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「下り坂ニッポンの幸福論」を読んだ

内田樹さんと想田和弘さんの対談本「下り坂ニッポンの幸福論」を読んで考えたことを、脳内関西人の林(仮名)と富田(仮名)の会話形式でお届けします。


 「下り坂のニッポンの幸福論」ていう本読んでたら、「熱い社会」と「冷たい社会」っていう言葉が出てきてんけど、聞いたことある?

富田 「冷たい社会」は薄情な都会のイメージやな。東京砂漠的な。その反対は人間関係の濃い地域社会のイメージやけど、それは「熱い」やなくて「温かい」ってい言うのが普通ちゃう?あ、せやけど、だんじりの時の岸和田は熱いな。

 「熱い社会/冷たい社会」っていうのは、それぞれの文化圏での時間の捉え方の違い着目した言い方で、レヴィ=ストロースっていう文化人類学者が名付けたもんらしい。

富田 時間の捉え方?時間はみんな平等に1日24時間やろ。文化圏がどうであれ。

 「直進する時間」と「循環する時間」っていう人もおんねんけど、「直進する時間」っていうのは、昨日より今日、今日より明日と進歩しながら直線的に前に進んでいくイメージや。そういう時間感覚が中心の社会が「熱い社会」。

富田 それが普通の感覚やろ。「時を戻そう」ってなんぼ言うたところで、実際には過去には戻られへん。

 もう一方の「循環する時間」っていうのは、同じことがグルグル繰り返すイメージや。毎朝太陽が昇って沈んでまた昇る、春夏秋冬と四季が巡るっていうように。循環してるだけで進歩してるわけではない。それが「冷たい社会」。

富田 自然はそらそうやわな。毎朝お日さんが昇る度に進化してデカなっていったらかなわん。

 でも考えてみ?太陽だけやなくて、犬も猫も鳥も虫も、みんな「進歩せな」なんか考えずに「循環する時間」の中で生きとる。っていうか、「直進する時間」っていう感覚で生きてる人間だけが特殊やねん。その人間も、農業中心に生きてた頃は「循環する時間」が中心やったんちゃうかって、この本では言うてはる。豊作不作の波はあれ、今の会社みたいに増収増益を毎年続けなあかんというような感覚はなかったやろ。

富田 確かに、人間以外の時間は循環してるだけやのに、人間だけが進歩を続けるというのも無理があるな。それが環境破壊にも繋がってるんかもな。

 進歩してるつもりが、絶滅への道を歩んでるだけのような気がしてきた。農業中心で循環する時間感覚で生活してた頃は、子育ても農作物を育てるアナロジーで捉えられてたのが、「カイゼン!カイゼン!!」の工業社会になって、子育てとか教育も、スペック通りに工業製品を製造するイメージになってしもた。

富田 そんな農業も、今やデータで温度・湿度を計算して最適化して生産性を高めよう、っていう流れやしな。まぁそうやって管理した方がぎょうさん収穫できるんやったら、文句は言われへんけど、なんか世知辛い感じもするなぁ。

 農業は基本的に、例年通りの収穫があれば上等っていう考え方やったのが、今の会社は毎年成長を続けなあかんし、国もGDPを増やそう増やそうとしてる。

富田 普通に考えたら、成長し続けるなんか無理やん。昔の農業みたいに、一定でええんちゃうん?

 それは定常経済とかゼロ成長とかって言われる考え方で一理あると思う。

富田 人間は強欲やから、「循環する時間」では飽き足らへんのかなぁ。

 人間は退屈に耐えられへんねん。

あと、経済成長が無いなかで社会課題を解決しようと思ったら、既得権を奪っていくしかないのが難しいところや。

富田 どういうこと?

 社会にはいつも何かしら問題があるわけやん?たとえば、今の日本やったら、道路とか橋とか水道管とかの社会インフラが老朽化してる。そういう問題を解決しようと思ったら金が掛かるわけやけど、経済成長してたら、成長分した分をそこに割り当てられる。せやけど、経済成長がなかったら、今、別のところに割り当てられてる金をそっちに移し替えやなあかん。

富田 子供が塾行くようになったのに給料上がらんかったら、お父さんの小遣い減らすしかない、みたいなもんか。

 上手いこと言うやん。せやから、人間も「直進する時間」を捨てて「循環する時間」の中で平穏な毎日をただ繰り返しましょう、って言われてもなぁ、って気がする。

富田 バランスやな。「直進する時間」を全部捨てるのは無理でも、「循環する時間」も意識して、その割合をちょっと高めていったらええんかな。

 「直進する時間」の中やと、つい先のことばっかり考えてしまいがちやけど、それやと意識が「今ここ」にないから、なんか虚しくなってまう。流行りのマインドフルネスとかも、結局、「直進する時間」に支配されがちな現代社会の中で、「循環する時間」を取り戻そうっていうことちゃうかな。

<おしまい>

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