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山の日は山手で過ごす横浜市民 ヨコハマの夏、窓辺の風景 19.08.11 13:32

令和最初の山の日は山手で過ごす横浜市民。

西洋館はライトもいいけど窓も良い。
これは山手の西洋館に来るたびに思うこと。

日本建築と違って、採光が最高の西洋建築は窓辺にいるだけで気持ちが良くなる。

庭も広いから窓の外の緑も良い。隣の家の生活感とか見えたら興ざめだからなぁ。

でも横浜山手はハマ随一の高級住宅街。隣の家の生活感なんて見えたとしても全然気にならないんだけれど。

窓にかかる重厚なカーテンや軽いレースのカーテン。
少し歪んだような昔のガラスのアンティーク感。

どんな人が暮らして、窓から外を見ていたのだろう?
ヨコハマの港は今よりも魅力的だっただろうか?

祖国を遠く離れた極東のこんなところで、生きていくってどんな気持ちだろう?
もう、生まれた国には戻れないくらいの覚悟だったのだろうか?
それとも、祖国に戻ることを夢見て生きていたのかな?

たとえ贅沢な暮らしができても、そういう行き方ってちょっと嫌だなぁ。
日本人でも、ブラジルや満州に渡った人たちってどういう気持だったのだろう?
日本にいれば戻るのはすぐだろうけれども、中華街の華僑の人たちも同じような思いだろうか?

内にこもるばかりでなく、外へと目を向けて冒険をしてきたからこそ世界中に人間がいるわけで、人間はアフリカが発祥だとするのなら、極東のこんなところに暮らす日本人は、DNAのどこかに外へと新天地を求める遺伝子が備わっているはずなのだけれども。それとも、端へ端へと追いやられた苦い過去から移動を拒むようになっているのだろうか?

西洋館の窓辺は明るいばかりではなく、遠く離れた異国の地で暮らす外国人の、そんな物悲しさが窓から感じられるからつい見入ってしまうのだろうか?

何年も故郷を遠く離れるみたいな経験がないから、逆にそういうことに憧れるのかも。
でも、日本語で言う窓際って決していい意味じゃない。そういう感覚って日本人だけなのかな?

家族も大変だろう。でも、そういう運命に翻弄される生き様も憧れないわけではないんだよなぁ。

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