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"宣言明け”最初の旅は東京観光③:東銀座編

僕が通っていた会社は東銀座にあります。住所こそ銀座だけど、それでは何となく違うというか、カッコ良すぎて申し訳ない気がするので、東銀座と強調しておきます。その会社は小さい出版社なので、在職中は朝でも夜でも深夜でも、多くの時間をこの街で過ごしていました。よく「犬は人になつき、猫は建物になつく」と言いますが、僕はまさにその場合の猫で、建物というよりも街になついていました。思い返せばネズミも多い街で、どこかで建物が解体されると、近所ではネズミをよく見かけたものです。

言うまでもなく、東銀座のランドマークは歌舞伎座です。ここは歌舞伎座文化圏。今ではだいぶ少なくなりましたが、かつては歌舞伎にかかわる小道具や和装小物の店、さらには和菓子やお弁当屋さんなども多く、歌舞伎役者が出前に取るような、軽い食事を取れる店も並んでいました。その多くは庶民的なメニュー。中には歌舞伎座から出前の注文が入ると、届く時間に合わせて、麺を固めに茹でてから店を出るラーメン屋さんもあったと聞いています。

しばらく行かないと、禁断症状の出る食べ物たち。

とは言っても東銀座という住所があるわけではありません。大雑把に言うと、銀座を南北に走る昭和通りの東側。さらに付け加えると、昭和通りから一本日比谷寄りの路地あたりも、文化圏的には含まれるかな。この路地は今でこそ地味だけど、かつては三十三間堀という立派な水路であり、先の大戦後の復興事業で埋め立てられたらしい。文化圏の築地側は首都高を越えて、住所は築地に入り、新大橋通まで加えてもいいかもしれない。その基準は、軽くご飯を食べに行ける範囲です。

そうなんです。ここは気取らない食事を楽しむ街。往々にして、こういう場所にソウルフードが生まれるもので、緊急事態宣言中は禁断症状が現れて日々悶えていたものです。などと言っている以上、少しお店も紹介しておこう。いろいろご意見はありましょうが、あくまでも独断であり入門編です。探す楽しみもあると思うので、場所や外観はあえて紹介しません。検索すれば出てきますけどね。

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まずは最初に、この店を出さないわけには行かないでしょう。東銀座に通う人であれば、誰もがソウルフードと認めるはずの『ナイルレストラン』。とにかく親しまれている店なので、詳細に興味のある人は検索してください。情報がいろいろ出てきます。が、意外に知られていないこととして、日本で最初に盲導犬の入店を歓迎した店だということも添えておきましょう。

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なんと言っても、この店の王道は「ムルギランチ」です。店に座れば、何も言わなくても「ムルギランチですか?」と聞かれます。あとは従っていればよろしい。運ばれてきたプレートに乗ったチキンを、お店の人が細かくほぐしてくれます。あとはライスとカレーとポテトと野菜をすべて、キーマカレーと見紛うほどにまでかき混ぜていただく。じっくりメニューを見ながらほかの品を注文したければ、そう言った方がいいでしょう。決して怒られません。僕はまずインドビールを頼み、ひよこ豆をカレーで煮込んだチャナマサラをちびちびいただく夕方に幸せを感じます。もちろんそんなときも、仕上げはムルギランチ(この写真は大盛り)です。

意外にも、東銀座はラーメン天国。

カレーとラーメン(東京だったら中華そばと呼ぶべきかな)などと言ったら、まるで銀座ではないみたいだけど、いいのです。銀座での緊張を、おなじみのメニューで解きほぐしてくれる街が東銀座なのだから。

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で、中華そばと言ったらとにかくここ。銀座一丁目の『共楽』です。煮干しの香りが効いた、禁断症状必至の醤油ラーメン。これも、東銀座の住民であれば、誰もがソウルフードとして認定してくれるはずです。写真はチャーシューワンタン麺。この店、ワンタンも美味しいのですよ。ちなみに自家製のメンマは「タケノコ」と呼ばれており、このタケノコを肴にしてビールをいただくのも幸せです。

さて、と。昭和通りを築地側に渡って銀座の2丁目。『萬福』も紹介しておかなくてはいけません。ここは中華そばの店でもあり、町中華のメニューが充実した店でもあります。焼きめし(チャーハンとは呼ばない)もいいんだけど、一年中冷やし中華が食べられるというのもうれしい特徴。

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冷やし中華のタレは、醤油と胡麻ダレを選べます。中華そばは、昔ながらの醤油味のスープ。ややあっさりめ。長い海外出張に出ているとき、なぜかここの中華そばを思い出し、禁断症状が現れ、成田空港から会社へ戻る前に直行したこともありました。

東銀座には中華そばの店が多いけれど、僕の好みでは以上の二店かな。ここであえて付け加えるならば、もう食べることができない、永遠の禁断症状を東銀座住民に残した店を紹介しておきます。

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その名は『味助』。濃厚な醤油のスープと太い縮れ麺。この店は会社のすぐ裏にあったので、毎晩どこかの編集部が出前を取っていました。残念ながら2004年の秋に閉店。その後の店舗だけは、しばらく放置されていましたが、今では小さい駐車場になっています。

出前… 昭和だね。今どきの、セキュリティが厳しい会社では、出前なんて考えられないことでしょう。しかしあの頃は、出前の岡持を提げた店員さんや、芸能人からバイトくんから知らないおじさんまで、いろいろな人が会社の中を密に歩いていたもんでした。会社の中には誰でも入れる喫茶店があったし、世界の雑誌をただで閲覧できるギャラリーはあったし。いわば街の延長。今思えば、広く街に開かれていました。それでも何とかやって来られたわけだし、今でもできるんじゃないかな。少なくとも小さい出版社が街とともに呼吸できなくなったら、後には何が残るというのでしょう。

レノン&ヨーコ夫妻が、たびたび現れた喫茶店。

最後にここを紹介しておこう。ここも東銀座では、あまりに有名な喫茶店です。その名は『樹の花』。少し静かな気分で打ち合わせしたいときには、僕もたびたび利用していました。

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ジョン・レノン&ヨーコ夫妻が東京にやって来ると、たびたびこの店に現れ、たいてい店の真ん中の、この4人がけの席についていたそうです。今では写真とサインが飾られています。もちろん空いていれば、誰でも座ることができます。ジョン・レノンはこの店のアーモンドクッキーがお気に入りで、コーヒーと一緒に注文していたり、たまにはテイクアウトもしたとのこと(紅茶じゃないんですね。イギリス出身なのに)。

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そんなこんなの東銀座。まだまだ紹介したい和食の店やシチューの店、あるいは日本で最初にコロッケを揚げたお肉屋さん、などなど紹介したい店は山ほどあれど、長くなったので、今回はこのくらいにしておきます。

コロナ禍の直前、この街を歩きながら思っていたことは、なぜかワインバーが増えたということ。その代わり、好きだった焼き鳥屋や蕎麦屋、寿司屋や居酒屋が静かに消えて行きました。会社の後輩に聞いたところ、最近の店にはあまり行きませんね、とのこと。やはり、この街で定着するには時間がかかるのでしょう。

そこに襲いかかったコロナ禍。ワインバーについては気に留めなかったけれど、通っていた店は一通り無事が確認できました。どの店もテイクアウトを用意して、何とかコロナ禍を乗り越えようとしています。みんな頑張れ。そして近所の方は、ぜひぜひ覗きに行ってください。

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