抜けたポップ・センスを爆発させ世界中で大ヒットします。これ以降ディスコ・サンプルのダンスミュージックの流行を作り、彼ら周辺のサウンドは「フレンチ・タッチ」と称されるほどの一時代を築きました。そして2001年のセカンド・アルバム『ディスカバリー』は永遠の名曲「ワン・モア・タイム」を筆頭に、より歌心とポップさを強化し数々のヒット曲と共に2000年代を代表する一枚となりました。すでにポップスシーンで大成功を収めた彼らですが元々ロック・シーンからの支持も厚く2005年のサード・アルバム『ヒューマン・アフター・オール』では、ロックのダイナミズムとエレクトロミュージックを融合。以降に続く同郷フランスのジャスティスなどを中心とした一大ムーヴメント「フレンチ・エレクトロ」など、今でも使われるニュアンスとしての「エレクトロ」なる言葉の先駆者として数々の影響を与えてきました。余談ですがジャスティスが所属し、「フレンチ・エレクトロ」を牽引してきたエド・バンガー・レコーズはダフト・パンクの元マネージャー、ビジーPが主宰するなどファミリーツリー観点からも彼らが残してきたものがいかに偉大だったか理解することができます。

新しい流れを生み出しながらも常にポップで居続けることの凄さは、このペンタトニックスのアカペラ・カヴァーを聴いても「あ、どっかで聴いたことがある」という部分だけでなく、仮に初めて聴いたとしても各曲に耳に残る強烈なフックがあるということからも感じることができるはずです。


2. ポーター・ロビンソン & マデオン:次世代への継承

上記のペンタトニックスの項でも触れた通り、彼らが残した先駆者としての功績はまだまだ計り知れません。それぞれが10代の若さで2010年代を代表するエレクトロミュージック・プロデューサーとなったポーター・ロビンソンとマデオン。SNSの投稿から見てもその想いが伝わるほど、ダフト・パンクから受けた影響と彼らへの愛は大きかったようです。マデオンは彼らと同じフランス出身で、初期作品の高揚感に満ちたエレクトロサウンドからしてその影響を大いに感じられることができます。そしてポーター・ロビンソンは以前このnoteでも書いた通り日本のアニメから大きな影響を受けています。2人が共通して触れている「インターステラー5555」は2001年のアルバム『ディスカバリー』を発端とするアニメーション作品。

このアニメを手掛けているのがダフト・パンクが敬愛する日本の漫画家、アニメーターである松本零士です。彼らがフランスで幼い頃から見ていた大好きな日本アニメ、それを『ディスカバリー』のミュージックビデオとして松本零士に依頼したのがキッカケでした。2001年時点ではシングル曲だけの単独MVとして部分的に公開されていましたが、2003年にアルバム全曲を一つの作品にした67分のアニメーションオペラとして公開されました。この企画はここ日本のみならず世界中で話題を集め、少年だったポーターとマデオンをも夢中にさせたのでした。特にポーターに至っては、エレクトロ音楽とアニメの融合を初めて見た経験として、いつか自分もこういったアニメーション作品を作ってみたいと憧れを抱き続け、それが2016年にまさにマデオンとの名曲「シェルター」で実現します。ポーターは自分が大好きだった日本のアニメスタジオA-1 Picturesに話を持ち込み、何度も日本に通っては原案からこの作品を生み出しました。この映像作品に関する記事は以前僕が書いたnoteに纏まっているのでぜひ合わせて読んでみてください。ちなみにマデオンのTwitterによるとダフト・パンクの解散のニュースを一番に教えてくれたのはポーターだったようで、改めて彼らの仲の良さ、そしてダフト・パンクが本当に好きなのが伝わってきますね。

ダフト・パンクの描いたロマンがしっかりと次世代に受け継がれている。音楽だけでない先人への愛やリスペクトが理想的な形で流れを作ったといえるでしょう。


3. スティーヴ・アオキ:EDMシーンへの影響

今やEDMシーンの重鎮であるスティーヴ・アオキも言う通り、ダフト・パンクの与えてくれた音楽体験は着実に様々なシーンの中に流れていて、EDMシーンもまさにその影響無しでは語れないでしょう。まずは楽曲。未だに彼らの楽曲はサンプリングやマッシュアップされ、クラブやフェスで多くのフロアを揺らしています。原曲を聴いたことがないという世代でもその声ネタは聞いたことがあると言う人も多いはず。またアメリカのマーケットに進出することで一大ムーヴメントに拡大していったEDMにとって、例えば2007年にカニエ・ウェストがいち早くダフト・パンクをサンプリングし「ストロンガー」をヒットさせアメリカのチャート・ミュージックとダンスミュージックを結びつけたことは確実にこの起爆剤の一つになったでしょう。この成功を機に以降もジャネット・ジャクソン、バスタ・ライムズ、ジャズミン・サリヴァンなどもダフト・パンクをサンプリングすることとなります。

そしてその最もたる大きな要因が、最後のライブツアーとして今や伝説となった2006年4月の米コーチェラ・フェスティバルから始まった「アライブ」ツアーと言われています。同年8月にサマーソニック'06でも来日を果たしたこのツアーで、全長24フィートにも渡る巨大なピラミッド型のステージにロボットの衣装に身をまとったダフト・パンクが登場。LEDと照明を駆使したパフォーマンスは世界中で話題となり、このショーの形が2010年代に台頭するEDMフェスや様々なジャンルの巨大ライブステージの基礎となったとも言われています。またスクリレックスはこのツアーを体験してエレクトロ・ミュージックの道に歩むきっかけとなったと言っていたり、スティーヴ・アオキはビルボードのインタビューでコーチェラでのショーが自分の人生を変えるほどの出来事だったと公言しています。

音楽面のみならずステージングという面でもダフト・パンクが切り開いてきた道は大きなものでした。


4. ファレル・ウィリアムス & ジュリアン・カサブランカス (ザ・ストロークス):先人へのリスペクトに満ちたアルバム『ランダム・アクセス・メモリーズ』の素晴らしさ

ここまではダフト・パンクが与えた影響という切り口で語ってきましたが、忘れてはいけないのが彼らは同時に先人へのリスペクトに満ちた作品作りをしてきました。ファーストアルバムの頃から自分たちが育ってきたソウルやディスコ・ミュージックを時に気付かれないように緻密に、時に大胆にサンプリングし敬意を表してきました。それがまたダフト・パンク独自のグルーヴを生み、魅力を形成しているとも言えます。

大胆なネタ使いの例として、以下の2曲は共に1979年のジャズフュージョン、ファンクですがイントロからすぐに何の曲に使われたか分かるほどです。

George Duke - I Love You More

Edwin Birdsong - Cola Bottle Baby

そんな彼らがサンプリングではなく、実際に当時の影響を受けたミュージシャンを呼び寄せて制作したのが、2013年のアルバム『ランダム・アクセス・メモリーズ』です。

彼らがドキュメンタリーでも語っていたのは、自分たちがディスコだけでなくAORやフュージョン、ロックなど青春時代に刺激を受けた70〜80年代の音楽へのリスペクトとして、潤沢な製作費で憧れていた一流ミュージシャンに参加を依頼したということ。まずは先行シングルとして大ヒットを記録した「ゲット・ラッキー」でのナイル・ロジャース、そしてエレクトリック・ミュージックの偉人ジョルジオ・モロダー、さらにアメリカの音楽界のみならず映画界でも活躍してきたポール・ウィリアムズは映画「ファントム・オブ・パラダイス」以来のファンだったそう。これら表立ったフィーチャリング・アーティストだけでも歴史ある名前が並びましたが、実は脇を固めるバンドメンバーにも強いこだわりを見せているのがこのアルバムのすごいところ。マイケル・ジャクソンの傑作『オフ・ザ・ウォール』を筆頭にクインシー・ジョーンズ関連でも知られる名ドラマーのジョン・ロビンソン。同じドラマーとして16歳でスティーヴィー・ワンダーのドラマーにも抜擢され、マイルス・デイヴィスからスティング、マライア・キャリーまでをサポートしてきたオマー・ハキム。ギターにはマイケル・ジャクソンの『スリラー』『バッド』『デンジャラス』などにも参加するセッション王、ポール・ジャクソン・ジュニア。ベースにフォープレイのメンバーにして、1984年のフィリップ・ベイリーとフィル・コリンズのヒット曲「イージー・ラヴァー」の作者の一人としても知られるネイザン・イーストと名プレイヤーが勢揃いしています。

そしてこのラインナップから鳴らされるサウンドは一曲目の「ギヴ・ライフ・バック・トゥ・ミュージック」の派手なイントロから、アルバムの確固たる方向性を示すことに成功しています。ナイル・ロジャースとポール・ジャクソン・ジュニアのギターに、ジョン・ロビンソンのドラム、ピアノには盟友チリー・ゴンザレスが参加し、ダフト・パンクのヴォコーダーヴォイスが軽快なディスコに絡む。まるで過去でも未来でもあって同時にどちらでもない、時空を飛び越えた先の彼らの世界に入り込んだようなそんな錯覚に陥ります。ある意味でタイムレスなその感覚こそがこのアルバムの醍醐味といえるでしょう。

また分かりやすい例として挙げられるのがダフト・パンクによるジョルジオ・モロダーへのインタビューをサンプリングし作り上げた「ジョルジオ・バイ・モロダー」。9分にも及ぶ超大作ながら、まるでラップをしているかのようなモロダーのモノローグから彼に敬意を表したようなアルペジオ・シンセでダフト・パンクのルーツを聞かせます。4分過ぎには一流ミュージシャン達によるフュージョン展開、そしてストリングスだけのパートから再びシンセとタイトなリズム隊が段々と激しさを増し、壮大な彼らの音楽史を紡いでいます。

そんな偉大な先人たちと共にアルバムに並んだのがファレルとジュリアンでした。ダフト・パンクが当時のインタビューで「彼は生まれながらの完璧なパフォーマー。どれだけすごい歌手であるかを示すために僕らの伝説のパフォーマーの祭壇に加わってもらおうと思った」と語る通り、ファレルはシックへのオマージュともいえるナイル・ロジャースを招いたシングル「ゲット・ラッキー」、そして「ルーズ・ユアセルフ・トゥ・ダンス」ではその歌声だけでなくミュージックビデオでも存在感を放ちより一層楽曲の魅力に華を添えています。

ダフト・パンクの二人が大ファンと公言するジュリアン・カサブランカスも「インスタント・クラッシュ」でメランコリックなメロディのロックにエモーショナルなヴォーカルを乗せています。ザ・ストロークスがガレージロックのリバイバルを牽引していたように、彼の歌声が乗ることで往年のディスコ〜ロックを未来へと持っていったような、ファレルともまた違ったタイムレスな感覚をこの曲に持ち込んでいます。

この時のセッションがジュリアンも気に入ったようで再びダフト・パンクとコラボをしたいという話もあったようですが残念ながらそれは叶わず。ただ個人的にはザ・ストロークスの2020年のアルバム『ザ・ニュー・アブノーマル』には何となくダフト・パンクとのセッションの影響が垣間見られる部分もあって、もしまた二組が共作していたらと想像が膨らむことも。

そしてこのダフト・パンクの先人への愛を結晶化したアルバムは、見事2014年のグラミー賞で「年間最優秀レコード」や「年間最優秀アルバム」を含むノミネートされた全5冠を達成し、名実ともに傑作として彼らのキャリアにおいて一つの頂点に達しました。


5. マーク・ロンソン:グラミー賞での伝説のパフォーマンス

マーク・ロンソンもその偉業を称えるダフト・パンクはグラミー賞での受賞独占のみならず、今となっては彼らにとって最後のパフォーマスンスとなったであろう同式でのライブも忘れられません。大ヒット「ゲット・ラッキー」にファレル、ナイル・ロジャース、ネイザン・イースト、オマー・ハキムとアルバム参加のオールスター面子が大集合。途中シックの「ル・フリーク」がマッシュアップされたかと思えば、なんとスティーヴィー・ワンダーも登場。ダフト・パンクの二人はレコーディングブースに見立てたブース内にライブの途中から現れ「ゲット・ラッキー」のヴォコーダー・パートと共に会場の熱狂を集め、最後はスティーヴィーの名曲「アナザー・スター」で大団円を迎えるというこれ以上ない豪華なステージングで、賞の受賞と共にこの年のハイライトの一つになりました。

華々しい経歴と共にその活動を終えたダフト・パンク。数々のコメントからいかに彼らの功績が凄まじく大きく、同時に素晴らしいものだったかを簡単にではありますが紹介してきました。今後はソロでの活動があるかもなんて噂もされていますがその実態は本人たちのみ知るところ。今は彼らの残した素晴らしい音楽の遺産を改めて聞き直して楽しみたいと思います。

text by TJO

▼視聴:アルバム『ランダム・アクセス・メモリーズ』

視聴:ダフト・パンク プレイリスト