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この年末は、東京駅周辺で”時層”を旅する。

以前、ある地方都市在住の知人から、「東京で、いちばん好きな場所はどこですか?」 と聞かれたことがある。普段はあまり意識したことがなかったので、しばらく考えこんでしまい、苦し紛れに「東京駅丸の内側の広場かな?」と答えたのだけど、あの答えは決して間違いではなかったように思う。
僕は東京について、行政上の東京23区のように、ひとつの大都市として捉えたことがなく、いくつかの個性的な街の集合体だと思っている。銀座も渋谷も新宿も中目黒も蒲田も千住も、みんな「東京」と呼んでしまったら、かなり乱暴でしょう? 同じ中央区内にさえ、月島と築地と銀座と日本橋という、まったく個性の違う街が並んでいる。だからこそ「東京」は面白いのだけど。

歩く人のためにつくられた、東京では希有な駅前広場。

この駅前広場の工事が始まったのは2014年。その頃、僕は中央区の佃島に住んでいて、自宅から最寄りのJRの駅が東京駅ということに、少〜し誇らしい気分になっていた。旅行や出張に出るのもラクだった。ところが、この工事がなかなか終わらなかったのです。

工事現場が好きな僕は、なかなか終わらない工事を、よく見に行きました。これは2016年の2月。

せっかく竣工当時の姿を復元した東京駅ができても、どうせありふれた駅前広場ができるのだろう。どこにでもあるように一階はバスターミナルで、歩行者は二階の歩道に追いやられてしまうのだろう。となれば駅舎が見えなくなってしまうな。などなど勝手に想像していたら…… 2017年の12月7日に完成した広場を見て、驚いたのなんの。

空が広い。そして、その広場にはクルマもバスも入ってこない。ベンチも充分にあり、人が、どこでも自由に歩ける広場だったのだ。今どきの東京に、しかもこの街を代表する駅の前に、こんな広場ができあがった。これこそ江戸から引き継がれた粋というものか、とさえ思った。僕は行政や大企業が行う”再開発”にはガッカリさせられてばかりいるけれど、この、人が主役の広場だけは素直に喜んでいいと思ったものです。やればできるじゃん、東京。

広場の工事を終えた2017年の年末。今では恒例となった駅舎のライトアップが始まった。この花柄はプロジェクションマッピングではなくて、スライドをシンプルに投影したもの。

もうひとつ、この広場が優れている点は、夜の照明が明るすぎないこと。海外の街から帰ってくると、まず東京の夜の不要な明るさと、それ故の風情のなさにうんざりさせられるけれど、この駅前の照明は、2メートル離れた人の顔がぼんやり見える程度。5メートル離れたら誰だかわからない。実に陰影礼賛というか、オトナの照明なのです。
この駅前は、やがて東京マラソンのゴールにもなるなど、文字通り「東京の顔」となった。駅が好きな僕としては、駅が首都の顔になってくれて本当にうれしい。

雨が降ると、集まってくる人たちがいる。

ところがこの広場には一つだけ欠点があって、雨が降ると意外に水たまりができること。ビジネスシューズを履いている人は、けっこう気になるかもしれない。
しかしですね、今の東京駅は雨の名所となりつつあります。なぜなら、こんな写真が撮れるからです。

どうですか? この美しい写り込み。これは2022年11月23日の冷たい雨の日でした。
駅舎ではなく、水たまりを撮影する人が何と多いことか。彼らの周りは、都会の中のウユニ塩湖ですね。

という具合に、誰もがカメラを持ち歩く時代にあって、この駅前広場は新たな価値を作り出しているようです。

東京ステーションギャラリーに立ち寄る。

先週、東京での仕事や野暮用をまとめて、2泊3日の小さな旅に出ておりました。宿泊は、以前住んでいた中央区内のビジネスホテルだったのだけど、住んでいた街に泊まるというのは、とても奇妙な気分になるものです。
たしかにここに戻ってきた。しかし帰るのはあの部屋ではない。そして少しずつ街のようすが変わっている。たとえば地下鉄の出口の案内に知らない施設名が加わっていたり、古いビルが解体されて駐車場になっていたり、いつも寄っていたスーパーの陳列が変わっていたり。いずれも小さなことだけど、小さなことをきっかけにして蘇るはずの記憶は、もう決して戻ってこない。

などという個人的な感傷はともかく、その頃から通っていた東京ステーションギャラリーに、久しぶりに寄ることができました。催しは『鉄道と美術の150年』展。
タイトルから想像すると、鉄道の絵ばかり展示されているのかな? と思うけれど、駅や昔の駅前のようす、あるいは乗客や鉄道で働く人々など、鉄道に関わるあらゆるものが対象。明治大正から戦中戦後、そして現在に至る、あらゆるジャンルの日本人画家総出演という、見応え充分の内容でした。

最初にエレベーターで最上階に上がり、フロアを下りながら展示室を回る、というスタイルが気に入っています。気分転換にもなるし、復元された駅舎の一部を眺めることもできる。
展示室からミュージアムショップ〜出口へと向かう途中、北口ドームを二階から見下ろすことができるのも、このギャラリーならではのうれしい特典。

何より最初の見どころは、鉄道開通当時の錦絵の数々でした。
旺盛な好奇心と大胆な構図で江戸の末期を描いてきた彼らも、さすがに鉄道には度肝を抜かれたようすが伝わってきます。当時の上流階級の人たちが盛装した姿や、それが和装から洋装へと変化して行くようす。皇族と付き人たちの色鮮やかな衣装、などなど。カラー写真が無かった時代の錦絵を見ていると、その時代の風俗が、写真よりもリアルに伝わってくるものです。

時代が進むとともに鉄道は延伸し、庶民の乗り物となり、地方の風景が増えてきます。特に戦中の世相を描いた作品には、見入ってしまうものが多かった。空襲で破壊された東京駅。しかし、それでも乗客は駅で待っている。
また、かつての鉄道には重労働が多く、必然的に労働運動の拠点になって行く、などのようすまで絵画から伝わってきます。
赤松麟作の油彩『夜汽車』、香月泰男の『バイカル』なども見ておいてよかった。とか言いながら、展示が150点と多く、あまりゆっくり見て回る時間がありませんでした。1月9日まで開催されているので、もう一回行ってしまいそうだ。

1月9日まで開催。お近くの方も、旅行や出張で東京へ来られる方も、ぜひ立ち寄ってみてください。

丸の内の”時層”を旅する。

今でこそ日本のビジネスエリートが闊歩する東京駅や丸の内界隈ではあるけれど、徳川家康が入府した頃は、このあたり一帯が日比谷入り江と呼ばれる海だったことは広く知られている通り。埋め立ての終わった後には大名屋敷が建ち並んでいたものの、明治に入ってすべて取り壊され、陸軍の兵舎や練兵場として使われていたようです。その頃のようすは、僕の街歩きに必携のiPhoneアプリ、『東京時層地図』にも明らかです。このアプリ、今いる場所の江戸末期〜現在の古地図が呼び出せるというもの。散歩好きの人にはお勧めします。

1890年、陸軍の施設の移転に伴い、丸の内一帯は”三菱”の創業家である岩崎家へ150万円で払い下げられた。当時は草ぼうぼうの荒れ地となっており、”岩崎ケ原”と呼ばれていたそうです。そこに丸の内最初のオフィスビルである『三菱一号館』が竣工したのが1894年。以降、ロンドンのロンバード街を模した煉瓦街が建設され、一丁倫敦(いっちょうロンドン)と呼ばれるようになった。

一丁倫敦跡地は、この年末も丸の内ライトアップの拠点となっている。
今年も11月に始まった、丸の内仲通りのライトアップ。

一方、三河吉田藩、美作津山藩、上総鶴枚藩の屋敷跡地に建てられた東京駅の竣工は1914年。「日比谷入江」跡の軟弱な地盤を強化するため、松杭11,050本が60cm間隔で打ち込まれるなどの基礎工事も含め、工期は6年。新橋〜横浜間の鉄道開業から42年。三菱一号館の竣工から20年も経っている。東京駅は、山手線のターミナル駅の中では最も若いのです。
ちなみに、建設計画当初の駅名は「中央停車場」。開業と同時に「東京」駅と改められた。今でも「中央停車場駅」と呼ばれていたら、どんな気分だったのだろう?
中央停車場駅とともに延伸された新橋〜上野間は、建設当初から高架として進められました。今も残る高架は、その当時の名残なのですね。
なお、東京駅の歴史や当時の写真などは、以下のサイトに詳しいです。

まとめ:今や東京駅は、ひとつの街なのだ。

地方から出張で友人たちがやって来ると、今では東京駅の駅ナカの飲み屋街で会うことが多くなりました。多くの場合は帰る直前に会うことになり、そんな時には時間が無く、銀座や築地まで行くことができないからだけど、今の東京駅は駅ナカでも充分に楽しめます。
先日もギャラリーに寄ってから、久しぶりに飲み屋街をうろついてみると、予約を取らないと入れなくなった店もいくつか。今年は忘年会の前倒し現象が起きているらしいけれど、それなのかな。もはや駅ナカだからと言って、甘く見ることはできません。

とかく”再開発”された地域の飲み屋街には、チェーン店などの居酒屋ばかりで、食事そのものが楽しめる店は少ない。その点で、東京駅の駅ナカは計算された店選びが行われている印象があります。とは言え、開業した頃にはどうしても”再開発”的な、取って付けたような飲み屋街ではあったけれど、時間が経つとともに、とてもいい感じでこなれてきています。

現在、東京駅周辺は、八重洲口側、日本橋口側の”再開発”が進んでいます。丸の内側には人が主役の贅沢な広場ができたので、八重洲や日本橋側にはバスターミナルが集中するとのこと。日本一の高さの高層ビルも建つようだけど、どうか、人が主役になれる街でありますように。
八重洲口側は、かつて江戸庶民の暮らした街があり、たしか北町奉行所があったのも、八重洲口のあたりではなかったかな?(ちなみに南町奉行所の跡地は有楽町丸井のあたり)。巨大ビルの工事現場からは、江戸庶民の暮らしの跡が続々と発掘されています。時代劇でおなじみの長屋を始め、木製の水道や井戸、食器などなど。この遺構から研究が進んだ江戸の水道事情について、先日もあるセミナーに出席しました。さらに東京駅周辺時層の旅のテーマが増えてきたので、そのあたりの話も、またいずれ。

年末恒例、東京駅はこんな色にライトアップされます。この写真は昨年の12月18日。照明は、駅舎の一部と街路樹に光を当てるだけというシンプルなもの。この駅らしく、控えめな明るさです。
去年は雨も降りましたっけ。今年は皇居へ続く行幸通りでもイベントが行われるとのこと。時間は日没から夜の9時までです。詳細は『東京ミチテラス』で検索してみてください。






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