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同じ大学のあの子が死んだ

春になった。
長かった春休みが終わり大学の授業が始まる。
春の大学は、一年のうちで最も人が多い。

昼休憩に入ると、食堂の席が全て埋まる。

授業と授業の合間には、学生や教授が大学の中をあちらこちらと行き交う。

夕方になると、講義を終えた学生が一斉に帰路につく。

講義が終わり、緊張の糸が切れて、おしゃべりに花を咲かせる学生の集団。
憂鬱そうにアルバイト先へと向かう学生。
運動着姿の男女が肩にラケットをかけて、テニスコートへと歩く。

大学の中は、渋谷のスクランブル交差点とまではいかないかもしれないが、それぞれが右往左往して交わっている。

新調したリュックを背負い、次の授業の教室を探してきょろきょろと周りを見渡す新入生の姿。

可愛い新入生を自分のサークルに引き入れようと躍起になる上級生。

人々がただ交錯してるだけでなく、それぞれの人生や思惑、期待や不安も同時に交わっている。


朝、正門を抜けると、目前には同じ大学の学生の群れが同じ方向に向かって歩いている。

尾崎豊さんの言葉を借りれば、僕は'群衆の中の猫'のような気持ちになる。

この文章ではそんな僕のことを書きたいわけではないからそんなことは置いておいて、意気揚々と前を向いて歩く群衆の中にかつての友がいないことについて書きたい。


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春休みに友が死んだ。

同じ大学で同じ団体に所属していた女の子。
その彼女が死んだ。

春休みに入って一週間後の出来事だった。

あの日の9時29分に彼女の訃報を聞かされたから、亡くなったのはその前日だろうか。

旅行先での不慮の事故によるものだと言っていた。ニュースにもネット記事にすらもならなかった。

加えて、通夜と告別式の詳細も送られてきた。

そんな急に亡くなったと言われてもただただ驚き、半ば疑ってしまう心理に陥った。

あの子が僕の目を見て、僕の話を聞いている時の顔を思い浮かべてみた。

真面目で正義感が強い女の子だった。団体でも役職につき、慌ただしく働いていた。

彼女は、二浪して大学に入ったため、同学年の一般的な女の子よりも落ち着いていて、大人びていた。

僕も浪人して大学に入ったため、互いに心で通ずる何かを抱いていた。

「規則は規則です!」と是々非々で意見する子で、僕はどちらかというと「規則は破るためにあるんだ!」という曖昧な人間だから、彼女のそんな側面に対して、肩の荷を下ろせばいいのに、と思ったりした。

一緒にご飯に行ったり、出かけたりする仲ではなかった。

一ヶ月に何回か顔を合わせて少し会話する程度だった。

だから、存在は認識しているものの、僕の一部すら構成していない人物だったろうと思う。
何か影響を与えられたかといえば、そうではない。

しかし、一度彼女の存在を認識したからには、街ですれ違う人とはまるで異なる。

僕の意識の中で、同じ時代に生きる同年代の一人の固有名を待つ女の子だったから、どれだけ長い期間会っていなくとも、生きていると信じて疑わないし、これからも僕と同じように歳を重ねていくものだと、考える必要もないくらい当たり前のことだと信じ込んでいた。


そんな彼女が死んだ。

知らない場所で、事故にあって死んだ。

なんのための人生だったのだ。

なんて儚い命なんだ。

22歳という年齢で突然死んだ。

僕と対面した彼女の笑顔は記憶でしかなくなった。

もうすでに荼毘に付され、灰と化し、今もどこかで漂っているのだろう。


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通夜にも葬儀にも行かなかった。

僕にとって決して特別な女性でなかったためではない。

何だか彼女を自分の中で死なせたくなかったからである。

僕は、人の死を認めるためには、死した身体を直視しないといけない。

それでも完全に認められると言えば嘘になるが、事実として生涯を終え、もう何も話さなくなってしまったんだと理解できる。死を否定したい脳が、少しだけ腑に落ちる。

だから、敢えて行かなかった。

だから、僕の中では彼女は死んでいないことになった。

彼女は今もどこかで何かをしている人だ。

まるでいつの間にか大学を退学してどこかへ行ってしまった人のような感じを抱く。


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大学に彼女はいない。いなくなった。どこかへ行ってしまった。

しかし、群衆は一方向を向いて歩く。

旧4年生が卒業し、新入生が入ってきた。

まるで生と死を繰り返すように学生は毎年入れ替わる。

彼女の所属していた団体は、新入生歓迎の張り紙を校内中に貼っている。

その張り紙を見ると、決まって彼女のことを思い出す。

そして、やりきれない気持ちになる。



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桜が咲き、新学期が始まる。

当たり前に彼女も正門を抜けて群衆の中の一人を成すはずであった。

それは、疑いもしないことであった。

大学をくまなく探しても見つからないだろう。

日本をくまなく探しても見つからないだろう。

なぜなら、もういなくなったから。

でも、僕は彼女が死んだと思わない。

加えて、生きているとも思わない。

なにも思わない。

僕の知人の多くがそうであるように、認識の中で生きている。

何年も会っていない人なんて何人もいる。

そんな人たちと同じ認識のまま保っている。

無理に死んだと理解する必要もないし、無理に生きていると信じる必要は無いように思う。

僕は今日も大学で悶々と歩いている。君のことを少し考えながら。







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