6/10 #FFFFFF信仰

俺明日起きれるかな。日記書いてる場合じゃないな。日記書こう。

ザ・ファブルを読み終わった。サウナに置いてあった紙の漫画を読み始めてハマって、サウナに行く度に続きを楽しみにしていたのだが、しばらく行けてないうちに完結していたのでiPadの漫画アプリで購入して読み終わったのだった。めちゃくちゃ面白かった。ヤクザと殺し屋が殺し合う普通にえげつない話なんだけど、(というかだからこそか)深刻なシーンの間で差し込まれるしょうもないギャグの威力が吊り橋効果ですこぶる上がってしまい、その対比が甘いものと辛いもの交互に食べ進むみたいな感じでずんずん読み進めてしまう。

漫画アプリに慣れない。いままで漫画喫茶やサウナに行った時にしか漫画を読んでなかったが、それだと気になる作品も全然読み進められないしデジタルで読んだ方がいつでも読めるし便利だなということになって読んでいる。が、紙で読んでいた漫画を途中からディスプレイで読んでみたりすると、ストーリーは同じでも体験としては明らかに別物だなという感覚がある。ブラウン管による隣接したドットのにじみを前提としてデザインされたゲームのグラフィックを液晶ディスプレイでプレイしても再現できないように、紙のざらつきやインクのにじみ、光の反射、ページをめくる時の指の引っかかりと音、1冊あたりの重さ、読み進めるに従っての右側と左側の厚みの変化、とかを前提として作られる紙の漫画の、元の画像データだけをスクリーンのバックライト越しに見て左右にスワイプして読むのは体験として全く違う。逆にTwitterで流れてきて普段ディスプレイで読んでいた漫画が書籍化されて、開いてみるとなんか違う…ということもある。違うメディアで同じ体験を得ることはできないので、そういうものと割り切って読んでるという感覚はある。音楽とかでも、イヤフォンやヘッドフォンで聞くことを前提として作られた音楽と、スピーカーで流すことを前提として作られた音楽というのは違いが明確にある。まつきあゆむの音楽は絶対イヤホンで聴いた方が良いし、テイトウワの音楽は明らかにスピーカーでかけた方が良いと思うのだけどどうだろう。漫画アプリの漫画の色が乗ってないところの背景色はたぶん全部#FFFFFFの白なんだけど、それはデータができるだけピュアな状態に近いほうがクオリティが高いはずだという幻想に基づいている。

気がついたらジャスミン茶を一日3Lぐらい飲んでるんだけど大丈夫かな。

あなたのコーヒー1杯ぶんのお金が、私のコーヒー1杯ぶんのお金になります