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渥美清の命日に葛飾柴又散歩 葛飾の良心 山本亭 19.08.04 14:10

8月4日、渥美清の24回目の命日に合わせて葛飾柴又散歩。

寅さんが産湯を使った帝釈天から、寅さん記念館や江戸川土手への途中に山本亭があります。

大正末期に建てられた山本亭は、趣ある書院造に西洋建築を取り入れた、和洋折衷の建築が特徴の建造物です。合資会社山本工場(カメラ部品メーカー)の創立者、故山本栄之助氏の住居として建てられ、大正12年の関東大震災を期に、浅草の小島町から現在地に移転。大正15年から昭和5年までに増改築を重ねました。当時は洋風建築を取り入れることが富裕層の間で流行しており、その佇まいを今に残す貴重な建築として、葛飾区が登録有形文化財に指定。昭和63年に買い取り、平成3年4月から一般公開されています。

はWebサイトの解説から

葛飾柴又の下町の風景には似つかわしくないような建物なのだけれども、これがまたいい感じに空気に溶け込んでいたりする。
男はつらいよにはついに出てこなかった気がするけれどもどうなんだろう?

戦前のカメラ部品メーカーってのは儲かっていたのだろうか?山本工場というのは実は今も存在していて、HPでは、資本金500万円で本社は葛飾区柴又。山本亭と同じ区画ということになっているが、グーグルマップでは見当たらない。工場は千葉の鎌ヶ谷。こちらはそこそこの工場なのだけれども、年商1億3000万円、社員9人の会社となっている。
正直会社の規模は大きいとは言い難い。その会社の社長がこんなでかいうちに住んでいた事実。しかも昭和63年まで。それってついこの間だ。さてはブラックか?

今ある山本亭の家具や調度品が昔のままだとするのなら、よほど羽振りがよかったことになる。

庭園だってアメリカの雑誌の日本庭園ランキングで三位に選ばれてたこともあり、7位以上に常にランクインしているのだとか。マジか?その雑誌、信用できるのか?


公開されている広間が休憩できるスペースになっていて、冷茶と葛をいただく。
時々通る風を扇風機が増幅していい感じ。日さえ当たらなければ、風通しの良い日本家屋は過ごしやすい。従業員10人程度の会社のくせして(笑)

山本工場の何がどうなって今がそうなっているのか。
山本亭も何がどうなって今がこうなっているのか。
詳しいところは何もわからない。

わからない所が良いのかな?
何もかも明るみになったところで、結局何も変わらないんだから。

ここにこんな文化施設があって、時々休憩に使わさせてもらっていて、一息つけるありがたさ。
寅さんばかりじゃないんだよという、柴又の心意気なのかな?
そんなものを感じないわけではない。


葛飾柴又、山本亭はここ



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