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帰りの列車と、母のおにぎり。

ちょっと前の話だけど、2024年1月4日の話。
書いたことをすっかり忘れていて、なんだか半端な時期に上げることになるけど、
せっかく書いたので載せることにする。

長いようで短い正月休みも最終日。
いよいよ東京へ戻って、現実へ帰らないといけない。
帰るときにいつも乗ることを決めているが、いつまで残るかいよいよ分からなくなった陸羽東線。かつての高校時代、毎日乗っていた始発の列車で帰ることにした。

その日の朝、母がおにぎりを作ってくれた。
小さい頃から作ってくれた、しそ巻(味噌とくるみを大葉で包んだもの)が入ったおにぎりで、自分なりの母の味といえばこれが当てはまる。
2個作って、アルミホイルにくるんで、手渡ししてくれた。
作りたてだからか、アルミホイル越しにお米のおにぎりの温かさがカイロのように両手に沁みる。

いつも家を去るときに寂しそうにしている祖母と、またいつでも帰って来てねと気丈に振る舞う母にまたねと言い、実家の最寄り駅までは父が見送りしてくれた。
カバンとカメラと、母のおにぎりを手に車に乗り込む。
駅までのおよそ2分ほどのごく短い道中。
おにぎりの入った袋を見て、父が言う。
「お母さんの愛情だな。」
なんだか急に恥ずかしくなって、
「電車の乗り換えが6分しかなくてご飯を買う時間がないから、作って欲しいって昨日前もって言っておいたんだよ」と言った。
それでもおにぎりの温かさに、母の愛情をこれでもかと感じていた。

駅まで車を降り、またねと父に手を振り、ホームへ向かう。
程なくして列車が来て、乗り込む手前、ふと駅舎の方を振り返った。
まだ父は小さな駅舎の前で、車を止めていた。
手を降ったら、振り返してくれた。

座席に座り、自分以外誰も乗ってないいつもの列車は、エンジン音を響かせながら、ゆっくりと地元の駅をあとにする。
それに並走するかのように、父も車を走らせた。
まだ夜も明けぬくらい車窓の中、父は車を家方面の路地へとハンドルを切る。
見慣れた車のテールランプが徐々に見えなくなる様が、やけに胸が詰まる感じがした。

別に、今生の別れというわけではない。新幹線と在来線を乗り継げば、3時間ほどで帰れる場所だ。帰らなくても、今の時代ずっと繋がっていられる。
それでも実家に帰って、地元の空気を吸い、両親の作る料理には何にも変えられない。
どんどん人口も減っているし、両親も祖母も、どんどん年老いてきている。
いつまでも、「帰れる場所」と呼べるか保証もない。

年明け早々、能登では地震が起こったり、ネガティブなことが続いた。
地元も、今の自分の住まいも、明日もちゃんと、そこに存在しているとは限らない。
今「当たり前」と呼んでいるものの尊さが身に沁みる。

写真を撮って残すことの大切さが、ここに来てなんとも尊い。
写真で世界は変えられなくても、誰かの心に寄り添うことくらいは出来ると信じている。
自分にとって大切な人々や、自分自身にとって寄り添えられれば尚更だ。

思えば、母のおにぎりと朝の陸羽東線は、高校時代の毎日のルーティンだった。
10年経ってもそれが実現できることが嬉しい。

また帰ろう。母のおにぎりを食べに来よう。
当たり前が当たり前としてあるために、自分も頑張ろう。

帰省旅。帰りの列車と、母のおにぎりの話でした。


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