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誕生日と新年度によせて

3月22日で年がひとつ重なった。わたしにとっては、元旦よりも年度代わりよりも一年という歳月を実感できる日である。インターネットの多くの人々や家族、大切な友人に祝っていただき、生存を確認できたことはまことに喜ばしいことであった。


誇大妄想癖にありがちなように、わたしは日々あらゆることへの期待と失望を膨らませている。実際のわたしは布団の中から一歩も歩みを進められないのに、わたしの心中は常に荒れ狂う嵐が在り、混沌とした溶岩が吹き、世界の滅びや大切な人の死という妄想に怯え苦しんでいる。

毎年、誕生日には「来年は何をしているかしら」などとあてどなく考えるものだ―――少なくともまあ、就職はしてるだろと思っていたので、未だ学校に籍を置いているというのは意外であった。去年のわたし、きっといまこうしていることもできなかったわたし、つまるところ自身の未来について妄想を耕すこと自体が無為なのである。しかし物事を拾い上げた時、わたしは常に心の中で悲観的な未来へと変換していく。悪い癖だ。

カウンセラーさんは社会に適合できない罪悪感に対してこう言った。「いま楽しいことをし、休むことは、不安と向き合うことができる体力を養うためです」と。目から鱗の思いであった。そう、まずは体力が必要なのだ。向き合う体力、いいや、休む体力が。

時間が減っていくのを感じる。休養を始める時に設けたタイムリミットは、他者に言わせてみれば「まだまだ時間はある」らしいのだが、わたしにはもう眼前に迫っているように認知してしまうのだ。このままどうなってしまうのだろう、来年のわたしはまだ生きているのだろうか、幸福であろうか、と、あてどなく考えている。

と、いう訳で夏に休養に入った時の予想よりも随分と停滞しております。日々の不安を乗り越えるのでいっぱいいっぱいで、うまく他のことに頭が回らない、というかそもそも自己承認がゼロどころかマイナスを突っ走っているので、一日のうちに何かしら(家事や読書、というか布団から起きるとかそういう程度)ができていたとしてもそのことに対し自分が何かを出来たという達成感なぞ微塵も感じられず自虐と自嘲に走ってしまう訳です。そうこうしているうちに体力は衰え鼻血は止まらず自傷の傷は膿み足腰は弱り眠れど悪夢ばかりを見起きていれば自分の妄想に悩まされる日々であります。あんちきしょうめ。


今日で年度が替わりました。たった一か月の31年度ですが年度目標などは設けられるべきではないかと、ふと思ったのです。あの人また目標を作ってる。まあなんですかね、目標を立てて、「その目標が達成できなくても落ち込まない」がとりあえず目標の第一かもしれませんね…ままならぬものはままならぬと早く気付いてほしいのですがねえ。

でもとりあえずつらつらと考えた目標は忘れないように記録しないとね!年度目標と言うよりは、四月の目標かもしれんが。


①体力づくり

寝込みすぎていよいよ体力がひどく、特にわたしを恐れさせるのは22年の生涯で一度も感じたことのない異様な腰の痛みが襲ってきていることです。元々ひどい猫背なのですが、この引きこもり生活でいよいよ体幹が無となり、猫背になりすぎて腰が痛いけど背中を伸ばす力が残っていない、という悲惨なありさまです。

その対策として体力づくりであります。というかそれとは別に、六月にわたしの中である計画が立ち上がりまして、富士山登ったり下りたりするくらいの体力を必要とするのではないかという疑惑がにわかに浮上してきて参りましたので、とにかく富士山、いいえ近所の200メートルの山でも良い、とにかく体力を養わなければならなくなったのです。

目下外出が怖いのですが(人目に晒される空間が恐怖すぎる。電車乗れない。町を歩けない)、この外出をなんとか習慣づけ、日々足腰を動かす時間を少しでも作りたいと感じています。


②習作制作

常々計画していた一次創作活動ですが、本腰を入れて行いたいと思っています。いまはまだ頭の中でこねくり回しているものが大半ですがこれらをすこしずつ形にしようかと。その第一段階として、短編、あるいは掌編レベルの短い作品をコンスタントに書き続ける作業を試みたいと考えております。偉大なる文豪らも多くの習作を残しているのです。まずは一文字、一文字の道も十万文字の道へと開かれることでしょう。


布団生活が長引きすぎて思ったよりも進行度が遅いインプットに関しても、ようやく読書のリズムが取り戻せてきました。現在、これまで手を伸ばすことがなかったジャンルへの挑戦として、近代世界史を中心に本を読み進めております。近代史をなんとな~く避け避けしていたのはひとえに「資料が多すぎてめんどくさい」と「カタカナ無理」であったのですが、資本主義社会、あるいは今日の世界を作るに至ったあらゆる思想の流れを汲むためには世界の流れをいちどしっかり追うべきであると感じた訳であります。というわけで今はソ連の本を読んでます。ソ連、良いですね、浪漫があって。小学生あたりから数年周期で第二次世界大戦前後を取り扱ったものを読み漁る波が来るのですが、第n次周期がいま到来しているようです。やはり時代を語る、時代を回想する、時代の中で描かれた数々の言葉たちはさまざまなメッセージを発し、無数に輝く星のようにわたしたちの前に現れてくれるのです。そのさまを感じられるくらいにはなってきたかな、と思うのでこのまま楽しくインプットを進めていきたいですね。うんうん。読書メーターもがんばって更新しようね。今度はインプット→そのものについての感想、のリズムも獲得して行きたいです。


とりあえず先のことを考えず目の前のことだけを吟味した結果はこんなところです。先にあるものなぞ所詮わからないし、目の前のものをこなしていった先にあるものが未来であるとはよくよく理解しております。頭で分かっていても無意識が追い付かない物事はたくさんあります。ままならぬのはばらばらになった心と身体であり、いまだ精神は苦しみの途上にあって、抜け出す道も見付けられてはいません。自己破壊を繰り返しているのにも疲れましたが、このまま病み続けていれば、わたしは自分を殺すまで破壊を続けてしまうでしょう。だから、せめて今年という一年がわたしにとって、すこしでも不安が晴れるものであることを切に祈っております。生きる目標が見つけられますように。


オハナミイキタイナー

日々のごはん代や生きていく上での糧になります