時間は一体何からできているのだろう

四季折々ってなんて良い言葉だろう。

一つのものを永遠に見つめていたい。人生の傍観者になりたい。諸行無常を見続けたい。つまり、人々が言う「神」という存在に近い何かになりたい。眼のように一方向しか映さない堅物なんか要らない。大局観ともいうべきか、超人的な視野が欲しい。

もしその私が望む何かになれば、無限に拡大と縮小が出来、対象までどこまでも接近することができる。対象は決して気付かない。なぜならこちらは無体物だから。香りのような存在なのだ。空気中の一酸素原子に眼があると思えばわかりやすい。場所も、距離も、角度もそして時も巻戻しも早送りも自由にできれば言うことなしだ。

人間には定点を見つめ続けることが決して出来ない。四季の変化を最初から最後まで見届けた人がいるだろうか。季節の終り目を見た人間は果たしているのだろうか。時間は経つのではなく、流れるという動詞が正確だ。時は、気づけば経っているのではなく、川のようにさらさらと流れているのだ。
川の流れに砂利を放り込むと、水面に触れた途端に何寸も先へと遠ざかっていく。時間に対して力を働かすことは出来ないけれど、そうやって確実に流れている。

では、空間とは、原子の集合体なのか?素粒子の集合体なのか。物理をそこまで学んでいないので分からない。空間には穴が無いのか。空間に穴があって、その穴が「無」だとすれば、そこに触れた時何が起こるのだろう。空間が何かによって構成されているなら、時間という空間を前方向に進める大いなる力は何によって構成されているのか。時間という壮大な流れは、一体何の働きによって、また、時間というものを構成しているのは何か。我々の目は本当に現実を映しているのか。我々の視神経、聴神経など全ての神経を刺激しているのは、果たして現実なのか、それともプログラムされた映像なのか。常に誰かによって自分が動かされているとしたら? 僕が悩むのも、出会う人も、行動パターンも、全て自分の意思であると思い込ませるようプログラムされ、実はどこかから操られているに過ぎなかったら一体僕は駒に過ぎないのだろうか。

答えなき問いは頭の中に溢れてくる。だが、考えても答えはどこにも用意されていないと思うけど、何年後かに人間より遥かに発展した宇宙人と交信した際に、宇宙の謎や我々の存在について分かるかもしれないので、もしそうなれば楽しみだ。自分は時の流れにただしたがって漂うだけの時代の漂流物に過ぎない。だから、ただ流されるままに死に向かって今を進めていくしかない。


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安斉弘毅/Koki Anzai

1997年生まれ。普段考えていることを書いたり、作文を書いたり、つらつらと。酒と読書とピアノが好きです。 何かあれば、anzai.koki.note@gmail.com まで🗼

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