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歌と祈り――そうじゅもりおさんと、ティル・ナ・ノーグの事

 歌姫は、杖を突きながら、ゆっくりとステージに立った。

 長いスカートのワンピースで、華奢な体をふわりと包んで。肩にはレースのショール。ちいさなティアラに見えたのは、もしかしたらペンダントだったのだろうか。星のような石を、額にひとつだけ垂らしていた。

 ステージの片隅に杖を置いて、マイクの前に立った歌姫は、まっすぐに背筋を伸ばした。

 前奏が流れ、そして、歌声が響いた。どこか懐かしく、優しい歌。ライブのテーマは、月の光だった。

 あれから、多分、二十年くらいが経っている。

 一度だけライブに行った、あの歌姫の事を、今も忘れられない。

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 家の近くに歌の教室があるのを見つけて、思い切ってレッスンを受ける事にしたのは、十年くらい前の話だ。

「清水さんがレッスンを受けようと思ったきっかけは、『カラオケで元を取りたい』と。これ、もう少し詳しく伺ってもいいですか?」

 教室の先生は、私の書いたアンケートを見ながら、質問をしてきた。

「私、ひとりカラオケに行くのが好きなんです。せっかくなら、フリータイムで、三時間くらいは、ずっと歌いたいんですね。その方がお得ですし」

 自分がこんなところに来るのは、場違いだろうか。そんな気持ちを拭えないまま、私は、先生の質問に答えた。

「なるほど」

「でも、ずっと歌っていると、一時間を過ぎた頃から、段々声が嗄れてくるんです。それと、最近、以前より高音が出なくなってきました。そんなこんなで、楽しいはずのひとりカラオケを、何だか楽しめなくなってしまって」

「ああ、声の出し方を変えると、解決する問題だと思いますね」

「それなら、是非、声の出し方を学びたいです。私、若い頃、ちょっと演劇をやっていた事がありまして、当時は腹式発声が出来ていたと思います。でも、やめてしまってからが長いので、やはり衰えを感じているんです」

「そうですか。同じ腹式発声でも、演劇の発声と、歌の発声は、また違いますからね。無理の無い発声法を身に付ければ、フリータイムを楽しめるようになると思いますよ」

「ちなみに、こんな理由で教室に来る人って、私の他にも居ますか? それから、私、四十歳近いのですが、こんな年齢から始めても、少しでも向上するものでしょうか?」

「教室に通う理由は、皆さん様々ですが、もちろん、清水さんみたいな方もいらっしゃいますよ。年齢については、清水さんよりも、もっと年上の生徒さんも、たくさんいらっしゃいます」

 先生と話をしている内に、場違いだろうか、という気持ちは段々薄れていった。

 ひとりカラオケを楽しみたい、というだけの理由で、月謝を払ってまで歌の教室に通うのは、酔狂かもしれない。でも、人生は楽しんだもの勝ちだ。酔狂でもいいじゃないか。

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 歌を歌うのは好きだ。

 子どもの頃から、家の中で、しょっちゅう歌っていた。

 すぐに熱を出すので、外で体を動かすのは苦手な子どもだった。だから、家の中で出来る遊びばかりに夢中だった。本を読む事。ごっこ遊びをする事。そして、歌を歌う事。

 最初は、小さな声でそっと歌っているつもりだ。でも、いつの間にか、熱唱している。

 あ、いけない、と思った時には、もう、母が飛んできている。「もう少し小さな声にしなさい。ここは野中の一軒家じゃないんだから」というのが、叱られる時の決まり文句だ。

 母が間に合わない時は、祖父がやって来てしまう。私は祖父が怖かった。明治男の「やかましい!」という一喝は、本当に迫力がある。孫たちに愛情を持ってくれている事は、分かっていたけれど、怖いものは、怖いのだ。

 叱られてしゅんとする。もう歌わないもん、と、少し意固地になる。でも気が付くと、また熱唱している。そしてまた、母が飛んでくる。

 高校の同窓会で言われた言葉には、赤面した。

「ねえ、何かの行事でバスに乗った時、はこべちゃん、アカペラで、『翼の折れたエンジェル』を熱唱してたよね。あれは、結構衝撃で忘れられない」

 うわあ、ごめん。言われるまで、本人は忘れてました。同級生の皆さん、ほんと、すみません。

 正直に言うと、今も家にひとりで居ると、気が付くと歌っている。「野中の一軒家じゃないんだから」と言ってくれる人は、家には居ない。気が付いた時に、慌てて小声になる。ご近所の皆さん、本当にいつもすみません。

 ただ、「好き」と「上手」は、必ずしも一致しないのが世の常だ。

 ものすごく音痴、という訳では無いけれど、上手、とはとても言えない。カラオケの採点だと、だいたい全国平均くらいの点数だ。恐らくは、普通、としか言いようが無いだろうと思う。

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 教室で、基礎の基礎から教わる発声練習は、とても楽しかった。

 確かに、演劇の発声と、歌の発声は全然違う。

 演劇の発声は、基本的には「前方、つまり、客席に向けて、声を遠くまでまっすぐに届ける」という事に特化している。

 歌は、演劇よりも、色んな声の出し方をする事を求められる。演劇で推奨されない声の出し方をするのは、新鮮だった。

 ただ、歌は、音程やリズムを少しでも外すと、ごまかしが効かない。演劇だと、台詞を間違えても、堂々としていれば分からないのに。

「清水さんは、演劇のご経験が、歌に生きていますね。語るように歌う、というのは強みです。音程とリズムは、繰り返し練習して、体で覚えていくものです。頑張りましょう」

 先生は、飴と鞭の使い方が巧みだ。

 先生のお陰で、カラオケで長時間歌っても、声が嗄れなくなったのが、とても嬉しかった。出なくなっていた高音が、出るようになったのにも驚いた。苦手な低音も、教室に通う前よりは、少しずつ出るようになってきた。

 カラオケの採点機は、相変わらず、私の歌は、全国平均くらいの点数だと表示する。自分なりには少しずつ向上していても、目に見えて上手になる訳ではない。

 それでも、出来なかった事が、少しずつ出来るようになっていく、それだけでとても楽しい。

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「発表会に出てみませんか?」

 先生に言われて、戸惑った。

「発表会、ですか? いやいや、そんな! 私にはハードルが高いです!」

「そんなにハードルが高いものじゃないですよ。大掛かりなカラオケ大会、くらいの気持ちで、気楽に参加して頂ければ」

「気楽に、ですか?」

「もちろん、参加は自由です。でも、歌の上達は、人に歌を聴いてもらう、というのが、一番の近道ですよ」

「そうなんですか……」

「ええ。発表会に出た生徒さんは、必ずそれまでと変わりますよ」

 私は、ひとりカラオケを楽しみたかっただけだ。発表会に出るつもりなんて、全然無かった。なのに、先生の情熱的な口調に、負けてしまった。

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 発表会に出るためには、歌う歌を決めなくてはならない。

 発表会に出るなんて、全く想定していなかった私なのに、出ると決めたら、是非歌いたい歌があった。

 カラオケには、決して入っていない歌。

 ティル・ナ・ノーグ、というユニットの「硝子のむこうの空」という歌。

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 ティル・ナ・ノーグは、インディーズのユニットだ。

 そうじゅもりおさん、という人のユニットだ。「女性ヴォーカリスト」という言葉よりも、「歌うたいさん」という言葉の方が、似合う人だった。

 活動していたのは、二十年くらい前だ。

 当時は、インターネットが一般家庭に普及し始めて、個人の「ホームページ」というものが全盛だった。お気に入りのページのリンクをたどる内に、ティル・ナ・ノーグのホームページを見つけた。

 歌を試聴して、すぐさま気に入り、CDを買った。

 そうじゅさんの作詞と、三好友樹さんという人の作曲による歌の数々は、ゆったりとした優しい曲調も、透明感のある歌声も、どこか懐かしい詩の世界観も、すべて私好みだった。

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 歌を聴いてファンになった私は、そうじゅさんの日記を読むのも楽しみになった。

 ブログというものは、まだ無かった時代だけど、ティル・ナ・ノーグのホームページは、そうじゅさんの日記が、頻度高く更新されていた。

 日記には、そうじゅさんのお気に入りが、たくさん登場していた。可愛い洋服、お茶の時間、猫、観葉植物、木々と空と月、そして、旦那さん。

 そうじゅさんのお気に入りは、私も好きなものが多かった。パソコンの画面越しに、彼女の日常を眺めるのは、私の癒しの時間だった。

 ただ、日記に書かれていたのは、お気に入りの事だけではなかった。持病をお持ちで、闘病生活を送っている事も、正直に公開されていた。

 苦しみと痛みを抱えながら、それでも、優しく豊かな時間を諦めない、その姿勢に励まされた人は、きっと私だけでは無かっただろうと思う。

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「私にとって、歌は祈りです」

 そうじゅさんの日記に、そう書かれていたのが、印象深い。

 そうじゅさんは、子どもの頃から、野原が好きで、森が好きで、空が好きで、月が好きだったそうだ。

 そして、歌が大好きで、毎日歌を歌って暮らしていたそうだ。散歩道や、学校への行き帰りや、野原の中で。

 野原や、森や、空や、月から受け取ったものが、歌になり、歌う事によって、自然へと返っていくのだと言う。

 その感覚は、私の中で、すとん、と、腑に落ちるところがあった。歌とは、本来的に、そういうもののように思えた。

 嬉しい時に、楽しい時に、悲しい時に、寂しい時に、体に想いを響かせて、想いを空へと返す事。ちいさな子どものように、素直に、まっすぐに。

 上手下手など気にせず、ただ歌っていた幼い日々を、懐かしく思い出した。部屋の絨毯の色や、天井の灯り、祖父の面影と、若かった母。

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 一度だけライブに行った。どうしても、そうじゅさんの歌を聴きたくて、新幹線に乗って、会場に向かった。

 たどり着いた場所は、都心のライブハウスだった。ステージと客席の距離は近かった。私の目の前で、そうじゅさんは歌っていた。

 月の光が胸に射し込むようなあの時間を、ずっと忘れられない。

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 ある日、ティル・ナ・ノーグのホームページに、お知らせが掲載された。

 そうじゅさんの旦那さんからのメッセージだった。突然すぎて、何が起きたのか、最初は呑み込めなかった。

 そうじゅさんの訃報だと理解した途端、涙が溢れた。

 そのまま、ホームページの更新は停止された。

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 更新が無くなった後も、折々に、ティル・ナ・ノーグのページを訪れて、過去の日記を読み返す事があった。

 ライブに行く機会が失われてからも、CDを聴いて、歌を口ずさんでいた。

 主が旅立った後もなお、ホームページに残された数々の言葉と、CDが奏でる歌声に、何度助けられた事だろう。

 いちばん好きな歌が、「硝子のむこうの空」だ。

 夜明けの夢を描いたこの歌は、私自身の祈りに重なるところが多く、聴く度に、静かな勇気をくれたから。

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「なるほど。この歌は、清水さんの声質に合うと思います。選択肢としては、悪くないと思いますね」

 歌の先生にそう言ってもらえた時は、そうじゅさんが旅立ってから、十年くらいが経っていた。それでも彼女の歌は、私の中で褪せる事は無かった。

「ありがとうございます。でも先生、この歌を歌うなら、許可を取らないといけないと思います。作詞をした方のご遺族に、連絡を取ってみます。作曲した方にも、どうにか連絡を取れないか、頑張ってみます」

「分かりました。期限までに許可を取れなかったら、違う歌にしますから、その場合、何を歌うかも、考えておいてください」

「はい」

 はいと答えたものの、どうしてもこの歌を歌いたい。違う歌の事なんて、考えられない。

 どうにかして、連絡を取って、許可をお願いしてみよう。断られたら仕方が無い。でも、断られるまでは、諦めない。

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 必死になって探して、作曲者の三好さんのサイトを見つけた。メッセージを送ったところ、ありがたい事に、ご了解を頂けた。

 そうじゅさんの旦那さんには、なかなか連絡が取れなかった。

 更新が停止された、ティル・ナ・ノーグのページのメールアドレスにも、そこからリンクが張られていた、旦那さんご本人のサイトのメールアドレスにも、連絡を入れたけれど、返信が無かった。

 CDに掲載されていたご住所に、手紙をお送りしたけれど、宛先不明で返送されてきた。

 それでも諦め切れず、リンクを辿る内に、当時、そうじゅさんや旦那さんと、音楽活動を共にされていた方のサイトを見つけた。

 メールをお送りして、事情を説明し、旦那さんに連絡を取る方法は無いでしょうかと相談したところ、その方が仲介となって下さった。感謝してもしきれない。

 旦那さんご本人と連絡が取れて、歌う事のご了解を頂けた時には、ものすごく嬉しかった。が、事態はそこでは終わらなかった。

 なんと、旦那さんが、私がそうじゅさんの歌を歌うのを、聴きに来て下さると言う。

 もちろん、とても光栄で、ありがたい話だ。

 でも、本当にいいのだろうか。ひとりカラオケを楽しみたいというところから、話がどんどん大きくなっている。

 だけど、こんな機会が訪れるなんて、奇跡としか思えない。

 頑張らなくては。

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「こんな遠くまで、ありがとうございます」

「いえいえ。なかなかこういう機会もありませんので」

 発表会の当日、旦那さんご本人を目の前にして、私はまだ、これが現実だとは、信じられない気持ちでいた。

 私が一度だけ行った、ティル・ナ・ノーグのライブで、サポートでギターを弾いていたのが、旦那さんだった。そうじゅさんの日記の中にも、時々、写真が掲載されていた。全くお変わりが無いので、すぐに分かった。

「あの時、そんな恰好をして、そんなのをつけていましたね」

「はい。真似させて頂きました」

 旦那さんも、私をすぐに分かってくれたらしい。そうじゅさんのライブの時の服装と、出来るだけ近いテイストの服を着てみたから。ロングスカートのワンピースに、レースのショール。ティアラの代わりにペンダントを髪に留めて、額に石を垂らして。

 旦那さんの口ぶりは、十年くらい前を思い出す、という感じでは無かった。つい、先週の事を語るようだった。今も、そうじゅさんと一緒に暮らしているようにしか思えない口ぶりだ。

 その口ぶりに、背筋を伸ばした。

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 拙くてもいい。精いっぱい歌おう。

 そうじゅさん、そうじゅさんのようには、もちろん歌えません。でも、あなたに届きますように。

 マイクを手にして祈った。そして、音とリズムと情景に集中した。

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 歌の中には、「わたし」と「あなた」が登場する。

 ちいさな部屋の中で、「わたし」は、窓の向こうの世界に焦がれている。窓の向こうの「あなた」は、空を見て、風を見て、星を探している。

 ふたりは、窓を隔てて、すぐ側に居る。でも、視線が合う事は無い。

 時間は静かに経過していく。夕日が落ち、月が昇り、少しずつ闇の色が濃くなり、夜は更け、やがて朝焼けが訪れる。

 夜の闇の中で「わたし」は眠りに落ち、明け方の夢の中で、窓を開ける。夢の中でふたりの視線が合い、本当の空と風と星に「わたし」は、触れる。

 今の「わたし」は、夢の中でしか、窓を開けられない。

 だけど、きっと、いつか。

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 ステージの上の時間は、とても長かったような気もするし、あっという間だったような気もする。

 歌の中のふたりを思い浮かべながら、音とリズムに乗って、無我夢中で。

 気が付いたら、歌い終わっていた。

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「今日はありがとうございました。本人も喜んでいると思います」

 微笑んで言われた、旦那さんのその言葉に、泣きそうな気持ちになった。

「こちらこそ、今日は本当にありがとうございました」

「それでは」

 旦那さんは、仕事の都合があるとの事で、急ぎ足で帰って行った。

 最愛の人が、ファンの中に今も生きている。その事を確かめたいが為に、忙しい仕事の合間を縫ってまで、こんな遠いところまで、足を運んで下さったのだ。

 泣きそうな気持ちのまま、後ろ姿をただ見送った。

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 発表会の後、自宅の引越が決まった。引越で色々と物入りになったのと、引越先が教室から遠くなったのとで、私は教室をやめてしまった。

 ひとりカラオケには今でもよく行く。フリータイムでも、声を嗄らさずに楽しめている。教室に通う事にした、当初の目的は果たせていると思う。

 だけど、私にとって、教室に通った意味は、違うところにある。

 そうじゅさんの旦那さんが、わざわざ足を運んで、あの歌を聴いて下さったなんて、どう考えても、やはり、奇跡としか思えない。

 上手な歌では無かっただろう。それでも、そうじゅさんの歌に励まされ続けている人間が、今も、ここに居るのだ、という事だけは、伝える事が出来ただろうか。

 そうであって欲しいと願う。もしもそれが出来たのだとしたら、それだけで、私は、あの教室に通って良かったと思うから。

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 あの発表会からも、かなりの時間が経過している。

 ずっと更新が停止していた、ティル・ナ・ノーグのページも、旦那さんご本人のサイトも、プロバイダのサービスが終了してしまい、今は、ウェブ上のどこにも存在しなくなってしまった。

 だけど今も、私はティル・ナ・ノーグの歌と、そうじゅさんのファンだ。今でも、折々に、あの歌を口ずさんでいる。

 時々、大きな声で歌いすぎて、急に我に返って、心の中でご近所さんに謝ったりしているけれど。


★ 2021年5月17日追記

この文章を書いたときには予想もできなかった事ですが。
 
YouTubeに「硝子のむこうの空」のカバー動画(歌ってみた動画)を公開しました。
この文章を書いてから数ヶ月後に、私は、音楽コラボアプリのnanaと出会い、音楽活動を始めました。歌い始めたら、もっと向上したくなり、ボイストレーニングも再開しました。

そのタイミングで、そうじゅさんのご家族(じゃくさん)との橋渡しをして下さった、藤森あつしさん(あつやんさん)が、偶然、この文章を読んで下さり、コメントを下さいました。

発表会の後、藤森さんにお礼のメールをお送りした際に、メールの送受信のトラブルがあったらしく、私のメールは、届かなかったようなのです。このタイミングで、お礼を申し上げることが出来るなんて、奇跡が起きたように感じました。

もう一度この歌を歌わせて頂きたい、という気持ちになったのは、そうじゅさんのお導きでしょうか。少なくとも、私がひとりでそう信じる分には、きっと、どなたにもご迷惑はかからないですよね。

三好さんとじゃくさんに、改めてご了解を頂き、たくさんの想いを込めて、動画を作りました。ご覧いただけると、とても嬉しいです。

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