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天気の子と、鉄道のこと。

沢山の人が鉄道を使う。

通勤や通学する人、訳あって旅する人、奮起して挑戦しに行く人、夢破れて故郷に帰る人。みんな鉄道が運んで行く。

生活の足以外に、どこか心の拠り所としての鉄道の存在は大きい。災害で鉄道が断たれた時、再び繋がった時、鉄道ほど大きく報じられる交通が他にあるだろうか。二本のレールに、一体どれだけの思いが託されているんだろう。レールに自分の日常を、人生の一部を幾度となく乗せるからだろうか。はたまた、鉄道の姿に自分の人生を照らし出すからだろうか。

平地があればトンネルもあり、鉄橋があり、山越えや谷の下を走る時だってある鉄道。時には大雨や地震で遅れたり、途中で止まったりすることもある。でもそれを乗り越えて、目的地まで健気に走っていく。それがなんだか、ある種の人間臭さのようなものを感じさせる。災害で途切れた鉄道がまた繋がる時、その姿に人々が涙するのは、そういう所も理由の一つにあるんだろう。たくさんの人の人生にも、同じことが言えると思う。状況は違えど、先の条件は鉄道と同じ。その一つ一つを通過して、いつか到着する終点に向けて、速さは違えど着実に進んでいく。

天気の子に鉄道のシーンが数多くあって、日常的に見ているはずのその動きや佇まいに鳥肌が立って、なんだか変に感動した(そこじゃない)。新海監督の元描かれる、よく見ているはずの東京の「日常」は、繊細で、脆くて、うっとりするくらい美しい。

主人公のように特別な体験は無いかもしれない。ましてや、新海監督が伝えたいことは、東京の美しさではないかもしれない。それでもこの日々は、自分が思ってる以上に素晴らしくて、一人ひとりの人生が映画に出来るほど、かけがえのないものなのだろう。

映画館から出た後は、ムシっとした曇り空だった。でも、その足取りは不思議と心地よく、帰りのいつもの電車はより繊細に、輝いて見えた。

天気の子より、鉄道の話が多くなってしまったけれど、

それくらい鉄道が好きだということで、ここはひとつ。

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