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新日本海フェリー乗船記

22時00分 敦賀駅

 2月某日、敦賀から新日本海フェリーに乗って北海道へ向かった。雪まつりを見るために。
敦賀駅からフェリー乗り場まで連絡バスが出ていたが、乗ったのは自分一人だけであった。15分くらい揺られてターミナルに着く。窓口で今日の乗船券を発行した。予約はしていなかったが、問題なく発券できた。一番安いツーリストAで取った。値段は11100円。
 敦賀港のターミナルはちょっとした売店のみしかなく、あとあるのはNHKの流れるテレビくらいで結構乗船まで暇な時間が続いた。
23時15分、乗船開始。自家用車と徒歩の客は数名しかおらず、あとはトラックドライバーが数人。乗船客が少なく、ちょっと心配になるくらいだが、おそらく貨物輸送で儲けているのだろう。実際敦賀港にいるときにもコンテナ載せたトレーラが続々と船に運ばれていた。

敦賀港のターミナルから見た「 すずらん」

 船内に入ると、案内のスタッフが部屋の場所を教えてくれた。ツーリストAの部屋は、フロントと売店を抜けて右の扉から入れるとのこと。まず、自分の寝台に荷物を置きにチケットに書かれた番号の部屋へ。少し奥の方、5番の部屋。上下2段、カプセルホテルのような寝台が並ぶ、相部屋スタイルの船室だ。なお、相部屋と言えども、カプセルのカーテンを閉めればある程度のプライベートは確保できる。チケットを買う時の窓口でもすでに聞いていたが、今日は自分一人しかこの部屋にはおらず、実質ひと部屋貸切だった。当日に飛び込みで申し込んだので特段位置の指定はしていなかったが、気を利かせてくれたのか、景色の見える一番窓際の寝台が手配されていた。 

ツーリストAの寝台

 一息ついた後、さっそく船内を散策。まず、船内中央に大きな吹き抜けと階段がある。吹き抜けの一番下、階で言えば4階のフロアに売店と自販機コーナーがあった。なおこれより下の階はおそらく車両甲板。一つ上の階、5階には、窓際に椅子が並んだ休憩スペースと、後部にレストランがあった。さらにレストランの後ろには、展望デッキがあった。レストランとガラスの扉で繋がっているので、夏場はテラス席として使っていそうだ。さらに上の階の6階には大浴場があった。端にはゲームコーナーとスポーツルームもあったが、明日の朝から開くとのことで今は締め切られていた。また見にいこう。 

吹き抜けのロビー

 23時50分、出航。ひとまず後部デッキに出て出航を眺める。今回の航海では後部デッキのみ解放されていて、左舷・右舷側のデッキは立ち入り禁止になっていた。冬の日本海なので、船体動揺が結構あるから閉鎖しているのかもしれない。フェリーによっては陸上スタッフが手を振って華やかに見送るところもあるが、もう夜も遅いこともあってか、今日は静かに敦賀の港を出た。 

敦賀港を出港

 ちょっとした工場夜景とも言えそうな、かなり明るい港湾の光がだんだん遠くなるのを気が済むまで眺め、船内へと再び戻った。2月の海上の風を浴びて体は冷え切っていた。 大浴場が深夜1時半に閉まるらしい。風呂用のタオルがなかったので、売店で1200円くらいの「すずらん」と船名の書かれた特製タオルを購入。(後で200円でタオルの貸し出しもやっていることが判明するが記念品なのでまあよし。)ついでに斜体文字で「新日本海フェリー」と書かれた趣あるTシャツも買おうか迷ったが、行きで荷物になるものはやめておこう、と我慢。用意をして、少し急いで入浴。この船の風呂は、綺麗なビジネスホテルの大浴場のような雰囲気がある。シャンプー、コンディショナー、ボディーソープも完備。普通の浴槽だけでなく露天風呂とサウナもあった。露天風呂。ちょっとワクワクしながら、内湯でぬくまったあと頑丈な扉を開けて外に行ってみる。もちろん、夜だから何も見えなかった。聞こえてくるのは、機械の音と、海をかき分ける音だけ。湯温は少し高めに設定してあったのか、冬の日本海の上でも浸かってて寒いとは感じなかった。露天風呂特有の、頭の寒さと身体のぬくまり具合のギャップの心地よさを味わって、上がった。風呂のあとは、もう遅いので気持ち足早に寝台へと戻った。まだ福井の沿岸にいたからか、ソシャゲのルーティンワークはこなせた。ここで別にやらなくてもいいんだけど、と思いつつ。次第に電波がなくなってきて、なんだかゲームの反応が悪くなってきた。諦めてスマホを手放し、眠りについた。

翌朝8時00分 日本海海上

あたり一面は海原

 朝、佐渡島近海を航行しているとのアナウンスで目がさめる。窓から外を見るが、海しか見えない。
 眠い目をこすりながら、上着を着てデッキへ出てみる。何も見えない。いや、何も見えなくはない、見えるのは海と空だけ。佐渡を探したが、どこにも見当たらない。スマホの電波はないが、GPSだけは拾えたので、昨日のデータだけで頑張って表示した粗いピクセルの地図で現在地を確認する。近海といえども、そこそこ距離があるようで、島は流石に見えなかったらしい。
 レストランの隣まできたついでに、朝食も食べることにした。閑散期だからか、カフェテリア形式やバイキング形式ではなく、ファミレスにおいてあるようなタブレットで注文する方式になっていた。そんなにお腹も空いていなかったので、そばを注文。

そば 500円
揺れを考慮してか少し器が深め

 食後、部屋でゆっくりするかと、寝台に戻ったところでアナウンスが。
「あと15分ほどで、姉妹船、すいせんとすれ違います。」
せっかくだし見にいこう、と脱いだばかりの上着をまた着てデッキへ向かう。

10時15分 日本海海上

 ここのデッキは船の後部なので、当然前からくる船は見えない。飛沫の塩でくすんだ横の窓から見てみると、何もない海原の遠くに何かが現れた。
おそらくあれが反航するフェリーなんだろう。それはどんどん近づいてくる。そして次第に船だとわかる。大きさが増す。横までくると、本当に同じような船体であることがよくわかった。そしてすれ違う瞬間、「ぼーーーーーーー」と汽笛を鳴らす。それに答えるように、向こうからも「ぼーーーーーーー」と汽笛が聞こえてきた。
 そして、船尾を見せながら次第に小さくなる船をぼんやり眺める。常に風が吹くデッキは寒かった。でも、このまま消えて見えなくなるまで見ておこうか、暇なのでそんなことも考えてしばらく立っていたが、豆粒くらいになってからはなかなか消えなかった。すぐに水平線の下に潜るものだと思っていたがそんなことはないらしい。だんだん体が震えてきたので諦めて船内に戻った。

姉妹船「すいせん」

 部屋から出たついでに、ゲームコーナーとスポーツルームを覗く。ゲームコーナーには古いアーケードゲームやパチスロ、そして太鼓の達人があった。太鼓の達人は、今では「懐メロ」として名を聞くこともほとんどない、2010年ごろの流行りの曲が紹介されていた。

ちょっと古い太鼓の達人

 アーケードゲームは90年代後半の脱衣麻雀だった。筐体には少し丸みのある画面のブラウン管がはまっている。この船はそんなに古くないので、先代の船からわざわざ引き継いできたのだろうか。
 スポーツコーナーはランニングマシーンやペダル漕ぐ機械(正式に何ていうのか知らない)があってちょっとしたジムのような雰囲気がある。奥には卓球台があった。どれもたぶん自由に使える。

 予想はしていたが、船の上はなかなか暇である。絵でも描こうかと思ったが、しばらく描いていると、胃と頭から「これ以上はやめとけ」と不快な気分を介して緩やかに指令が来るので程々にせざるをえなかった。椅子に座ってPCを開いても同様の指令が降りてきた。
 波は2メートルの予報で、「ややしけ気味」とそういえば昨日アナウンスしていた。少しは慣れたつもりでいたが、意識すると、やっぱり右へ左へ、上へ下へ、ふわりふわりと結構揺らめいている。
 TOEICでも受けようかと思っていたので、そのあとは単語帳を寝ながら読んでいた。紙の文字を読むのは大丈夫そうだ。また、スマホを眺めるのも特に問題なかった。船内Wifiに繋ぐと、インターネットには繋がらないが、船内サーバに繋ぐことはできて、用意されている電子書籍の漫画が読めた。適当に何冊か読んでみた。

 しばらくのんびり過ごしていると、レストランで昼食を用意しているとのアナウンスがあった。せっかくなので昼もまた食べに行くことにした。
 メニューに鯛茶漬けがあったのでそれにしよう、と考えていたが、席でタブレットをのメニューをめくっていくと、鯛茶漬けのアイコンが暗くなっている。どうやら今日は仕入れていないようだ。ちょっとがっかりしながらも、カレーを注文。 

カレー 900円

 そういえば食事を注文するたび、「クーポンはお持ちではないですか?」と尋ねられる。特等をとってたらもらえるんだろうか、いやトラックドライバーならもらえるんだろうか、などと疑問に思いスマホで検索をかけてみた。相変わらず日本海の上、サーバーからの応答はなかった。 
 食後、5階の椅子が並ぶスペースで、おそらくBSのNHKがやっていたので、それを見たり、映像が流れる側に昨日の新聞があったので適当に目を通したりして昼間の穏やかなひとときを過ごした。

15時00分 日本海海上

 暇すぎるので、昼間から風呂に入ることにした。今なら外が見えるはず。船は男鹿半島の入道埼をこえて、津軽海峡に向かっていた。陸らしきものも右舷側にだんだん見えてきていた。おそらく白神山地だろう。海を進むさなか、露天風呂から景色を見るなんてなかなかない経験ができた。少し雪が舞ってきたので、内湯で温まったあと、上がった。
 陸が近づいてきたということは電波がまた通じる可能性があるということだ。自分もスマホに囚われた人間であるなとつくづく思いながら、通信を再開してみると、、、お、なんとか通じた!よかった。ソシャゲのデイリーミッションをやり、ちょっと新しいステージもやってみた。そんないつでもできることをしていた時、ふと、今どこだろう、と地図アプリを開くと、もう竜飛崎のすぐ手前まで来ていた。

16時05分 津軽海峡

 竜飛崎は「津軽海峡冬景色」にも歌われた名所なのでみにいこう、と思いまたデッキへ。レストラン横の通路にある椅子でお昼前からずっと電話をしている人に、また来たこいつと言わんばかりの目線をもらいながら(ていうか海上で電話なら繋がるんだ)デッキへ。しかし急に天気が悪くなって、雲しか見えなかった。残念。反対側はまだ雲がなく、北海道が見えていた。やはり今年は暖冬なのか、山に積もる雪は少なめに見えた。そして次第に山の向こうの空が赤くなってきて、函館が近づく頃にはまた暗くなっていた。津軽海峡は、瀬戸内のフェリーを思い出すくらいに穏やかだった。

夕方の津軽海峡

 特に何もしていなくてもお腹は空く。もうすぐ夕飯の時間だった。夜は新日本海フェリー特製のハンバーグにしようと決めて楽しみにしていた。
 会社の名前を冠しているだけあって、美味しかった。

新日本海自家製ハンバーグセット 1500円

 食後、部屋に戻ってあらかじめスマホに入れておいたアマプラのアニメをみる。そうしているうちに苫小牧東の着岸が20分程度遅れるとのアナウンスが入った。ふと外をみると飛沫で濡れた窓はいつの間にか凍っていた。

20時00分 太平洋上

 長かったような、短かったような。船旅ももうすぐおわり。下船に時間は近いぞと主張するかのように、ほのかにクラシックのような音楽が船内に流れ出した。ふと外を見ると、防波堤が窓を左から右へ流れる。もう港の水域に入ったらしい。それからしばらくして、徒歩乗船の人は下船準備をして吹き抜けのあるロビーに集まるようアナウンスがあった。
 
 20時50分ごろ、苫小牧東港に到着。自動車航送をしている人たちは先に車両甲板へ行ったため、自分含め残った2人だけが徒歩客だったらしい。タラップからターミナルの建物に入り、無事に北海道上陸。下船後、そのまま連絡バスに案内された。その時、たくさんの自衛隊の服を着た人たちとすれ違った。外にも自衛隊の車が何台か停まっていた。もしかして災害派遣でこの船に乗るのだろうか。

苫小牧東港

 緑色の道南バスに乗って、そのまま南千歳駅へ向かった。時々飛び出してきた野生動物にクラクションを鳴らしながら、真っ暗な夜道を進んでいった。

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