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もしビートルズが解散しなかったら #1976~1980

シリーズ第三回、そして最終回です。

1975年にジョンの主夫宣言でビートルズは解散してしまう。

しかし、ジョン以外の3人のメンバーの動向は非常に活発になった。

75年12月、ポールは新たなバンドであるウイングスを妻リンダ、元ムーディーブルースのデニーレインを中心に結成。


76年3月の「Venus And Mars」、78年8月の「Water Wings」の二枚のオリジナルアルバムはビートルズ時代と遜色のない圧倒的なセールスを記録する。
この間、「Silly Love Songs」「Listen To What The Man Said」「With A Little Luck」「Mull Of Kintyre」「Wonderful Christmas Time」の五曲が全米ナンバーワンヒットとなる。
また76年夏からは全米ツアーを行い、記録的な動員数を数える。ツアーの模様は77年2月に「Wings Over America」として発売される。三枚組にもかかわらず五週間首位をひた走った。

ジョージは、マイペースに活動していく。76年に「33 & 1/3」、79年に「George Harrison」の二枚の質の高いアルバムを発表。ともに全米一位を記録する。
この間、「You」「This Song」「Love Comes To Everyone」がスマッシュヒットする。

また60年代からインド音楽に傾倒していたジョージは、1977年にシタール奏者のラヴィシャンカルとともにツアーを行う。独自の世界を展開していった。

リンゴは既に70年にカバーアルバム「Sentimental Blues」を発表していたので、77年の「Ringo」は7年ぶりのソロアルバムとなった。ビートルズメンバーが全員クレジットされたこのアルバムは豪華なゲスト陣も話題となり全米一位を獲得。
79年は「Rotogravure」を発表。全米三位のヒットを記録。

迎えた1980年、ジョンがカムバックを高らかに宣言し、ビートルズは5年のブランクを経て再始動することとなる。

80年9月の第一弾シングル「Starting Over c/w Daytime Nighttime Suffering」は完全復活を印象づけるにはこの上なく良くできた曲で、全米で12週一位となる。

11月にはニューアルバムからの先行シングルとして、「Coming Up c/w I'm Steppin' Out」が発売され、これも6週一位に輝く大ヒットとなる。

アルバムは11月中旬に発表。発売当初から最高傑作との呼び声も高かった。

The Beatles / Starting Over

A1. Starting Over
A2. Temporary Secretary
A3. Cleanup Time
A4. Waterfalls
A5. All Those Years Ago
A6. Beautiful Boy (Darling Boy)
B1. Coming Up
B2. Watching The Wheels
B3. Goodnight Tonight
B4. Woman
B5. Arrow Through Me
B6. Dear Yoko

アルバムが全米一位をひた走る1980年12月8日、ジョンは凶弾に倒れる。再始動の直後の悲劇だった。世界中の多くの人が悲しみに暮れ、追悼の意も含め圧倒的なセールスを記録。

翌81年にシングルカットされた「Woman c/w I'm Losing You」「All Those Years Ago c/w Nobody Told Me」「Watching The Wheels c/w Borrowed Time」はいずれも全米一位を記録。皮肉にもジョンの死によってビートルズ人気は最高潮を迎えるのだった。

しかしバンドの兄貴分であるジョンなしで活動を続けるのは愚の骨頂である、という判断で81年5月、シングル「Here Today c/w Grow Old With Me」の全米一位を置き土産にビートルズは解散を表明する。

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