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8月15日、令和最初の日本のいちばん長い日 武蔵稜墓地へ 19.08.15 12:26

靖国神社、明治神宮とまわって、都心から大移動して八王子。
武蔵稜墓地へ大正天皇、昭和天皇の墓参り。これも終戦記念日、毎年恒例の行事。

新宿から八王子も松任谷由実の歌に合わせて中央高速に乗ってしまえばあっという間。
街の雰囲気はすっかり地方の風景へと様変わりする。八王子で高速を降り、街を離れたなぁと思う頃に武蔵稜墓地の看板が。
甲州街道を離れて武蔵稜墓地へとカーブを切ると独特の景観に変わる。
駐車場まではあっという間だ。

行事を想定してか広大な駐車場。物好きな人たちの車が数台停車している。
明治神宮の参拝までは好天だった空が、中央高速を走っていると競馬場あたりで大雨に変わった。
ゲリラ豪雨というもので、局地的な豪雨のため高速を進むほどに晴れたり雨になったりを繰り返す。
武蔵稜についたときには豪雨だったのだけれども、駐車場で暫く待つと雨は上がった。割と天気には恵まれるタイプ。しかし、豪雨の程度が半端なかった。日本の気候が明らかに変わっているように思われるのは気のせいだろうか?

武蔵稜墓地には大正天皇夫妻、昭和天皇夫妻の墓がある。
明治天皇の墓は京都で東京には明治神宮が建てられたのとは扱いに雲泥の差ではあるが、武蔵陵もなかなか広大です。
家康の東照宮と以降の将軍の墓くらいの差と思えば納得行かないものでもないか。


春なら近づきたくないなぁ。と思いながら杉林の参道を進む。
雨上がりのためすべてがキラキラと光り輝く。その分湿度はハンパない。

大正天皇の墓地を多摩陵。昭和天皇の墓地を武蔵野陵と呼び、合わせて武蔵稜墓地。
形は前方後円墳らしいが見上げる墓の全容はわからない。

まずは奥にある大正天皇の墓参りから。
伏見の明治天皇の墓を参考にして作られているらしいのだが、残念ながら伏見の墓を見たことがない。いずれそこにも行かねばなるまい。

武蔵稜全体に言えることだが、鳥居の存在感がハンパない。
鳥居は神明式で伊勢と同様シンプルなもの。
鳥居を神聖なものと感じるのは日本人のDNAに刷り込まれた特別なものなのだろうか?

緑の杉林に建つ鳥居が凛々しい。

大正天皇の多摩陵、貞明皇后が多摩東陵。位置関係が名前から歴然。
多摩陵の脇に少し遠慮気味に多摩東陵。
皇后陛下の墓がきちんと祀られるのは珍しいのでは?しかも天皇の脇に。昭和になって時代が進んだ証拠だろう。

多摩陵から手前側、奥に武蔵野陵昭和天皇の墓が香淳皇后の武蔵野東陵と並んで建つ。
陵までの参道の杉が美しさを増す。

昭和天皇の崩御は記憶に新しいと思ったが、もうすでに30年にもなるんだなぁ。大喪の礼も雨の中だった。
終戦記念日はつまり敗戦の日。軍を統帥した天皇がその場での責任を取らずに十字架を負わされた。
もっとも、歴代の天皇が死罪に合ったことはなく、最悪遠くに流されることになっているので、そういうものなのかもしれないが。
あ、安徳は入水か・・・他にも闇に暗殺された天皇も居たのかなぁ?勉強不足で確認できませんが。

雨上がりのためか、参拝の人は少ない。
終戦記念日にここに来る発想がないのか?自家のお盆で手一杯なのか?
歴史から何かを学ぶには、現場に来ることが一番だと思うのだけれども。

多摩の陵にも武蔵野の陵にも警備のための警察官がついている。
不敬の輩が多い現代。大変な仕事だとは思うけれども、その仕事、面白いだろうか?現代の墓守だ。

雨上がりの後は、熱射の日射となり、日向なんて歩けたものではなくなり、日影は蒸し暑く、近年まれな厳しい参拝となった。

74年前、あの戦争が終わった日。
するべきことをし終えたという充実感はあるものの、なんか心に引っかかる。そんな事をここ数年続けています。


大正天皇、昭和天皇な眠る武蔵稜墓地はここ


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