自分取り扱い説明書を詳らかにする行為


https://note.mu/snonpy/n/naa8250ee421a
考察からの回収作業。

ソーシャルネットワークを眺めていると
「自分取り扱い説明書」を公開している人をみかけます。

自分の取り扱い説明書とは
私は「○○な人間」だから■■して欲しい
私は○○されると■■だから気をつけて
のように、公の場(ネット上)に向かって公開しているもの。

自分の手持ち札(だいたいの場合マイナスとなりそうなこと)を、私はすでに私の粗い断面を(イザコザがあって人に指摘されたりして)認知して、先に公にしているから、あなたは、細心の注意を払って近づいてきてね。先に気に入る気に入らないを判断してから取り扱ってちょうだいね、そこんとこよろしく!という意味があるのですね。

この手法、本人は自己防衛のための手段なのだろうと思いますが
ちょっともったいない気がします。

人は外側から与えられる何か(言葉・力・文章など)によっていくらでも変化できるのです。その可能性は何通りも存在すると言えるので、自分が反応する「自分の反応」という認知は、ただひとつの側面かもしれないのに、です。

ともすると、相手の弾丸はよわよわな自分の輪郭を撃ちぬくかもしれません。
それでもスライムの復活みたいに、やがてそこは「良きかんじ」で修復されるなり傷跡になってその次の弾丸はもしかしたら弾を飲み込んじゃったりして、それは思ったほど痛く感じなくなる気がするんです。

自分でも自分のことがわからない、と認める。その上で飲み込む(もしくは急所をわざとはずす)。適当でふにゃふにゃしていることが掴みどころないようで一番強力なのかもしれません。

こたえまとまらず一気にここまでで、公開。


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