STORY⑤ 本当に格好良いことは、いつだって “二歩ぐらい先” なのかもしれない。


『スタジオ54』


その名前を知ったのは、僕のルーツとも言える “クラブカルチャー” について改めて調べていた時だった。

DVD などの映像資料は時たま見つかったりもするが、詳しい文献は一向に見つからない。ましてや学術的な論文なんか、もってのほかだ。

ただ、ウェブにアップされているたった少しの記事を読むだけで、そこの雰囲気やワクワク感、クラブカルチャーが若者にとっての “憧れ” であったようなことは、じんわりと伝わってくる。


1980 年代のナイトクラブ、『STUDIO 54』も、そのひとつ。

かのポップアーティスト、アンディ・ウォーホール。誰もがよく知る芸術家、サルヴァドール・ダリ。デヴィッド・ボウイにフランク・シナトラ、エルトン・ジョンにマイケル・ジャクソンまで。錚々たるセレブレティたちが集まり、夜な夜な音楽に揺れていた。また、マーク・ジェイコブスやトム・フォードなど、世界トップクラスのファッションデザイナーたちにとっても、そこはひとつの大切な “遊び場” だったという。

アンディ・ウォーホールという偉大なる大人に魅せられ、彼に近づこうとしたキッズたち。“憧れ” だけを持ち、どうにかしてスターたちの仲間入りをしようと、一生懸命に着飾って出向いた。

一大ファッションブランド「カルティエ(Cartier)」のアイコン的ジュエリーであり、フランス語で「一本の釘」を意味するJuste un Clou(ジュスト アン クル)。これもまた、かの「スタジオ54」に象徴されるような、ありったけの自由とエネルギーに満ちていた当時のニューヨークにインスピレーションを受けて作られている。


僕がクラブに対して感じていたこと、身をもって体感していたこと。“僕も格好良い大人になりたい” と、ちょっと背伸びして出向いていたこと。きっと、スケールはぜんぜん違うだろうけれど、「STUDIO 54」にもそれがあったんじゃないか。若者たちはこぞって無理をして、“そこに入ることのできる自分” を誇らしく思っていたんじゃないか。そんなことを思った。



そして、情報をどんどん掘り下げて調べるうちに、「ツバキハウス」「芝浦ゴールド」という名前を知った。鎖国的な文化を持つ日本において、クラブシーン・カルチャーの走りとなった場所だ。株式会社テーブルビートの「佐藤さん」という方が手掛けたらしい。


調べてみれば、新丸ビルの「丸の内ハウス」にて人気を集める蒸し料理専門店「MUSMUS(ムスムス)」や、70年代スナック「来夢来人」など、ホットなスポットはほとんど彼の仕事だった。絶対にお会いしたい。お会いしなきゃ絶対に後悔する。善は急げ、思い立ったが吉日、僕はまっすぐに「MUSMUS(ムスムス)」へと向かった。


「僕もこういう場を作りたいです!」


これだけを伝えたかった。どうしても。そんな、どこの馬の骨かも分からない僕に対して、佐藤さんは終始笑顔だった。優しく包み込むように笑い、彼が手掛けた「芝浦ゴールド」や「MUSMUS(ムスムス)」などについて、詳しく教えてくださった。

中でも彼は、「社交場とは何か」について、熱心にお話してくださった。

彼が教えてくださったなか、特に印象的だった一言がある。


『ディスコの「芝浦ゴールド」も、蒸し料理専門店「MUSMUS」も、やっていることは変わらず同じだよ。時代に即しているけれど、“二歩ぐらい先” を目指しているんだ。半歩先だと嫌味に今っぽいし、そんなのは誰にだってできてしまう。絶妙な時の流れを汲み取って、“追いつけそうで追いつけないところ” を意識してるんだ』


終始、納得しっぱなしだった。たしかに、“今っぽいもの” は、いずれ消費されてしまう。飽きが来てしまえば、そこで終わり。トレンドの移り変わりとともに風化してしまう。それならば、そのもう少し向こう、“二歩ぐらい先” を突く。そうすることで、目新しさや革新性が生まれる。目からウロコだった。心の底から感心し、納得してしまった。本当に格好良いことは、いつだって “二歩ぐらい先” なのかもしれない。そんな学びをくださった彼とお会いできて、本当に幸せだ。


佐藤さんとの話は、またどこかでゆっくり綴りたいと思う。

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